暗い色に沈んだ化粧瓶たちがむしろ主役で男児らが異物なのだとも思わせた。暗い異世界の物品たちは押し黙った様子で男児らを拒絶している / 芸術未満 14

 薄い布の下から現れてくる「性」は、切りたての生肉のように血なまぐさく苺ジャムのようにべっとりとしているようだった。そのドロドロとした混沌と剥き出しの根源(深紅の大海)を下田はどこかで求めていた。「性」には(彼が囚われている)「絶対的」な何かがあった。 
「神」や「美」や「真」など極まった謎の中に「性」もあった。
「野球に興味がない」と言うように「性に興味がない」と言えるだろうか。
「野球(や車や登山や腕時計など)に興味がない」と言う事は出来るだろう。しかし二十歳前後の成人で「性に興味がない」と言うのは、奥ゆかしくただ澄ましているのか、もしくは性への反発と抑圧ゆえとしか(下田は)考えられなかった。性の記憶や感情は(人体の秘蹟でもあり)深く秘めた何かは(美しくもおぞましくも)誰しもどこかで持っているのではないだろうか。夢のように不定形な「性」は高尚な愛にもなりそうで、狂い猛る獣欲にも(当然)なり、夥しい暴力や累々たる死をも生み出してしまう、激しい力を持つ大いなる謎だった。
 ……………………………
 近くの雑木林にモノクロの写真雑誌が捨てられていた。小学生になる前、下田はその山を「探検」していて友人らと見つけてしまった。
 女性は下田にとって神聖なものだった。
 スカートを履いた(神聖な)女性がパンチパーマの男たち数人に暴力を振るわれている。女性の目が(犯罪者のように)黒い帯で隠されているのが幼児には一層怖ろしかった。雨や土で湿った雑誌はページがべったりと貼り付き、(真っ黒のタンスや部屋の無表情な窓など)写真も千切れ破れていた。ブーツを履いたままの女性はスカートをまくり上げられ苦悶の顔をしている(ように見える)。モノクロページの男たちは近所の八百屋(の人)や幼稚園の園長らにも見え、余計に不気味だった。これは一体、何なのだろう。なぜ男らは(神聖である)女性の嫌がることをしているのだろうか。一瞬、下田は脳に暗黒の稲妻が落ちたような衝撃があった。そのまま時間は暫く止まっていた。
 写真に後から付け加えられた黒い目隠しの寒々とした長方形。友人らが騒ぎながらめくるページの中には服を剥ぎ取られてしまったらしい女性も写っていた。「これを見てみろよ」と誰かの声がする。なぜこのような物があり、売られていたりするのだろうか。目を黒く塗り潰された女性はお金のためにこのようなことをさせられているのだろうか。女性が苦しみの表情でベッドに横たわっている(ように見える)。下田はモノクロの写真が恐ろしく、それ以上彼らとページを一緒に見れなかった。
 家で両親が(口論がまだ起きていた下田のずっと幼い頃)「うちにはおかねがない」というような脅迫内容を互いに口にする度、下田はモノクロ写真の(恐ろしい)男たちの姿が目の前に浮かんだ。もしかしたら自分が幼稚園に行っている間、母親は黒い目隠しをされ、両手を縛られ(そのような写真も見た)乱暴されているのではないか? お金の為にそのような行為をさせられているのではないか? 幼児の下田はそのような妄想に体が震えるほど慄いた。
 そのような想像が「馬鹿げたもの」であると気付くには(幼児の)下田にはまだまだ時間を必要とした。
 女性は下田にとって神聖であり、(空想の中で)どうにか神聖であってほしかった。下田はいつか「現実」の女性を見ることが出来るのだろうか。もしかしたら出来ないのかも知れない。
 自分にはないものを求め、美しい(ような)女性たちに憧れる。自らが薄汚い男性であると思えば思うほど、(清らかそうで清純そうな)聖なる感じの女性を求めてしまう。化粧で顔の凹凸などを目立たなくする女性らは、そのような(空想化された、現実から離れた)「理想」の美に近付こうとしている、とは言えないだろうか。美学(エステ、ティックス)の徒である下田は、つらつらと考えてしまう。絶対的な美って存在するのか。それは一体どんなものなのか…。
 下田が夢想する「聖なる」女性は果たして存在するのだろうか。(国語教師の渡瀬、彼女の笑顔と胸元ばかりが思い浮かぶ。「ジーザス会」の先輩、神について詰問したことを謝りたい。「聖書を勉強」する従姉、なぜもっと頻繁に彼女と会っておかなかったのか。「ホーキ星」のデカダンスな真木、彼女は少年のようだが美人だ…。)
