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まるで宇宙船に連れ去られたという人物の話を聞くような気分であった / 芸術未満 23

 下田と大橋はそれぞれ別の高校に行ったが、家も近所だったので時々会った。ある日大橋が遊びに来た。息子の友人が家に来ることを椿事と感じたのか、友人の少ない息子を不憫と思ったか、上気したような下田の母が出前寿司を二階に運んできた。愛想の良いテディベアはにこにこと喜んだ。

 いきなり寿司なんて、これは一体何のつもりだろうかと下田は何となく恥ずかしかった。おやつのつもりなのだろうか、今はまだ夕方の4時だった。お調子者の大橋はにやつきながら、下田は俯いてあくせくと桶の寿司を食べた。

「下田の家に遊びに行くと、いきなり寿司が出るんだもんな。驚いちまうよ」と大橋は含み笑いをしながら後々まで言っていた。

 腹いっぱい食べた後、高校生の彼らは家の前でバトミントンをした。大橋はバトミントン部だったので信じられぬほど軽量のラケットを持っていた。しばらく遊んで、道ばたの縁石に座った。

 彼は今、付き合っている後輩の女の子がいるとのことだった。下田はまだ誰とも「付き合った」ことなどない。大橋は先月その後輩とホテルに行ったと言う。下田は驚いた。

 どういうことか、と下田は興味を隠すこともなく行った。

「まあ、大したことなかったかな」と大橋はもったいぶった顔で老師風に言った。

「経緯は?」と聞く下田の目は薬物中毒者か刑事のように一点を見据えている。

「休みの日に、湘南とかにあるホテルに行ったんだよ。浜辺を歩いて、ホテル近くのコンビニでお菓子を買ったりして。
 で、まあ、部屋に行くんだけど、思ったより、なんというか、その行為自体は大したことない。期待してたより、まあ、良いものではなかったというか」

 宇宙人に連れ去られ、UFO内で外科手術を受けたという人物から話を聞くような感じだった。

「別に思ったほど良くもない」と賢者顔で語る彼の実感は、下田には雲を掴むような話で、やはり大橋の率直な本心なのかも知れなかった。

 まだ宇宙人に会ってすらいない下田からすると、目の前の先ほど一緒に寿司を平らげた男はやはり一皮剥けた人物のようにも思えた。大橋はふざけてハードボイルドを装っている風でもなかった。事を終えた後の空しさという、伝聞で想像する他ない感想はやはり本心かも知れない。下田の目は宙を移ろい始めた。

「そのうち下田にもきっと色々あるでしょう」と大橋は人生の先達者めいて言い「そのときになればこの気分も分かるよ」と悟ったようなことを呟いた。

 目下の問題は下田には恋人がおらず、この先も当てがなさそうなことであった。

 大橋が帰る際、その後ろ姿は逞しいチャールズ・ブロンソンのようでもあったし、桂正和描くラブコメマンガの軽薄な男主人公のようでもあった。下田は大橋がしたであろう具体的な行為を身近に思い描いてしまい、あれやこれやとSFレベルの妄想に煩わされた。

 リンゴを食べたことがない者に、その味を言葉で説明して伝えるのは難しいという。リンゴはどんな味がするのか。一度食べたら「こんなものなのね」と失望するようなものか。何度食べてもリンゴはおいしいような気もする。ジュースにしてもアップルパイにしても良い。

 下田は聖なる(堕落への)禁断果実を、極楽への幻想風味と解している。まだ味わったことがないので、勝手に想像するしかなかった。

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