東欧製人形少女は坊主頭の野球少年にほほ笑んだ / 芸術未満 16
小学校の子供たちは実際の異性その者より、自身の勝手な思い込みで好きになる相手が簡単に変わってしまう。何とも思っていなかった誰かがふと急に気になり出し、翌日には小下田は既にその相手に熱を上げていることもあった。
日曜の夜に放送されていたアニメで、悲惨な境遇の女の子が「一日の良かった出来事」を屋根裏で就寝前に数え上げるシーンがあった。「よかったさがし」と健気な彼女が呼ぶその行為を下田も覚えていた。
きょう一日で「良かったこと」はあるだろうか。
学校で級友らが教師に呼び出され、半べそをかきながら謝罪を強要させられているのを見た。
好きな女児の名を稲草たちに大声で言いふらされてしまい、慌てて(両手を振り回しながら)困惑顔で否定し続ける同級生を見た。
帰り道にある見知らぬ会社のロビーで(「冷た~い」とシールが貼られ、足でペダルを踏んで噴出させる直方体の)水を延々と友だちと飲んでいたら警備員に怒られた。
「良かったこと」を数え上げるのは難しく、全く浮かんでこない。「嫌だったこと」は無理せずとも自然と次々に湧き上がってくる。
「よかったさがし」がクラスの女子たちに対する「美点さがし」であれば、下田はずっと数え上げることができそうだった。
おっとりした大人しいペンギンのような同級生が美人に見えてきたり、どぎつく乱暴な関西女児の魅力にいきなり気付かされることもあった。下田はもちろんそのような事を同級生に洩らすようなことはなかった。
誰が誰を好きか、というのは言葉にしたとたん、その感情が本人から取り上げられ、さんざ面白がられた挙句、すっかり原形を留めぬ形となってごみとして捨てられてしまう。子供たちが残酷にいじくり回した残骸が学校の廊下などに幾つも投げ出されている。
気の毒なほど蒼白な顔で「好きな相手」の名を全力で隠そうとする同級生、長谷川の顔が浮かんでくる。
……………………………
アリサという名の、肌が白く瞳が茶色い美少女が隣のクラスにいた。長谷川は彼女を好きということが、事もあろうに野球部のメンバーに見抜かれてしまった。長谷川は坊主頭で前歯が欠けていたので、笑うと自然と場が和んでしまうくらいひょうきんな顔をしていた。
一方、当の美少女、藤井アリサは東欧球体関節人形のように世俗離れした凄みのある美少女だった。その極端にちぐはぐな組み合わせが誰しも意外で面白く「ハセやん(長谷川の通称)は藤井を好きなんやって」と瞬く間に噂は広まった。稲草が子分に命じ、その内容を叫ばせながら学校の廊下を何往復かさせた。噂を聞いた児童らは「なんでやねん」「ありえへん」「藤井さんってガイジンさんとちゃうん」「ハセやん泣いとったで」などと格好の嘲笑の的となった。
アリサには野球部に弟がいた。ハセやんはその弟をどうやら特別扱いし優しく接していたようなのである。一軍の剛腕ピッチャーである稲草に問い詰められ、二軍補欠の気弱な長谷川は白状させられた。
「姉に近付くため、弟を利用した」というのだった。冤罪ではなかろうか。弟についてはともかく、長谷川の気持ちは事実のようだった。恐ろしい顔つきの稲草とその子分らに囲まれ、依怙贔屓を難詰されたハセやんは「えへへ」と泣きそうな顔をした。
ハセやんの醜態を尻目に、美少女のアリサは白いドレスのような服を着て、日陰で涼しい顔をしていた。「自分のことで苦しんでいる野球部の男子児童」などまるで眼中にないようで、彼女の残酷な美は「醜」である長谷川とセットで強く引き立たされていた。
下田は恐るべき藤井アリサとは同じクラスになったことはなかった。もし彼女と同じ教室にいたら西洋風の芳香な毒針に下田も瞬時に気を失っていただろう。ハセやんのような醜態を晒すことは何としても避けなければならなかった。
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