 (少なくとも下田の目には)美しく(勝手な空想の中で)神聖(そう)な女性たちはいた。それでは遠野モリカは? 彼女は突然現れ、手を伸ばせば触れられそうなところに来ていた。すると憧憬の対象(神聖さ)を求める心などは都合よく消えてしまい、むしろ反対の、水着グラビアのような半裸の肉体を悶々と(震えながら)想像してしまうようになった。聖書を片手に持った従姉はその哀れな姿を見下ろし、手を差し伸べながら(肉の罪を)教え諭すかもしれない。しかし神との合一などを下田は(今のところ)望んでおらず、差し迫った問題として一刻も早く(すぐにでも)女性との(性的な)一体化を渇望していた。
 ……………………………
 女性たちを神聖化して崇めている間は自分自身が傷付くことはなかった。性は暗く恐ろしいと同時に、柔らかく甘く窒息させるようなものだと子供時分から仄かに予感があった。暗い部屋の化粧台にある香水瓶や、擦り減った化粧品の人工的な匂い。それらは(下田たち男には無関係な)異物であり、暗闇や三面鏡前での静物として巌とした存在感を持っていた。暗い色に沈んだ化粧瓶たちがむしろ主役で子供(男児)らが異物なのだとも思わせた。暗い異世界の物品たちは押し黙った様子で男児らを拒絶している。化粧瓶たちの持つジットリとした存在感にはともすると誘惑させられるような謎めいた深い甘さがあった。
 一方で子供向けギャグマンガの躁世界では、一家揃った食卓で、壊れた女性ロボットがふざけたように胸から大量の液体を少年たちに噴出させていた。(あまりにあっけらかんとした、女性への畏怖の念を欠いたその描写は、下田にはかけがえのない「聖性」を脅かす「背徳的で見てはならないもの」のように思え、吐きそうなほど怖気がした)。
 かつてテレビで「びっくり人間大賞」という類のスペシャル番組が放送されることがあった。そこには背の高い(2メートル以上の)「巨人さん」や逆に背の低い大人「ちびっこさん」や、体重○○キロの「びっくり巨漢」、爪を伸ばし続けている(爪は回転し固まった紐のようになっている)女性、六つ子、七つ子、筋肉質の女性、何でも片手で壊してしまう怪力男などなどが続々と登場し、その中に、シリーズ恒例の或るタイプの女性たちがいた。
見世物小屋の怪人らが清潔そうなテレビスタジオで(タキシードを着た司会者に)次々と紹介されている。
 ビキニを着たそのタイプの女性は恥ずかしそうに(幼少の下田にはそう見えた)登場した。「巨大バスト美人さん」と司会者に呼ばれ、画面中央に現れるのはアメリカ国旗の水着を付けた胸の豊満な女性であった。下田にはその性的で背徳的な光景の衝撃が大きく、(女性本人にとって)「こんな扱いは屈辱でないのか、なぜ許されるのか」と不思議にすら思えた。「豊満」というよりもその肉体(の一部)はどこか尋常でなく、「美人」というよりも皮膚はまだらに剥け、毛や皺が目立っているように思えた。(胸のサイズでギネス記録云々とテレビでは言っている)彼女は司会者が言う「美人」からは程遠く「びっくり人間」の一人としてはるばる異国からやってきた、日本の見世物小屋(テレビ番組)で気丈そうに振る舞う現代の女力士なのであった。
 居間にテレビは一台しかなかったので親らがいると下田は(おぞましいような疚しいものを見ている)という気分で、その場に居辛くなり、せめてテレビから強いて目を反らそうとした。だが外国人女性の女力士風嬌態に(蛇に超能力をし掛けられる雨蛙のように)身動きできず、画面の半裸女体を見入ってしまう。世界記録を持つ彼女のこれまでの半生を(写真などを織り交ぜ)ダイジェストで紹介しているようだった。
 スタジオではゲストの芸能人たちがふざけた態度で勝手な事を面白げに言っている。失礼極まる質問を皮肉めいて投げかける老女タレントの意地悪そうな笑み。冷静かつ笑顔の司会者が「さあ、みなさまお待ちかね」と勿体ぶり、居並ぶゲストをカメラがずらっと映した後、尋常でない胸をした(海外のタレントなのだろうか)女性が背に手を回しビキニの紐を外す。極小の布地で隠されていた記録的なサイズの胸がテレビに露わになる。
 平日の夕餉時、一家揃ったお茶の間ではこのようなびっくり人間たちの映像が届けられていた。ゲストらは一様の反応(男性らは破顔し、女性らは眉をひそめる)をし、司会者は沈着を装った顔でその胸を「品評」し、立派とか何とか定型のコメントをする。
