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第7世代とコロナの奇妙な冒険(中編)

第5部 ~黄金のデルタ株~

ここからが本当の地獄、終わりの始まりである。泣く子も黙るデルタ株、毒性が強すぎる。世間はオリンピックで盛りあがっていたが、保健所内は阿鼻叫喚だった。

40℃の発熱なんてざら、若い低リスク層がガンガン肺炎をこじらせている、本当に気持ち悪いウイルスだと思った。あっという間に病床は埋まり、外来での受診対応も限界だった。療養先がないので在宅酸素でなんとか持ちこたえてもらった人もたくさんいた。泣いてお願いされても、怒鳴られても、自宅療養してもらうしかなかった。

俺が死んだら責任取れよ!家族にうつしたら責任取れよ!こんなに感染が広がってるのはお前らのせいだ!保健所は不満をぶつけられるだけのサンドバッグと化していた。

修羅の国保健所は24時間電話が鳴り響いていた。職員のほとんどが過労死ラインをとうに超え、過労死ラインの2倍超えを叩き出す人もいた。みんな心身ともに限界だった。独身独居でさえこんな生活では気が狂いそうだったのに、小さなお子さんがいる職員、妊娠中の職員も夜遅くまで残業している恐ろしい状況だった。

余裕のない状況で内部抗争も激化し、カチコミをかけたりかけられたり、いたるところで仁義なき戦いが繰り広げられていた。普段温厚な人も、大人しい人も、なんだか別人のようになってしまっていた。

夜間当番の後は特に悲惨だ、一睡もできずに朝を迎え、夜勤帯の対応が終わらず日勤帯も働いた。次の夜までぶっ通しの人もいた。人は24時間働くと目が開かなくなり、歩きながらでも眠ってしまうということを知った。

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それから、寝ない・食べないが続くと思考がおかしくなる。休みの日にふと、過労で朝冷たくなって発見される日が来るのかもしれないなぁと悟り始めるようになった。そして何故か、自分の葬式で流す曲のセットリストを組み始めていた…

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第5波が保健所に与えた打撃は相当なものだった。でるたかぶ かいしんのいちげき である。若い人も含め、たくさんの患者が亡くなった。助けられなかったという思いで、我々のメンタルはさらにやられた。

ここまでなんとかやってきた職員もついに限界を迎え始め、退職・病休が相次いで発生した。ド底辺保健師が心の底から尊敬していた先輩と上司も退職してしまった。突然の報告に、トイレで静かに泣いた。しごできの保健師への負担があまりにも大きかった。

しごできとは程遠いド底辺保健師も、本格的に転職という考えがよぎるようになった。勢いで色んな転職サイトに登録したら、突然鬼のように着信が入るようになりストレス値が高まった。たくさん求人を見たが、働きながら転職活動をする気力も、突然無職になる勇気もなく、結局ずるずると働き続けていた。

秋になると長い長い地獄が終わり、閑散期を迎えた。異動があり、保健所内シャッフルが行われた。これが運の尽きであった。

弊社史上最強のブラック部署へ招集されたのである。グリーンドルフィンストリート刑務所でいう厳正懲罰隔離房(ウルトラセキュリティハウスユニット)だ。
今まではしごできの保健師だけが集められていた精鋭部隊だったが、退職・病休・異動により、ド底辺保健師が穴埋めとして招集されたのである。ギリ健ワイ、最大のピンチだ。

第5.5部  ~第7世代は動かない~

5部と6部の間にも異動はあったが、当然招集されたばかりのワイは動かない。そんな中、年末オミクロン騒動が勃発した。機内全員濃厚接触という強烈ルールのおかげで大混乱だった。クリスマスと正月の予定が狂ったとたくさん怒られた。結局オミクロンの感染は爆発したし、マジで何だったんだこれ。

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第6部 ~オミクロン オーシャン~

満を持して上陸したオミクロン。確かにデルタに比べると軽症ではあったが、圧倒的数の暴力という感じだった。とにかく数が多すぎて対応しきれない、地獄の日々が再来した。ワクチンも普及し始め、心のどこかで第5波以上の波は来ないだろうと平和ボケしていたワイは無事に玉砕した。

