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彼らは笑顔写真をハサミで切り抜かれ、体裁良い無害ぶりを振りまいている / 芸術未満 24

 神聖化された像が、どんな苦痛でも一瞬で取り除いてくれるということは恐らくない。「苦痛や悪やら不安」と「快」が9対1の割合で混濁する鳴門海峡渦潮の中を安全装置なしの規格外不正絶叫マシーンが上下左右に突き進んでいく。

 絶叫装置の類が苦手な小心者の下田は脆弱さゆえ、どこかコンビニのようにたやすい救いや望みを求めていた。個人的な女神が支配する無痛世界。どこかにそのようなものがあるのなら、迅速な一撃で無感覚かつ無自我になれる七宝焼人工浮遊庭園めいたものだろう。どこかにそんな全知全能の女神のような女性がいるのではないか。やはり幻なのだろうか。シースルー羽衣を纏った仙女や梵天マリアが毒針で永遠に煩悩から解放してくれる日など望むべくもないのか。

 シースルー姿の天女ならずとも、わたせせいぞうイラストのように爽やかな恋人を得ることができれば、正にそのとき、現世は都合よくハライソなる楽園となるのかもしれない。

 しかしハライソ産毒リンゴは旨かったのだろうか。悪徳の味は格別だったのだろうか。

 下田のような男らが思い描く、聖女のハライソなどは実のところ、8ビットゲーム風の安普請で、「神聖な女性」などは勝手に彼らが作り上げたUMA(未確認生物)のような存在かもしれなかった。

 男たちがめいめい都合よく思い描く空想の女性像、男性各人それぞれの経験から胸に抱いた女性像、C・G・ユングが言う「アニマ」が現実世界の女性たちに投影されていた。丈に合わぬサイズや、全身を覆うキャラクターの被り物を無理やり被せられ、ドタバタのスラップスティックがそこかしこで発生している。

 女性が空想する男性像(アニムス)もこれまた悲劇を引き起こしかねないのではと、おせっかいにも下田は余計な心配をしていた。

 下田には年の離れた妹がいたので、居間のティーン向け少女雑誌を目にしたことがあった。その誌面に登場する男性たちはどこかまるで見事に去勢されたような安心安全感に溢れている。男性としての危険な性欲などそもそも存在しないかのように扱われ、描かれている無性的人類。彼らは清潔で爽やか、無害そうな点が何より重要なようだった。

 ティーン誌に登場するカリスマパティシエやカリスマ店員らは満面の笑顔写真をハサミで切り抜かれ、周囲にカラーペンで楽し気な落書き風イラストが描き加えられ、仕上げに都合良いニックネームも添えられ、彼女ら少女世界の都合良いペット然と体裁良い無害ぶりを振りまいている。

 下田はそのティーン誌の男らを見ながら「これはUMAだ」と思うのだった。このような安心イメージを描いて彼女らが男に近付けば(安心安全を強調する原子力発電所がそうであるように)実のところ、プルトニウム燃料並みに有害な犯罪者である可能性もないとはいえない。クリーン原発の如き男性も存在するのかもしれないが下田はほとんど見たことがない。

 ティーン向け少女雑誌に描かれたアニムスの研究というのも、あそびげい的に実に興味深い問題のようであった。

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