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十月書房で乱歩翁がパイプを燻らせる / 芸術未満 25

 一人暮らし用の穴ぐらでもあるかのような宇治小倉の小部屋に一人で帰っても気が重く、面白くもないことが多かった。下田は大学からの帰路、一人でいるという不安や恐怖を正視するのを避けたく、正体不明の焦燥心に煽られ田園地帯の宇治小倉をやり過ごし、無意味と思いつつも河原町三条辺りにまで行ってしまうことがあった。

 インターネットもない、音楽配信もない、アイフォンもグーグルもアマゾンもSNSもない過去世界なので、孤独を紛らわす下田の行動は商業ビル内の本屋やCD店を見て回り、寺社やら鴨川近辺を当てもなく無計画に歩く程度だった。

 幼少から京都で育った都人の滝本に下田はあるとき質問をした。以前新聞で見たのだが、着物姿の若旦那が雑居ビルで稀少本を扱う古書店を知らないかどうか、と。あやふやな記憶で店名すら分からず、探すにも曖昧過ぎてどうしようもなかった。滝本はその代わりに、よく行く本屋を下田に教えてくれた。

 それは三条御池付近の「十月書房」という本屋だった。

 通りに面した外観は古書店のようだったが、歴とした新刊書店だった。滝本はその本屋に昔からよく来ているとのことだった。どこか駄菓子屋のような今にも崩れかねない家屋で他に見たことがない本屋だった。

 それは例えば以下のような本屋ではない。
 駅からの商店街、昭和中期からのマネキンが現役で置かれた洋品店の隣、変色した食品サンプルが飾られた青ガラス軽食喫茶の向かい、店外棚に『小学1年生』が十字に縛られ平積みになっている…というような地方の本屋ではない。

 昔からの一軒家のようで作りは古いが、本屋の主が厳選した書籍が置かれている印象だった。売れ筋狙いではない、地味だが堅実なような本が多く並んでいた。下田の好きな本も何冊か置かれていた。

 大正時代のような匂いがするこの店を下田は気に入った。滝本が多く持っている『ガロ』系の漫画も揃っていた。書店入口付近に婦人誌やベストセラー本も少し置かれてはいたが、申し訳程度であった。新刊書店でありながら独特な価値観を持つ本屋というものを下田は初めて見た。

 店の奥には鼈甲の額縁眼鏡を掛けパイプを燻らせる、老江戸川乱歩のような恰幅の良い店主翁がどっしりと座っていた。書店内は狭く、客もほとんど居なかったので店主と二人きりになってしまうことが多かった。

 車通りも少なく、無音楽の店内は壁時計の秒針が進む音だけが頭上の柱から聞こえ、ふと祖父母の家に来たような錯覚に陥ることがあった。パイプ煙草の匂いは嫌いではない。静謐な店内で居並ぶ神秘学の本を眺めながらであれば、むしろこの匂いがあるのも良い気がしてくる。店主翁の孫らしい小学生が赤いランドセルで店先に帰宅してくることもあった。

 宗教や芸術、哲学や性についてなど溢れ返った謎についてあまりに分からないことだらけで一体何が本当のことなのか、どうすれば少しでもヒントだけでも良いから手に入るのかと、下田はグルジェフやウスペンスキー、アーサー・ケストラーやケン・ウィルバーなど工作舎や神秘学関連の本棚ばかりを眺めていた。

 アマゾンもインターネットもないため欲しい本は書店に注文するか、十月書房で売られているものを買うしかなかった。

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