そしてさすがの懲罰房棟、ブラックさの格が違う。永遠に湧き出てくる発生届をトリアージしながら、同時進行であらゆる問題客をさばいていくのである。ほとんどが緊急性の高いケースなのでスピード勝負、少しのミスで他人の命を奪うかもしれない、マルチタスクが苦手なギリ健にとって恐ろしい業務だった。母数が増えると問題客の数も増えるので、ド底辺保健師にさえ相談の列ができていた。耳がいくつあっても足りない、休憩どころかトイレに行くことすらできない、人権など存在しない世界線だった。今話しかけないでくださぁいッ!!と裏声シャウトしたこともあった。もはや誰も話しかけるな、話しかけてきたらどつくぞという気持ちだった。あのとき一緒に働いてた人には本当に申し訳ないことをしてしまったと反省している。

おまけに濃厚接触者の期間やら短縮ルールやら、その他マイナーチェンジが多すぎて大混乱。だいたいいつも報道発表が先行するので問い合わせの電話も増える。毎日入れ替わる職員に共有しきれず、間違ったことを伝えてしまい、後々クレームが入るという悪循環だった。

このときのライフスタイルは、朝起きてパンをなんとかつめこみ、夕方手が震え出したらゼリーか置いてあるお菓子を1口2口つまむ、22時頃にやっと昼食用の弁当を食べ、帰宅は深夜2時3時、朝起きてまた出勤するといったところだ。生命活動を維持できただけで奇跡である。

夜間当番の日はさらに悲惨だ。タイミングを見計らってもシャワー中に電話が鳴る。びちゃびちゃ全裸のまま、デスノートのLみたいな持ち方で電話を取る。電話してる間に不在着信が溜まる。ちょっと寝ようかと思えばまたすぐ鳴り、いつの間にか朝を迎えるのである。

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そしてこんな地獄空間で当然応援職員や派遣職員の不満も爆発。限界突破している中、そんな対応も相まってストレス値がカンストした。

第6波が収束に差し掛かった頃、年度始めの異動イベが発生した。さすがにそろそろ刑期満了だろうとタカをくくっていたが玉砕、それどころか懲罰房棟の半分が入れ替わってしまい、残された受刑者の業務分担がカオスなことになってしまった。なんとかGWまでは頑張ろうと自分で自分の尻をペチペチ叩いてみたが、ここでついにド底辺保健師のフィジカルが悲鳴をあげ、2ヶ月の活動休止を発表した。

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第6.5部  ~恥知らずのお休みヘイズ~

2ヶ月のお休みは天国だった。3食好きな時間に好きなだけ食べられる、トイレ行くのに謝らなくていい、次の日仕事だというプレッシャーがない。くぅ~これが人権てヤツかぁ~っ!染みるぜ!と気づいたら声に出していた。突然休んでごめんなさいという気持ちは最後までのしかかっていたが、こんな状況で働いてどデカいミスをする方が迷惑だと言い聞かせて休んだ。ここぞとばかりに好きなことを好きなだけしたゴールデンマンスだった。


~おまけ~

弊社の派遣ナースたちは優秀でかわいくて面白いおねいさんたちばかりだった。臨床経験ゼロのペーパー看護師のワイと違って色々な経験をされてきた方々だ。そんな皆さんから今までの職場の話を聞くと、どこの病院も真っ黒だった。労基法が通用しないアウトローの世界だ。ワイなんかはまだ恵まれてる方だと思えた。

コロナ病棟を辞めて転職してきた人もたくさんいた。どこもひどい扱いだった。いつも夜中に入院をぶち込んでしまい、本当にごめんなさいという気持ちになった。

こんなに優秀な看護師たちが辞めざるを得ない環境が改善される日は来るのだろうか…ニッポンの未来は…ウォウ ウォウ…


後編へつづく…