「HCI」と「おもちゃ」と「学術領域」

筆者: 矢倉 (筑波大学大学院)

𝕏 がその SNS としての役割を変えつつある今となっては「HCI 研究おもちゃ論争」という言葉に聞き覚えがある人も少ないかもしれません。これは、2019年ごろに「HCIは『一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ』る」という意見を述べた記事が話題となり、当時の Twitter 上で議論を引き起こしたというものでした。現在も残っている記事はこれくらいになってしまいましたが、多くの人が議論に参加したくなるような芯を食う表現だったと言えるでしょう。

実は、私自身も HCI 研究に(自らの過去研究も含め)この「おもちゃ性」を感じることがあります。だからこそ、本記事では「HCI 研究は何を生み出しているのか?」という点を議論してみたいと思います。


学術領域としての HCI

HCI 研究の端緒は1970年代ごろまで遡ることができます [1]。当時の研究は認知科学や心理学的アプローチに焦点を当てたものが多く、HCI という言葉よりも Human Factors という表現が広く使われていました(そして、この表現は HCI の中心的な国際会議である ACM CHI の正式名称、Conference on Human Factors in Computing Systems にも残されています)。1980年代以降、パーソナルコンピュータの普及などもあり、インタフェースやシステムに着目した研究が増え、Human Factors 研究と HCI 研究は別々の道を歩み始めたとされます [2]。

そんな中、「HCI がそもそも学術領域を構成できるのか」という点についても議論が活発になりました。例えば、1989年に Dowell と Long は HCI を "Engineering Discipline" と定義づけ、具体的な仕様や実装を生み出すためのPractice を構築していく領域としてのあり方を提唱しました [3]。同じく1989年に Diaper は Interacting with Computer という学術誌の創刊にあたって、"The discipline of HCI" [4] という論説を寄せ、「仕様を満たした複数の解決策の中から1つ適切なデザインや実装を選び出す」ことを助けられるという点に Engineering Discipline としての HCI の可能性を予見しています。

図1. Dowell と Long による Engineering Discipline としての HCI の構造化 [3]
(ここで HF は Human Factors を、SE は Software Engineering を示す)

HCI の方法論

では、具体的にどうすればそうした学術領域を作り上げていくことができるのでしょうか。1989年当時から議論されていた方法論としては "Artifact" に基づく研究アプローチがあります。ここでの Artifact とは、人工的に作られたものすべてを指し、これにはペンや本なども含まれます。そして Carroll と Kellogg は、そうした Artifact を新たに作り出す先に HCI についての新たな体系的知識を生み出せるとして、具体的なコンピュータシステムの開発を通したアプローチを支持しました [5]。

そうした方向性の先に Research through Design (RtD) というものもあります。これは、様々なステークホルダーを考慮しながら複雑な問題に立ち向かって Artifact をデザインするプロセス自体から、HCI の学術領域に貢献する知識が生み出せるという考え方で [6]、後に HCI 研究の貢献は「我々の問題解決能力の拡大に寄与したか」によって測れるとした Oulasvirta と Hornbæk の主張 [7] につながるものがあります。また、Gaver と Bowers は RtD によって得られた Artifact を並べ、そのデザインの意図や使われ方を論文等で説明したものも HCI 研究の一形態たりうるとして、Annotated Portfolio というアプローチを提唱しました [8]。

一方で、こうした方法論の限界を指摘する声もあります。RtD の拡大の立役者である Zimmerman も RtD で得られた個別具体的な発見がどの程度ほかの文脈で拡張可能なのかを考える必要があるとしていますし [9]、Bowers は Annotated Portfolio が一般的な概念についての包括的な説明や予測を与えるものではないとしています [10]。これは、冒頭でリンクした記事の「おもちゃ HCI は往々にして一発芸の様相を呈しがち」「おもちゃHCIは(他の研究の)礎たりえない」という指摘と通ずる部分があるかもしれません。もちろん RtD 的アプローチが「おもちゃ」であるということではなく、個人的にはむしろ RtD をしっかりと取り入れた研究の数々のしっかりとした構成に学ぶところばかりだと思っています。同時に、個別の事象やシステムへのフォーカスが強めであるという特性との、これら指摘との関連性も否定できない気もします。

Strong Concept

こうした議論の中で Höök と Löwgren は (Strong) Concept という方法論を提示しています [11]。ここでの Concept とは、他の研究者や現場のデザイナに対し、それを参考にした具体的なシステムの設計を可能にする Generative Knowledge(生成的な知識)と定義され、その顕著な例として Alan Kay による Dynabook が挙げられています。実際に Dynabook のアイデアは、1970年代においては単なる構想に過ぎなかったものの、後にその設計思想に基づいたシステムを多数生み出しました。HCI 研究についても同様に、システムを何か1つ作り上げるということを目標にするのではなく、他のシステムの開発を誘発するような知識を積み重ねることを目指すよう提唱しています。

