『ライ麦畑でつかまえて』は(予想通り)お気に入りにはならなかった / 芸術未満 6

 高校生の頃、下田は一度だけ女性と「デート」(とは呼べないかもしれないが)したことがあった。学校の教師とだった。
下田は横浜の県立高校に通っていた。1年生の頃、国語教師が産休となり、代理として赴任してきたのが渡瀬教師だった。
 要領が良く功利的過ぎるような周囲の空気に溶け込めず、浮きがちの下田は授業中にも勝手に本を読んでいた。
「何を読んでるの」と気付いた渡瀬が下田に言った。
「すいません」と下田は本を片付けようとした。
「あ、いいのいいの、別に。何の本?」
 それは(無理して読んでいた)ジョン・アービングの『ホテル・ニューハンプシャー』だった。テレビで映画を見て、何となく原作も読んでいるだけだった。特に面白いとも思わないが(こんな本を読んでいる自分)を意識していた。
 下田は学校にうんざりしていた。授業など誰も聞いてないのではないかと思った。机に向かい、黒板の文字を書き写して一体、何の意味がある?
 渡瀬は大学を出たばかりで、教師として学校で教えるのは初めてだった。
 彼女は小柄で下田や他の男子生徒よりも随分背が低かった。「同じ国語の先生に『生徒になめられるなよ』って注意されました。ほんとは(みんなのような聞き分けの良い)進学校じゃなくてもっと荒れた学校が希望だったんだけど、ここに来ました」と彼女は言った。
 彼女はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が好きなようだった。
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 下田は夏休み前の定期試験時にあまりにバカバカしく、解答用紙の隅に渡瀬に短文を書いた。曰く「今度一緒に映画に行きましょう」
 半分冗談だったので無視されると思っていたが赤ペンで「ぜひぜひ」と書かれた解答用紙が戻ってきた。
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 倫理哲学も教えている社会科の男性教師がいた。その彼は「渡瀬先生に気がある」と女子生徒らが(退屈をやり過ごす格好の暇潰しとして)囃し立てていた。「港の見える丘公園で二人がいちゃついているのを見た」というありきたりな噂が立ち、雌鶏のように騒ぎ立てたい女子生徒らは更に興奮していた。
 にやついた社会科教師は「そんなことありませんから」と言いつつ、噂されることにまんざらでもない様子だった。
 社会科教師は怯えたような、推し量るような目で下田を見た。
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 夏休みに渡瀬と下田は二人で本当に映画に行った。下田は女性と出掛けるのは初めてだった。同級生の誰にも話していなかった。話したら嘲笑の的どころか彼女の進退にも関わるかもしれない。彼女は既に教師は自分に合わないと思っていたのかもしれない。
 映画は駄作で、この映画を選んだことを下田は長い間後悔し続けた。彼女は学校に着てこないような黒い丸首ジャケット(とぴったりしたタイトスカート)姿で下田は白いシャツの胸ばかりに目が行きそうになった。
 映画を見て、ジュースを飲んで関内から帰りの電車に乗った。
 電車に乗るとき「向こうの車両に行こう」と渡瀬が下田に言った。「教頭に似た人がいた」と心配そうに後ろを見ている。
「今日、家を出るとき母に『気を付けてね』って言われちゃった」
 どういうことですか、と訊ねると「ほら最近事件あったでしょ、学校の先生が生徒を殺めちゃったっていう」
 下田は新聞でそのような記事を読んだ気もした。もう夜だった。どんな本が好きなのか電車の中で下田は訊ねた。
 言うべきか迷ったような顔で渡瀬は「好きじゃないかもしれないけど『ライ麦畑でつかまえて』って本があるの。知ってる?」
 下田は題名は聞いたことがあるが読んだことはない。「男の子が出てきてね…」と渡瀬は説明した。「だけど、好きじゃないかもしれない」と渡瀬は困ったような表情で言った。
