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透明なフォークが紙皿に置かれている / 芸術未満 22

 下田には幼年時に『勇者ライディーン』や『鋼鉄ジーグ』を一緒にテレビで見た大橋ケンゴという名の友人がいた。彼は下田の数少ない友人であったが、名古屋に引っ越してしまった。その後、下田も西宮に移り住んだが、中学のときに親の都合で横浜にまた戻ることになった。

 その教室に大橋ケンゴがいた。

 彼はやはり下田と同じように、数年前に戻ってきていたらしかった。

 日当たりの良い教室で、大橋は友人らと楽しそうにふざけていた。入学式であるのに彼は女子らと軽口を叩き合って交流している。彼は女子らをからかいながら、同時に藁半紙の裏に何かを落書きをしていた。

 それは『ウイングマン』のイラストだった。武器(クロムレイバーという剣)を持ちポーズを決めた絵はパロディ調に3頭身で描かれていた。そのすぐ横に自身を戯画化したらしいオリジナルキャラも描かれている。

 大橋は友人が多く、人を笑わせるのが得意であった。小柄だった彼はテディベアのような体形で「けんごちゃん」と女子たちからも親しまれているようだった。

 下田はプロレスや漫画の話をして、大橋とすぐにまた以前のように友人に戻れた。彼の話はいつも抜群に面白く、パロディの4コマ漫画も次々と描き、周囲を笑わせていた。触発された下田も意味のないマンガを描いた。そのようにして下田は周囲を笑わせることを楽しんだ。自分の描いた物を見て笑っている友人らを見るのは楽しかった。

 ……………………………

 同じクラスの弓月玲という女子生徒のことを「かわいいよね」と大橋と下田は二人で盛り上がり、密かに祀り上げていたことがある。

 あるとき大橋と下田はクラスメイトに招かれ、その家に遊びに行ったことがある。弓月玲も来るという。大橋と下田は女子宅で無遠慮にもお菓子やケーキ、フルーツポンチなど甘い物を山ほどご馳走になった。

 話題の絶えぬひょうきんなテディベアが女子たちを継続的に笑わせながら、中学生らしくトランプをして遊んでいた。

 女子ら三人が席を外した際、弓月の食器(紙皿に置かれたプラスチックのフォーク、コップのふちに斜めに寄りかかったストロー)を大橋が冗談のような顔で見詰めている。

 鼻息荒く、誇張して不気味にほほ笑む真似をし、いつものように笑わせようとしているのだと下田は分かった。この場でそんなことまでするのか、と所構わぬ彼の悪ノリぶりに中学生の下田も大いに意気を感じてしまった。犬のようにフォークを口にくわえたら、きっと大うけするに違いない。

 「気味の悪い男」を演じながら大橋が下田に目配せをしている。やめなよ、と下田は本気でない小声で言った。大橋はふざけてそのような真似をしているのだが、二人ともどこか心の底で、そのように笑っていないと耐えられない緊張した重苦しい欲望を感じていた。

 透明な緑のコップが秘密の聖遺物めいて見える。大橋は「ほら、そこにあるぞ」と悪だくみを煽るような表情で下田に笑い掛けてくる。弓月玲の使ったフォークとストロー。今にも女子たちが部屋に戻ってくるかも知れない。何かおいしいものでも取りに行ってるのだろうか。下田が身動きしそうにないのを見て、大橋は食器に手を伸ばそうとした。

 そのとき部屋のドアが開く音がしたので慌てて彼は手を引っ込めた。下田は何もない様子で笑っていたが、妙に生々しい時間であった。自分がいない間の一瞬の出来事を知らぬ弓月玲の(成績も良くおっとりとした)優し気な雰囲気が男子らの不正行為を際立たせていた。食器は跡形もなく片付けられた。

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 しばらく経ったある節分の翌日、大橋と下田は弓月家の前を通り掛かった。節分の翌日には家々の前に大豆が落ちているものだ。

 下田らは「まさかね」と笑いながら(付近のハトと一緒に)彼女の家の前に落ちている豆を眺めた。粉々に、きなこ状にまで踏みしだかれ砕け散っているものもあるが、投げられたのが前日なので中には無傷らしき物も散逸している。内心どこまで本気だったのか、ふざけながら二人は豆を拾って思い切り放り投げた。

 驚いたハトが跳び上がり、近くの電線に飛んで行った。ハトらは(何を考えているのか全く分からぬ例の目で)下田たちの様子を伺っていた。

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