図2. Höök と Löwgren による Concept の位置づけ [11]

そして、そうした Concept の評価軸として以下の3つを挙げています。

  1. Contestable: その Concept は対象の学術領域に対して新たなアイデアを提供するか?

  2. Defensible: その Concept は経験的、分析的、あるいは理論的な根拠を持つか?研究プロセスや議論の流れは厳密であるか?

  3. Substantive: その Concept は対象の学術領域の目標(例えば「良いインタラクションデザインを生み出すこと」)に貢献するか?

「役立つ」とはなにか

こうした議論を踏まえると、HCI 研究において「役立つ」ということの意味を改めて捉え直すことができるのではないでしょうか。もちろん、個々のシステムが(何らかの形で)役立つことを示せなければ、そこから導かれた Concept は Defensible であるとは言えないでしょう。しかし「そのシステムが役立つ」ということは、学術領域を構成するためのごく一部の要素に過ぎません。むしろ Dix が言うように、それぞれのシステムが「なぜ役立ったのか?(あるいは役立たなかったのか?)」という部分を、そのシステムの設計の意図に対応する形で評価することが大切です [12]。

つまり、HCI の Artifact が継続的に役に立たない「おもちゃ」であること自体が、即ち問題とは言えないと思います。ただしその場合は、代わりにその「おもちゃ」から得られる知識が「生成的なもの」として役立つ必要があるでしょう。そのどちらもが満たせければ「(他の研究の)礎たりえない」という誹りは免れ得ないかもしれません。

おわりに

ここまで、HCI 研究の意味論について「おもちゃ」という言葉を補助線に議論してきましたが、これが唯一の正解とは思っていません。HCI コミュニティにおいても幅広い議論が行われていますし、もともと「学術」について議論するということ自体が複雑性をはらんでいます。同時に、学際的な領域としてその対象を広げ続けている HCI 研究において、明確な定義を作ってしまうことが可能性を狭めるのではないかという指摘もあります [8]。Dix は「コミュニティ」と「学術領域」には明示的な差があると述べていますが [12]、HCI 研究において「コミュニティ」という言葉がよく使われているのはそれを反映したものかもしれませんし、そうしたインクルーシブな面は HCI の魅力の1つであるとも思います。

同時に気になっているのが、こうした HCI の方法論や知見が他分野に貢献できる可能性はあるのかという点です。特に LLM の登場以降、自然言語処理や(広く言うと)AI 研究においては個別事象にフォーカスした経験的な研究も増えているように感じます。その中で、それぞれの「学術領域」の定義がどう変わっていくのか、それとも標準的なベンチマークタスクが定義されているからこそ変わらないのか、今後の展開が楽しみです。

おまけ

この記事は、私は博士論文の執筆にあたって改めて調査し、振り返ってみた内容をベースにしています。公聴会を2024年1月19日の夕方に行う予定なので、もし興味のある方がいればぜひご連絡ください。

参考文献

以下の中で、特に HCI とはなにかという点に迷ったときに読んでみるといいかなと思うものを太字にしています。

[1] J. Grudin. 2005. Three faces of human–computer interaction. IEEE Ann. Hist. Comput., 27, 4, 46–62.
[2] M. Chignell, et al. 2023. The Evolution of HCI and Human Factors: Integrating Human and Artificial Intelligence. ACM Trans. Comput.-Hum. Interact., 30, 2, 17:1–17:30.

[3] J. Long and J. Dowell. 1990. Conceptions of the Discipline of HCI: Craft, Applied Science, and Engineering. Proc. BCS HCI, 9–32.
[4] D. Diaper. 1989. The discipline of HCI. Interact Comput, 1, 1, 3–5.
[5] J. M. Carroll and W. A. Kellogg. 1989. Artifact as theory-nexus: hermeneutics meets theory-based design. Proc. ACM CHI, 7–14.
[6] J. Zimmerman, et al. 2007. Research through design as a method for interaction design research in HCI. Proc. ACM CHI, 493–502.
[7] A. Oulasvirta and K. Hornbæk. 2016. HCI Research as Problem-Solving. Proc. ACM CHI, 4956–4967.
[8] B. Gaver and J. Bowers. 2012. Annotated portfolios. Interactions, 19, 4, 40–49.
[9] J. Zimmerman and J. Forlizzi. 2008. The Role of Design Artifacts in Design Theory Construction. Artifact. 2, 1, 41–45.
[10] J. Bowers. 2012. The Logic of Annotated Portfolios: Communicating the Value of ‘Research Through Design’. Proc. ACM DIS, 68–77.
[11] K. Höök and J. Löwgren. 2012. Strong concepts: Intermediate-level knowledge in interaction design research. ACM Trans. Comput.-Hum. Interact., 19, 3, 23:123:18.
[12] A. Dix. 2010. Human–computer interaction: A stable discipline, a nascent science, and the growth of the long tail. Interact. Comput., 22, 1, 13–27.


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?