 映画はジム・ジャームッシュで『ストレンジャー・ザン・パラダイス』。スクリーミング・ジェイ・ホーキンスって人の歌も合ってる。モノクロ画面で真っ暗になったり、単調そうなんだけど、それが快感なの。「掃除をする」って言うんじゃなくて「ワニを窒息させる」って言うの…おかしいでしょ。
 下田は彼女の薦める本と映画をしっかり律義に見、かつ読んだ。
 音楽はYMO。下田くんとかはもう知らないのかな。暗くてね、でもイイの。
 乗り継ぎで電車を降り、ホームの端でしばらく待った。新杉田から海浜工場地帯の夜景が見える。気持ちいいな、夜景がきれい、と夜風の中で渡瀬が言った。暑苦しい車両から出て、夜の駅は確かに涼しかった。下田は子供のような彼女の笑顔を見た。
今日はたのしかった、と別れ際、渡瀬は言った。下田もお礼を言った。
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 ある日、授業中に渡瀬は教壇で話し始めた。
「知ってる人もいると思うけど、この前、イギリス人の高校生がこの学校を見学に来ていたの。
彼はここの生徒の友人で、日本に遊びに来ていたんだけれど『日本の高校が見たい』っていう彼を、学校に断らずに生徒が黙って連れてきたの」
「それを教頭先生は許さない、って」「出て行ってもらう、って」「それくらい別にイイじゃん、って思うんだけど…」「決まりばっかり優先させなくてもね。『規則、規則』って言っても、少しぐらい柔軟に対応すれば良いと思うの。規則に自分たちが縛られて、生徒の想いがないがしろにされてる。それくらい、規則なんてどうにでもなるでしょう、って思っちゃうの。教師の私が言ってはいけないのかもしれないけど…」
 渡瀬の話は(いつものように)生徒のほとんどが聞いていなかった。しかし途中で彼女の声は熱を帯び始め、真剣さに気付いた生徒らはどこか決まり悪そうに静まり返った。
授業後、渡瀬が居なくなると、前の席にいた男子生徒がここぞとばかりに「渡瀬ちゃん、熱く語っちゃってんね」と冷笑してみせた。(言った後、空々しそうに彼は目を伏せる。しばらくの間、彼は言ったことの援護を待っているように見えた。)年齢も近く、小柄で童顔な渡瀬は生徒らを御せなくなっていた。一部の女子生徒たちは同調し合い、ひそひそと悪口を言っているようだった。下田は教室を出た。
 教室から離れた廊下で渡瀬は他クラスの生徒と話していた。下田は彼女に何か言おうとしたが、近付けなかった。
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 下田らが2年に進級し、しばらくして彼女は教師を辞めた。『ライ麦畑でつかまえて』は(渡瀬の予想通り)下田のお気に入りにはならなかった。ジム・ジャームッシュは下田の大好きな映画監督となった。YMOは長い間、聴くことがなかったが、数年後(細野晴臣の横浜中華街ライブ映像を偶然見てから)俄然聴き始めた。
 渡瀬はどんな先生になりたかったのだろうか。ライ麦畑のホールデンみたいな存在だろうか。「みんなと同じ」であれという学校教育の中で下田は違和感と疎外感しか持てなかった。生徒のぬけぬけとした申し出を受け入れてくれた彼女も強烈な反抗的異端児で「変わり者」なのだろう。
 渡瀬が赴任してしばらく後、学校新聞に彼女の小さな記事が載った。パリで撮った写真が一緒に掲載されていた(ノートルダム大聖堂の悪魔を笑顔で触っている)。記事の中で彼女は「大学で暗く悩んでいた」と書いていた。「しかし、パリで会ったおじさんの話を聞き、悩んでいても仕方ないと思った。笑顔でいようと思った。」記事は「わたしの青春」という題で、教師らの連続物のようだった。
「青春については書けない。私はまだ青春の中にいるから」と記されていた。渡瀬が学校を辞めてしまった後、下田はその荒いモノクロ写真を見た。駅のホームで見た笑顔と同じだと思った。
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