先輩たちにとっては宝塚歌劇の美学であり、ゴジラの芸術学なのであった / 芸術未満 5

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「歴史哲学研究会」のサークル室には女性が一人いた。文学部の2回生とのことだった。飾りっ気のない部屋に折り畳みテーブルだけが置かれている。
 下田は自分の話をしたくないので質問ばかりした。九州出身の彼女は浅田彰に憧れて京大を目指していたが、受かることなくこの大学に来たという。
 浅田彰という名前は以後何度も耳にするが、下田は著書を読んだことがなく、読む気もしなかった。テレビでは何度か見たことがあるが、昆虫のような眼鏡とぶかぶかのスーツ姿が記憶に残っていた。
「ジーザス会」と同じく「歴哲(歴史哲学研究会の略称)」もサークル員が極端に少ないようだった。
「1回生で哲学科の女の子が入ったから、下田くんもまた来てみてね。変わった子で面白いから」と浅田女史は言った。
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 あそびげい、と揶揄される下田在籍の「美芸」(美学及び芸術学科)は女子学生が多く、男子学生は全体の1割にも満たなかった。卒業生たちのこれまでの卒論一覧を見たとき、下田は「遊びげい」と周囲に嘲笑される理由が分かり、不安と戦慄を感じた。
 曰く「円谷プロの研究―ウルトラマンとシュールレアリスム」「大映映画の歴史的変遷―京都撮影所の意義」「ガロの世界―安保闘争と異能画家たち」…等といった(本当にこれで良いのだろうか)という論文タイトルが並んでいる。
 卒論集には他にもマニエリスムやらバロック建築、ポストモダンなどという文字に交じって「ゴジラ」や「宝塚歌劇」という語もあり(全く何をやっても許されるんだな)と下田は面食らった。
 大学には京都市内や田尻山腹に付属高校があり、そこから進学した者は「内部生」と呼ばれていた。(事の真偽はともかく)ある話によると内部生で成績があまり優秀でない者が(仕方なく)「あそびげい」に進むこともあるらしかった。
 自分の意志で美学芸術学を選ぶ者もいるだろうと下田は思いたかったが、ひょっとしたら少数なのかもしれない。
 既に卒業した先輩たちにとって、その学科は宝塚歌劇の「美学」であり、ゴジラの「芸術」学なのであった。
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 下田の従姉は高校時に美術部で大作絵画を描いていた。彼女はやはり親の都合で「聖書研究の宗教団体」に加入させられていた。下田はその組織で何が行われているか全く知らなかった。
 その団体のパンフレットを下田は何度か見たことがあった。従姉の気を引くため、パンフレットの文字を読もうとしたこともある。
 まず何より表紙の絵が酷かった。下田はそれが大嫌いだった。一体どういう神経をしていたらこのような絵が描けるのだろうかとすら思う。それほど感性を逆撫でする絵である。
 ある教義があり、その目的に沿って人を「説得」させる(もしくは脅す)為に、効率的に描かれた(計算ずくの)絵だ。
 微塵もユーモアがなく、通り一遍で、意図(入信せよ)を隠すように装われたパラダイス風の油画。
 これらの絵に誰も違和感を感じないのだろうか。イラストを変更しませんか? といった声はどこかの段階で挙がらなかったのだろうか。
 下田にとっての問題は憧憬の対象(幼年期からの妄想込み)である従姉が組織の信者であることだった。
 平塚に住む従姉らは芸術的才能に溢れているらしかった。長女はピアノを続けており音大を目指し、次女(下田の憧れ)は絵の道に進むべきか悩んでいるそうだった。
「芸術は宗教の母である…」、芸術から宗教(的敬虔)が生まれる、というような語句を読んだとき(ああ、そうだよなあ)と下田は思った。(過去と異なり、芸術はもはや宗教の奴隷ではない。あのパンフレットのイラストが不快なのはそこにも由来する。では、現代は? 芸術は商業の奴隷なのだろうか?)
 下田は従姉らのピアノを聴いたことも、絵を見たこともない。彼女らは自分の意志で宗教組織に入信したのではない。親が勝手に組織に入れてしまったのだ。
 それは不幸なことなのだろうか。団体は平日昼間の家々を訪問し(夫の不在中)主婦層の信者を獲得しているらしかった。(「ご家庭の悩みはありませんか」「聖書の勉強をしませんか」)
 下田はその団体のパンフレットにある文章の調子も嫌いだった。「なぜ~なのですか」といった疑問調の文に対し、どこか論理的にそぐわない(しかし限定口調の)「それは~だからです」という決めつけが連続している。見出しに使われているゴシック体で極太の(ユーモアのない中年女性が仏頂面で頑としている印象)フォントも嫌だった。
 その宗教団体は聖書を自分たちで新たに解釈し直しているらしい。
下田はしかし、その団体とは無関係に、聖書そのもの、聖書自体は別に嫌いではなかった。聖書の文章は時々「カッコイイな」と思うこともある。
 スタンリー・キューブリックの映画には何か「絶対的」なものがある。
 下田は同じ「絶対的」なものを聖書にも感じた。
 絶対的な響き。下田が痺れ、憧れる「芸術」にはそれに近い何かがある(ような気がする)。「絶対的な何か」とか「美」ってそもそも一体何なのか。子供時分に『児童百科事典』のページをめくってみるが要を得ない。考え続けるとまた部屋の距離感が狂いそうだった。
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「歴史哲学研究会」のサークル室には酔いつぶれたような黒服の女性が折り畳みテーブルに俯していた。下田に気付いた女性は顔を上げ、眠そうに部屋を見回した。下田を呆然と見た後、しばらくして彼女は「きのう、のみすぎました」と言った。
 下田は黙っていた。部屋を出たほうがいいのかもしれない。しかし彼女は丸顔でひょっとすると可愛いのではと思い、パイプ椅子に無遠慮に座った。
 下田は女性と交際したこともなく、京都(宇治の小倉)に引っ越してきてからまだ友達もできていない。成人前の凡夫である下田は知り合いも欲しかったし、何より誰もいない真っ暗な部屋にまだ帰りたくなかった。
 下田は誰かと一緒になると、対立したり衝突するのを恐れた。彼は大抵の場合「大人しく控えめな者」として見られた。目の前にいる人を怒らせたくないなと思い(衝突を避け)その場しのぎの冗談を言い、本音は言えない。下田は他人の感覚には無痛なほど鈍感だが、自身は傷付けられることを極度に恐れていた。
 いざ「歴哲」の部屋に入ってみても、下田はテツガクの話を誰かとするなど(これまで誰ともしたことがなく)恥ずかしい気がする。有名な哲学者の名前を口にするときの口幅ったいような、照れくさい、しかし優越感を感じてしまうような瞬間。どうにもそれが苦手だった。
 昨日はずっと呑んでいたという女性は(以前、浅田(彰ファンの)女史が言っていた)哲学科の1回生だった。
 会話は弾まなかったが「哲学が好きな女性」ということで下田は彼女に好意を持った。彼女は酒が好きなようであった。
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