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第7世代とコロナの奇妙な冒険(前編)

お待たせいたしました、お待たせしすぎたかもしれません。ついにコロナ業務卒業発表をした保健所第7世代です。

ストロングゼロ片手に書かれた恨みつらみの数々、デスnoteへようこそ。最初に宣言しておきますが、有益なことは全く書いていません。詳しいデータとか、保健師の専門知識的なこととかも全くないです。ご了承ください。

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~ド底辺保健師の経歴~

19××年、秋の深夜に2495gで爆誕。生まれてすぐ我慢できず排尿してしまったせいでギリギリ低出生体重児となってしまったワイだが、平凡にそこそこの大きさまで成長した。

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なんやかんやで進路を決める時期になった。本当は私立文系に進みたかったが、母子家庭で育ったワイは「バカとブスは国公立理系へ行け」とオトナたちから圧をかけられ、なんとなくかっこいいし食いっぱぐれなさそうな看護学部へ進学した。そして周りの意識の高さに圧倒されながらクズキャラを確立。元々微細運動が壊滅的にダメなワイは、技術テストの再試常連だった。採血の実習で同級生の腕にバカでかい内出血をつくりあげた瞬間、「あ、これ無理なやつだわ」と思い保健師へシフトチェンジした。

そんなきっかけだけど、実父がDVモラ男だったこと、自分がギリ健で困った経験から母子保健分野に興味を持ち、行政保健師を目指した。アルコールとニコチンの力を借りながら、実習・卒研・就活・国試の4大苦を無事に乗り越え、晴れて行政保健師となったのである。

就職後は意識低い系ド底辺保健師としてヒィヒィいいながらも、非常~~に恵まれた環境で優しき人々とともに細々と働いていた。

2019年、突如新型コロナウイルスが誕生。残業中に偉い人から突然肩を叩かれ「来週からコロナね」と赤紙を渡されたのであった。

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本編:第7世代とコロナの奇妙な冒険

第1部~ファントムウイルス~

配属された当初ワイが担当したのは患者の搬送業務だった。今では考えられないが当初は患者1人1人の搬送に必ず保健師が同乗していたのである。初めてのフルPPE、未知のウイルス相手に独身独居をメインに固められた特攻隊だった。毎日感染に怯え、生まれ持っての頻尿のワイは尿意とも戦いながら日々の業務をこなしていた。この時期はまだ受け入れてくれる医療機関も少なく、半日以上飲まず食わずで車内に拘束されることもあった。が、幸いにも1度も漏らすことはなく、脱水にならずに尿意をコントロールする飲水制限のコツを掴んだのであった。

世間がマスク不足騒動となる中、我々のPPEも足りなくなり死活問題となった。その対処法としておじさんが汗だくになったあとの使用済みPPEを乾かして再利用したり、ゴミ袋を着せられたりした。何の罰ゲームだよと思った。

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搬送がない時間はコールセンターのお手伝いをした。初期は「検査させろ」「陽性者の個人情報を公開しろ」が主訴だった。電話越しにわざとバカでかい咳をしてきたジジイ、「死ね!!」とどストレートに罵ってきたババア、忘れねえからな。


第2部~感染潮流~

いわゆる夜の街クラスターなどがトレンド入りした時期である。ホスクラの闇を知った夏であった。この時期も毎日PPE生活をしていた。

真後ろで超巨体の患者が車体を揺らしながら激しく咳込んでいたときは色々な意味で震えた。暴風雨の中吹っ飛ばされたフェイスシールドを回収するためN95で全力疾走し意識を飛ばしかけたことも、偉い人に運転してもらっているのに横で爆睡してしまったこともあった。旅行気分で騒ぐ外国人にブチ切れたこともあった。Google翻訳で「いい加減にしてください」を翻訳する日が来るとは思ってもなかった。

フルPPEで出動すると、「バイ菌扱いしやがって!」と怒鳴られることもあった。菌じゃなくてウイルスですよ、とマジレスしたい気持ちを抑えて謝った。

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第3部~クラスターダストクルセイダーズ~

確か高齢者施設でのクラスターが勃発し始めたのがこの頃だ。あっという間に病床が埋まり、状態の悪い高齢者の行き場がなくなった。施設も大パニックである。この頃は患者や濃厚接触者の受診調整や疫学調査をしていた。施設関係者や家族とやりとりすることもあったが激しめに怒鳴られて心が折れそうだった。どうにかしたいけど、病床、ないんだもん…。自分もおばあちゃん子だから施設でうつされてブチギレる気持ちは理解できる、けど、どうしようもなかった。クラスター対応をメインでやっていた人たちは本当に大変だったと思う。ブラックな営業をしている施設もあり、介護の世界の闇を知った。

当時は行動歴まで洗っていたが、疫学調査という名のライアーゲームだった。言った言わないでたくさん揉めながら心理戦を繰り広げた。この頃は濃厚接触者が14日間の外出自粛を求められていたが、今思うと恐ろしい行動制限だ。働けない濃厚接触者の保証はないのかと、たくさん怒られた。

そんな折りも折り、クラスター発表をする度に地域のご意見番(笑)みたいな奴からクレームの電話が来ていた。みんな心身ともにやられていた。施設側も保健所側も必死やねん…勘弁してほしかった。

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連絡が取れない患者の安否確認のために自宅へ突撃することもしばしばあった。頼むから生きててくれッ…!と心拍数を爆上げしながら突撃するが、楽しそうに晩ご飯中!とか、スイマセン寝てました~!とか、あれ、これ何かのロケだったっけと錯覚するような光景だった。謎の運の強さでこんな案件ばかりだったけど、中には本当に大変なことになっていたケースもあった。とにかく自宅で人が亡くならないように、みんなプレッシャーに潰されそうになりながら働いていた。


第4部 ~アルファ株は砕けない~

変異株騒動が起き始めたのがこの頃だったような。ゲノム解析のためにわざわざ検体回収したり、変異株患者の療養先でもめたりとか色々大変だったような気がする。

年度始めで異動もあり、中の人たちはぐちゃぐちゃだった。世間は卒業式入学式の時期で、療養期間やら健康観察期間やらで式に出られねえじゃねえか!と怒鳴られるのは春の風物詩となった。

ワイは下っ端だし、1年くらいやれば前の職場に帰れるかな~なんて思っていたけど、そんなにあまっちょろいもんじゃなかった。

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~おまけ~

初期の頃、緊急事態宣言中はもちろん、解除されたあともリスクのある仕事をしていたため休みの日は引きこもっていた。家でゾンビ映画やパニック映画を観たり、闇金ウシジマくんを読んだりしていた。コロナはゾンビウイルスではないし、家の中にサメも出ない、闇金に手を出してもいないしまだマシだなと自我を保った。ワイは性格が悪いので、自分よりひどい目に合っている人々を見て生きるモチベーションを上げていたのである。

そんな状況を心配してくれる優しき仲間からいただいたスタバチケットやアマギフは、ワイのQOLを爆上げさせてくれた。謝謝…


中編につづく…