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血を業火で燃やせば、きっと燃えるような赤い薔薇になる…だろう / 芸術未満 19

 美術部「礫」の部室は、滝本が積極的に呼び掛けを行ったこともあり、「あそびげい」(美学及芸術学科)の1回生らを中心に何人か集まるようになってきていた。しかし集まったとしても取り立てて何かがあるのでもなく、授業の合間に(誰かいるかなと)立ち寄る位で、特に活発に活動している訳ではなかった。

 サークル用の部屋がある田尻キャンパスの学生会館には美術サークル用の「美術室」もあった。フロアの4分の1ほどを占める面積で、イーゼルが置かれていたり、絵の具が散らばっていたりと雑然としているが広々としていた。

「ここは使ってもええけど、隣の『カモ画会』と共同やねん」と先輩の森が言った。

 聞くところによると「礫」と「カモ画会」は折り合いが悪く、いざこざが多いとのことだった。しかし改めて思うに「カモ画会」というサークル名はどうであろうか。カモは鴨川のカモらしかった。

「こっちは別に何とも思ってないのだが向こうがいちゃもんを付けてくるんだ」と田尻キャンパスでの「礫」部長である短髪痩身の大伴も言った。

 動作の機敏な大伴はハキハキとして明朗、スポーツが似合う「お洒落な美容師」といった風貌で、憂鬱そうなところがあまりなかった。あるとき、大伴が入部希望者に向かい説明をしているのを下田は聞いた。「ウチらは、アートのスタイルっていうのかな、ファッション性を大事にしているところがある。絵を真面目にやるなら隣の「カモ画会」さんの方が合っているかな。お隣さんなら技術的なところも面倒も見てくれるのかもしれない。ウチはそこまでストイックでないというか、そう、アートっぽい雰囲気、表面、まずは形から、というかね、それを楽しむ。お隣さんとウチとではそういう違いがあるかな。」

 下田は大伴のその説明を聞いたとき「やけにはっきり言うんだな」と思った。自分はそんなことを聞いていないとも思った。

 大伴はサークル室に来ることが少なく、何をしているのか、一体そもそも何が好きなのかもよく分からなかった。サークル部屋には頻繁に用もなく来るものではないのかもしれない。だが無意味に部屋に集うことに、人恋しい下田は賛成だった。足繁く通い、部屋を大活用する滝本や下田など新入生たちを大伴は冷ややかに見ていたのかも知れない。

 1回生たちは大伴に懐かなかった。

 大伴部長のようにファッショナブルに髪形や服装などを意識しようとする者は新1回生の男子には皆無だった。「アートっぽい雰囲気」ね、と下田は思う。そういえば2回生の森さんもベレー帽を被ったりして洒落たところもあった。3回生のデカダンス真木さんやアートプロデューサー伊野さんも確かにさりげなくもスタイリッシュである。なるほど、大伴部長の「まずは形から」というのは、今まで思いもしなかったがこれまでの美術部「礫」を表す達見なのかも知れない。

 滝本はおよそいつもくだけた薄緑色のシャツにジーンズ、肩から下げた「一澤帆布製」カバンという出で立ちだった。下田も「アートっぽい服装」など考えたこともなかった。ファッションにはほとんど興味がなく、流行を追うのは大変なのではないかと思う位だった。服にこだわりがなく、いつも似たような恰好をしていたら、あるとき七澤からしげしげと上から下まで様子を眺められ、呆れたように「下田は…(と少し黙り)…下田やなあ」と言われたことがある。七澤は「ええとこのボンボン」でもあるのでロックバンドでもキャンパスでも、大正時代風の高級そうなマントを羽織ったりし凝ったような一風変わった格好をしていた。もうちょっとなんとかならんか、と発破を掛けられ見下されたような気もしたが下田は曖昧な返事をするだけだった。

 下田は「アート風」なるものに過剰反応をしてしまうことがあった。もし下田がサークル説明を森からでなく大伴から聞いていたら「礫」には入らなかったかもしれない。アートの雰囲気を楽しむ、か。なるほど。本質を表している気がする。スタイリストの大伴には、表現主義風の泥くさい下田などはお呼びでなかったのかもしれない。

 スタイリッシュな芸術や美も実のところ激しい煩悶、孤独、絶望などの挙句、狂気まで追い込まれ、レンジで黒焦げにされ、他に安息の地がなく、最後に残った唯一の水たまり。そこからどうにか生まれ出るものなのではなかろうか。もしかしたら違うのかも。だが美と芸術に対するそのような時代錯誤めいた思い込みが下田にはあった。たぎる血を業火で燃やせば、赤い燃えるような薔薇になるのだろう。

「オシャレなカフェでアートに触れる」というのも良いのだろうが下田にはどこかくすぐったさがあるのである。

「芸術とはステータスである」と、ある前衛劇作家が言った。全くその通りで、芸術は趣味の良さを誇示するファッションの一種のようなものでもあるようだ。下田はその辺りにも座りの悪さを感じる。

 既にファッションと権威に取り込まれてしまったのかも知れないが、岡本太郎の「芸術は爆発だ」という、かつてのテレビでの発言の方が今にして思えばむしろ本物だったのだろう。岡本太郎は生前、際物扱いでも構わずバラエティ番組等に堂々と別次元の生命体のように登場していた。岡本太郎の著作は下田の魂をも囂々と松明のように燃やすのである。

 芸術がお洒落なアートグッズになったとしたら、そこではある種の凄みは失われてしまうのだろうか。大伴部長には悪いが、「礫」ではファッショナブルなアートに迎合する必要はないなと下田は思った。青木雄二の『ナニワ金融道』も正真正銘の傑作だ。下田はまだ高級ブランド化されていない美も芸術もあるのだと思いたかった。


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