模型の中の住人であるかのような(現実感のなさ) / 芸術未満 -2

京都と奈良の間をつなぐ
京都近鉄線のほぼ中央にその駅はあった。

駅前には田園が(おそらく江戸時代頃から
あまり変わらない景色のまま)広がっている。

山があり、水があり、田んぼがあって
農協のATMがある。

大学生になった下田はこれからどの講義を
履修しようかと(高級そうな紙で製本された
百科事典のような講義概要冊子を開き)

線で引いた時間割りのマス内に
(西洋美術史概論1)などと
記入していった。

駅から続く、黒光りする真新しいアスファルトの坂の
上に、その学舎はあった。

抜けるような青空の中、書き割りのような
(パンフレット写真イメージと同じ)
アメリカ青春映画風の「大学的大学」である。

田園地区に突如として現れるこの
(農道越しのラブホテル的に異界じみた)
パルテノン大学建築は、どうにも見ていると
はずかしいような、唐突すぎるような気になってくる。

(自分はそれに相応しい人間なのか?)
と自問せざるを得ない。
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山林地区の、けものみちめいた山道を
進んでいると、突如として豪華な建物(の一部)が見え
高級車がならぶ駐車場や
「クラブハウス」とやらへの舗装道路が現れることがある。
(無表情な壁で、通行人は拒絶されている。)

やや似たところもある
田園地帯のパルテノン神殿大学は
あまりに作り物めいていて
美しく手入れされた芝生の緑すら
映画のセットめいて感じられる。

この校舎を作る際、建築事務所などでは
いわゆる完成予想図を何枚か描いただろう。

そこにはいかにも楽しげで快活な
大学生風な大学生
(芝生で教授らしき人物と話し合っている男子学生)
(ベンチでサンドイッチを食べながらノートを確認する女子学生)
たちが描かれ、もしかしたら3DのCGも作成された
かもしれない。

下田は自分がそのような「完成予想図」に描かれた人物の
一人になってしまったような、
模型の中の住人であるかのような
それほどの現実感のなさである。

下田はしかし、ベンキョウをしないつもりはなく
むしろ「美学(Ⅰ)」とか「社会学概論」とかいった
講義項目一覧に、興味をそそられていた。

自分の興味のあることをスキに選べるなんて
なんと、いいシステムだろうと
下田は思った。

彼の選択した「美学及び芸術学」という学科は
その名から「アソビげい」と他学部の学生らに馬鹿にされていた。

趣味的な道楽を学舎で追求できるのである。

下田はこの地でまったくの一人であり
講義の時間割も誰に相談することもなく
一人でぎっしりマス目を埋めてしまっていた。



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