 幼児の下田にはその映像は偶像破壊的のように感じることもあった。下田は聖書を振り上げた幼司祭のように「性を抑圧」するのではなく、まだ年齢的に未成熟な故に「露わな性が恐ろし」かったのだった。なのでシリーズで柔和そうな顔の女性が「びっくりバストさん」として出演する時などは、少し期待して登場を待ってしまうこともあった。下田は謂わば容赦せぬ「ハードコア」が恐ろしかった。女性を物体として扱い、尊敬の念が(微塵も)感じられない性表現、性具現、性映像、性写真、性美術は残酷過ぎ、痛々しく、不安にさせられ正視に耐えられないのである。
 ……………………………
 下田の眼前では下着姿の同級生がブラウスに着替えようとしていた。彼女の姿に呆然とし失血しそうな下田に「どないしたん」と声を掛けるのは(ブラウスのボタンを閉じようとしない)木原美紀であった。
 小学6年の下田は彼女のことが気になり続けていた。下田は大柄で教室の男子では(背の順で)一番後ろだったが、木原美紀は彼よりも背が高かった。
 長身な彼女は体も大人のようで(保健体育風に言えば)「からだつきも丸みを帯び女性らしくふっくら」していた。
 彼女はいつも一緒にいる中原さん(三つ編みでお下げのそばかす少女)と私立中学受験を目指し、共に塾に通っているようだった。
 下田らの通う小学校は西宮の夙川近くにあり、歴史があると謂えば聞こえは良いが、古くからの木造校舎と、コンクリートの新校舎が中途で連結している造りになっていた。下田らは校舎を走り回り、コンクリート校舎に足を入れるときはどこか体が冷んやりとし、また逆に、木造校舎に戻るときは、周囲の木目やニスの匂いなどが暖かいような気がするのだった。
 下田らの教室は木造校舎の最上階、一番端にあった。白髪交じりの女教師徳田はステレオタイプのオールドミス然としたべっ甲めがねを掛けている。
 下田はあるとき、彼に友情を感じているらしい隣席の男子児童から授業中に手を繋がれたことがあった。その男子児童は孤独だったのだろうか、線が細く、友人も少ないような印象だった。下田は(最近何度か一緒に遊んだし)彼とは友だちだと思っていたので、手は無理に離さないでいた。
 通路を挟んで二人の児童が手を繋いでいる様子である。
 黒板に向かって何かを(叩き付けるように)チョークで擦っていた徳田が(思い付いたように)教室を徘徊し、いつものように児童らを監視睥睨し始めた。
 午後の授業は窓から西日が少し差し始めていた。カーテンは閉められず、遠くには甲山の稜線が見える。誰かが国語の教科書か何かを読まされていた。下田は授業に何の意味があるのか分からないが、仕方なく(退屈を必死で堪えながら)座っている。隙あらば右手では机などに出鱈目な落書きをし続けた。教科書の隅には(獄中での時間潰しに絵が好きな男児が必ず行う)パラパラマンガの連作を続けていた。下田は学校に落書きをしに来ていたとも言える。
「あら、まあ」と徳田の声がする。
 なんだろう、と思うが老教師は何か自分(たち)の方を向いて目を輝かせ、口をぱくぱくさせている(声にならない声を出しているようだ。それほど興奮する何かがあるのか。)
「あら、まあ。下田くんら、手えつないで、一体何をしとんの」
 徳田は下田と隣席児童の行為(ただ手を繋いでいただけ)を目敏く見つけたようだった。彼女は自身の(大人の)何か想像する破廉恥な行為を、児童に当て嵌めて興奮しているようだった。
 下田は(徳田の嬌声が)厚顔で恥じ知らずな気がしたが、しばらく隣席の男児と手をつないだままだった。まさか手を繋いでいる行為が非難されるとは思ってもいなかった。
 大袈裟に騒ぎ哄笑を続ける明らかに馬鹿にするような老教師の顔を見て、下田は「ひょっとして自分たちのことを指しているのではないか」とようやく思った。
 下田が老女教師に対して思ったことは特に何もなかった。強いて言えば「それほど騒ぐことがあるのか。教室中に触れ回るような大声で嘲笑されるようなことなのか」ということであった。下田は興醒めした。
 大人とはこのように、自らが染まった成人世界の(下らない)通念を、子供に歪に当て嵌めてそのまま見ているようであった。
 徳田老教師に嘲笑されクラス中に触れ回られ、下田と隣席の男児はもう手を繋げなくなった。汚れたことではないのに、汚れたような(恥ずかしい)ことをした気分にさせられる。下田にとって救いだったのはクラスの誰も徳田の味方にならなかったことだった。教室で友だち同士が手をつないで、一体何が悪いのだろう。大人の通念で下田らを嘲笑う徳田教師(の考え)を児童たちはまだ誰も理解出来なかった。
 窓から差す西日の中で、徳田教師は一人でゲラゲラと嗤い続けていた。
 ……………………………

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?