カメラアシスタントが美しいコーラスを披露する /14
スタジオで撮影に立ち会ってるとき
何度か助手としてカメラを操作している
女性がいた。
はじめの頃はアイサツするだけであったが
撮影で数回会ってるうち
下田は(休憩中)彼女に話しかけた。
「あの、すいません、お名前何でしたっけ…」
下田は彼女の名前すら覚えていなかった。
「桜井です」と彼女はこたえた。
「ああ、そう、そうでした。すいません…ええと…」
(ちょうど制作していたビデオが
「働き方改革」などの労働条件に関わるものだったので)
「…桜井さんは有給休暇とか、取ってますか?」
「わたし、アルバイトなんです。
週3日位しか、ここにも来ないし…」
下田はなぜ、彼女が映像制作ギョウムをしてるのか聞いた。
「大学が美大で、映像学科だったんです。」
小柄で日本画に描かれていそうな切れ長目の人である。
彼女を美人である、という人は、おそらくかなりいるだろう。
「そうなんですねー。映像制作って、今でも続けてたりするんですか。」
続けているなら、見てみたいし
かんたんなものなら、もしかしたら発注できるかもしれない、
と下田は思う。
「もう、やってないです。ほとんど…」と
うつむくように小声でいう。
このスタジオは窓がなく、密室なので
ときどき、気分転換しなくちゃいけない。
年上の男性(下田ともう1人の講師役)らと密閉空間にいるのは
彼女も息苦しそうではある。(それほど気にすることないか?)
----------------------
労働関連の講義映像の撮影は進んだ。
----------------------
彼女は映像制作ではなく、音楽活動をしているという。
インディーズバンドで女性4人でカツドウしている。
CDも3枚だしている。
下田はバンド名をたずねたが、知らない名前だった。
と、横にいた講師男性がスマホで彼女のバンド名で検索し出した。
本人の前で検索するのは
彼女が照れくさいのではと思ったが、下田も例の
amazon music HD にバンド名を入力した。
そこに出たのは
いつか「あなたへのおすすめ」に表示されたアルバム画像だった。
下田は音楽配信アプリの「おすすめ」機能を
気に入ってはいたが、キカイ推薦曲のほとんどは、
出だしのイントロだけ聴いて、さっさとスキップしてしまうことも多い。
彼女たちの曲も、同じようにとばしてしまったような記憶がある。
下田は当然そのことは言えない。
「今度、聴いてみてくださいね」とはにかんだように彼女は言った。
------------------------
彼女の名前も憶えていない下田だったが
以前、街なかで彼女を見たことがある。
彼女の日本美人風のすがたや雰囲気は分かっているので
見かければ分かるのである。
目も合ったような気もしたが、話したこともほとんどないので
そのまますれ違ってしまった。
会釈でもすればよかったかと下田は思ったが
向こうはまったく認識していないかもしれないので
もう気にすることはやめた。
その場所は彼の住む近くの駅で、古い病院もあり
なんとなく寂しい商店街だった。
------------------------
商店街で見かけたことは下田は言わなかった。
言ったら気味わるがられるような気もする。
電車で移動中、彼女らの音楽を改めて聴いた。
アイルランド民謡風のロックで
女性ボーカル4人のコーラスが美しかった。
これを下田は聴き続けるだろうか
と問われれば、疑問だった。
あまりに上品で洗練されていて
下田の好みとはかけ離れていた。
しかし美しい音楽であることは確かだとおもう。
-------------------------
バンドの楽曲プロモーションビデオは美大出身の桜井さん自身が
作っているという。
youtube からのリンクで
彼女らのインタビューページなどに辿りついた。
撮影スタジオの雰囲気のまま、はにかみながら
質問に答えているようで、インタビュアーのライター氏が
困惑してるようなのが分かった。
ある有名バンドのベーシストに
彼女らのグループは気に入ってもらっているとのこと。
彼女はもうすぐ30歳だという。
はにかんでうつむいている姿ばかり目にしているので
大学を出たばかりぐらいの年齢だと思っていた。
ステージ上では堂々とギターを弾きながら
聴衆らの歓声に応えているのだろうか。
彼女は音楽活動をしていることはアルバイト先には
あまり公にしていないようだった。
彼女の上司など、一部の人にしか伝えていなかった。
下田は彼女のライブには行かないだろう。
(電車のなかで1度再生させ、もう1度
確認のため、家でも聴いてみたが、それきりだった)
-------------------------
ライブにはどんなお客さんがくるの? と
講師男性(塩原という名)が聞いた。
「二分されていますね。
一方は、やや、年齢が上の方というか(言いにくそうに)…」
「あ、こんなかんじの人たち?」と勘のするどい塩原は下田を指す。
(苦笑いしながら)「はい、まあ何というか
音楽マニアの方たちというか、楽曲をきちんと聴いてくださっていて、
ありがたいです。
そしてもう一方は、若い大学生の女の子たちですね。
カバーさせてください、って言ってきたり」
ああ、そうだ、「ポップしなないで」のライブもすこし
似たような聴衆構成かもしれない。
ポップしなないで、の方は大学生風の男性も多いかもしれない。
塩原の指摘の手前、下田はゆがんだような笑顔をうかべている。
-----------------------
労働講義ビデオの撮影前日は、祝日だった。
(ほーむぺーじで後に知ったが)
彼女たちのバンドはその日、有名なミュージシャンたちと一緒にライブを行っていた。
彼女はアルバイトの業務中、そのことは一切ふれなかった。
下田も知っていて曲を聴いたこともある(が数曲でスキップした)
音楽家だ。
折り目正しい、整然とした音楽で、混沌とした発狂(寸前のような)音楽を聴きたい下田のしゅみではない。
彼女はその音楽家の名を出せば、自慢のようになると思ったのか
撮影ギョウムと音楽活動は(整然と)分けているのか
言っても仕方がないと思ったのか
下田はしばらくかんがえた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?