本で一番好きなのは太宰の『晩年』と、彼女ははっきり言った / 芸術未満 10

 ノートに描いた「地獄の絵」を下田に見せられた遠野モリカはしばらく黙っていた。反応が特にないので「悪くは思ってないのだろう」と下田は自惚れた。遠野は何も言わず、黙って俯いているだけだった。
 美術部の「礫」には(授業の合間などにも)立ち寄るようになっていた。森はマンガ家を目指していた。滝本は大学教授の息子で、テレビ雑誌のコラムからサンリオ文庫まで色々な事を知っており、才気が迸っていた。
 「礫」の上級生には背が高く、モデルを(アルバイトで)やっている蒼井という女子学生もいた。3回生なのであまり会う機会がなかったが真木という学生も強烈な印象だった。下田は初めて彼女に会った際、一体この人は、男なのか女なのだろうかと分からなかった。小柄な彼女は(胸の目立たない)黒いライダースジャケットを着、パイプ椅子にあぐらをかいて、大きな目で下田を見た。真木に見入られると、心の中を見透かされるような気がした。
 太宰の本で何が好きか、と真木に居合のように問われ、何と答えるべきか迷ったが『グッド・バイ』です、と下田は一瞬の間で言った。(衒ったことを言っても見抜かれると思った。)
 下田は高校生の頃から太宰治を偏愛していた。「ジーザス会」に行ったのも元を辿れば彼の影響だった。しかしながら「太宰治が好きです」と憚りなく言うのは恥ずかしいんじゃないかと(薄々ながら)下田も気付いてきた頃であった。
 真木は、だが「本で一番好きなのは太宰の『晩年』」と(他に部員のいるサークル室で)はっきり言った。
 下田はその潔い言い切りに、どこか翳のある美学(ハードボイルド)を感じた。彼女は女性であったが、ギターの似合う少年のようであった。いつもタバコを何本も吸っている彼女は、本当は不良少年になりたいのではと(畏れ多くも)下田は思うことがあった。
「礫」の3回生同士は仲が良いらしかった。伊野という女子学生は経理担当で雰囲気や身のこなしが「アート・プロデューサー」然としていた。才能を適材適所にコーディネートしていくようなところがある。
 サークル室の落書き(稲垣タルホのホーキ星)を描いたのは真木であった。彼女に見詰められると(お前は一体何をやってるんだ)と難詰する声が自身の内部から聞こえてきそうだった。(実際の真木は他人にそのようなことは言わなかった。)下田は退廃的なパンクスのような真木を畏怖の目で見ていた。下田はふと(彼女の心は充たされない、おれの心も同じく充たされない…)と間抜けた一節が浮かんだ。
 彼女は暗い顔でぷかぷかと煙草を吸っては洒落た絵を描いていた。
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 太宰治風のインバネスコートを着て歩いている学生がいた。彼は七澤という神学部生だった。下田は歴史哲学研究会で彼と初めて出会った。マッシュルームカットで全身黒づくめの長身学生が「歴哲」サークル室に亡霊のように入ってきた。
「歴哲」の部長は、大学自治会の委員長でもあった。
下田は以前、ドキュメンタリー番組でミュンヘンオリンピックテロ事件の映像を見たことがあった。犯行を行ったとされるグループの若者がインタビューに応えていた。洋服(ジーンズとセーター等)を着ているが中東の若者らしい彼は意志的で爛々と燃える目をしていた。古いモノクロ映像だったが、確固とした姿は全身是意志という印象で(危険かも知れないが)ともすると美しいと思えるほどだった。
「歴哲」部長の橘高は、その青年に(精悍な目などが)どこか似ていた。
少し呆れるように大きく息を吸い、
「なぜこの大学に入ろうと思ったのか」
と(溜息と共に)橘高は1回生らに問うた。
 前日もやはり酒を飲んでいたらしい(以前サークル室にいた)女子学生も眠そうに机に俯していた。(彼女は手塚治虫の「ばるぼら」に似ていた。名は坂縞といった。)
「牧師の勉強をするためです」と七澤は言った。下田は何と言うべきか迷っていると、
「大学が有名だから?」と自治会委員長が先んじて言った。
 橘高部長は自治会を運営する中で大学「当局」と衝突を繰り返し、学内の深い闇に絶望しかけているようだった。彼は詳しい話は(その時は)しなかった。ただ、深い溜息を何度かした。
 下田はテロリストのような意志的な目をした橘高委員長が「昭和初期の革命家」のようにも見えた。彼のような鋭い(しかも優しい)目をした男性は見たことがない。だが下田は大学自治会活動は興味がなかった。
 七澤は自治会や学生寮の運営に少し興味があるようだった。
 部屋を出た後、七澤は「あの坂縞って女の子、フリーセックスとか言うてなかったっけ? そんなこと前、言うとったと思うけど」と部長の話とは全く無関係な事を言い始め、「下田、こんどウチに遊びに来いや。大阪やからそんな遠ないで」と(階段を二段抜かしで上りながら)言った。
 彼は太宰治と宮沢賢治が好きでロックバンドもやっていた。高校生の時には映画を撮り、有名なフィルムフェスティバルで受賞したこともあるとのことだった。
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