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仕事仲間の声:高井田まちづくり協議会 理事  平井義郎さんに聞きました。(2012年5月公開)

Q.泉 英明の口癖を教えてください。

「おっしゃる通り!でもね、(と言って、自分の考えを話し出す)」

泉英明との出会い  
もともと布施の駅前でおやじが二輪車の修理工場をやっていたのが、小学校4年生のときに今の場所へ引っ越してきて、それからはずっとここで車の修理工場を営みながら生活しています。 高井田一帯は、中小の工場や、工場にも満たない作業所が集積している地域なのですが、それが時代の流れで次々と潰れ、跡地にマンションが建つようになったんです。後から入ってきた住人にとって周囲の工場の音は騒音でしかなく「工場の立ち退き」なんかを要求し始めたんです。昔からこの土地で工場を経営している者にとってはたまりません。僕らはこの町にずっと住んでるから、工場の音が聞こえてきたり、機械が並んでる街並みが当たり前なんですけどね。 本来なら、マンションが建つ前に行政がちゃんとルールを作って規制するべきだったんでしょうが問題が起こってから動き出したんです。 自分はもともと青年会議所というところで14年間ほどまちづくりに携わっていたのですが、そこの先輩に、自分の替りに東大阪市と話をしてほしいと頼まれたんです。それで東大阪市の職員と、泉くんと3人で話をしましたね。泉くんのことも最初は市の人間かと思ってたし、まぁ「先輩に頼まれたら仕方がないか」というかんじでした(笑)。

まちのルールづくり=人と人の信頼関係
まぁ最終的には泉くんと気が合うたんやろね。僕は、好き嫌いが激しくて。ビジネス上の常識範囲ではきちんと対応しますよ。ただ、上辺だけの付き合いをしてくる人に対しては自分も上辺の付き合いしかしないし、僕のことや僕の周りの人のことも考えてくれてるなーと感じたら、こちらからも本音で踏みこんでいくし。中途半端がないんです(笑)。泉くんのことも、最初は「どうせ国の助成金目当てだろう」、なんて思ってたんですが、どうやら様子が違うなと。 高井田は、全国的にも最も工場の集積度合が高いとされていて、その中にはネジや機械を作っている人や最先端の色んな技術を持った人がいる、そういう町なんです。ただ、近くの工場が何をしているかは割とお互いに知らなかったりするので、それをヒアリング調査して「高井田のチカラ」という一冊にまとめたのが最初の1年目。 2年目には、住工一体のこの地域でこれ以上問題が起きないようにするには、根本的な解決策として土地利用ルールの法的担保が必要だから、地域で合意をとっていこうということになったんです。ただ、市も地域もそんなことができると思っていないし、法的担保をするには、住民へアンケートや説明会を何度も行い、ルールの合意形成をして、要望書なんかを作って行政と協議し、議会を通してもらわないといけなくて、とにかく時間と手間がかかるんですよ。 その時彼は「いや、皆さんがされるなら僕もやりますよ」と言って、彼は活動を開始し出したんです。その時に、ビジネスではなくて、本当に僕らのことが好きで興味を持ってくれてるから来てくれてるんだなーと思いましたね。 それからは、自分達の組織を「高井田まちづくり協議会」にして企業や住民の構成員から会費もらって運営していくことになり。また、新しい事業としてモノづくり体験塾を立ち上げるため、助成金を調べてきて申請したり、そんな感じで活動していましたね。 住工共生のルールをつくるなかで、僕と泉くんとふたりで府庁へ行ったり、みんなでアンケートを全戸全企業配布したり。そしてそれを回収して、反対意見の人のところを1件1件訪ね歩き話をしたり。 そんな中で、色んな話をしましたね。たまに「理屈っぽいやっちゃなー」と思うこともあるけど(笑)。「おっしゃる通り!」って、彼よく言うでしょ。そのあとに「でもね」と言って、自分の意見を話し出すんです。色んな考え方を重ね議論出来るので、それが僕も嬉しいですしね。最終的にはビジネスも好き嫌い、人と人ですね。

住工共生の第一人者へ
高井田は、日本に数ある住工一体のまちの中でも、市民主体でルールづくりから要望書作成までを手掛けたり、モノづくりを通じて次世代の若者を育てたり、住工共生のまちを元気にしているということで、注目されているんですよ。まぁ"泉のおかげ"といったら、半分強がそうだと思います。 泉くんには、将来的に「住工共生」の第一人者として、講演料1日100万円くらい取るような先生になってもらいたいですね。また、2年前に地区計画のルールを提案し我々の活動自体はひと段落して、現在はモノづくり体験塾を継続してるんですが、今後も一生プライベートで、フランクな付き合いをしていきたいですね。

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平井義郎 
株式会社大和サービス 代表取締役/高井田まちづくり協議会理事 1959年大阪府東大阪市生まれ。布施の駅前で二輪車の修理工場を営む父のもとに生まれ育ち、小学校4年生のときに現在の工場へ移転。1階を工場として稼働させ、2階に住むという"住工共生"の現役者。 地域でPTA会長や民生児童委員、東大阪のふれあいまつり事務局長、東大阪青年会議所理事長などを歴任し、様々な活動に関わる。


取材・文:2012年4月 楢 侑子

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