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仕事仲間の声:柏原の郷土史を探る会 事務局長  桝谷政則さんに聞きました。(2012年5月公開)

Q.あなたにとって泉 英明の存在は?

「まちづくりで、頼りになるパートナー」

泉英明との出会い
うちは、分かっているだけでも向こう3代、この柏原市国分本町に住んでいるんですよ。そんなこともあり、もともと「この町をなんとかしなければ」という意識があって2005年より「柏原の郷土史を探る会」事務局長として地域での活動を続けております。 会では「歴史を学ぶ、調べる、広げる」という3つのモットーを掲げて活動しているんです。まずは郷土の歴史を学ぶこと、そして調べたことを文章などにしてアウトプットすること、さらに、これを広げるため2008年に柏原史跡めぐりボランティアガイドの仕組みを立ち上げました。自分たちが学んだことを、地域のみなさまへ還元することが大切だと思っています。 それとは別に、2009年、柏原市では「太平寺まちづくり集会」が立ち上がることになったんです。私はこの取り組みに呼ばれて委員として出向いたわけですが、ハートビートプランの泉さんは国土交通省から仕事の依頼を受けてこの取り組みにやって来たわけなんです。 第一印象としては、ただ「でっかい奴がやって来たな」と思いました。この「太平寺まちづくり集会」はその後、地元の人達で組織する、「太平寺わしらのまちづくり委員会」へと発展していきました。 一方で私は、柏原市の委嘱委員会である「観光まちづくりビジョン委員会」委員の公募に応募して、会では副会長になりました。そして、この会でも泉さんに事務局的な立場で協力してもらうようになりました。 なぜ泉さんところのハートビートプランの協力が必要だったかというと、柏原に住んでいる者だけだと視野が狭くなるし、まちづくりでの専門的なアドバイスや先進事例の新しい情報を常に得て委員会活動をしないと良いものにならないだろうと思ったからです。まあ、悪く言うと「こいつはデキる」「使える人だ」と感じたからでしょう。 委員会は無報酬でしたし、現在私は誰に雇われているわけでもないから、人間関係に対して何の利害関係もないし、気兼ねをする必要もありません。また60年ほど生きてますと、自分にとって「この人とだったら波長が合うな」というのが分かるんです。そういう意味では、泉さんとはすぐに意気投合しました。 これからも、誠意でお付き合いしながら、まだまだ大いに力を貸してもらいたいと思っています。いい時も悪い時も含めて、細く長いお付き合いをしていきたいというのが私のポリシーなんです。

想いを汲みとり、瞬時に判断
泉さんは、こちらのポリシーや想いを瞬時に汲みとってくれて、私がやろうとしていることやその具体策について、適切な助言や対策をはかってくれます。こちらは長く生きる中で、自分の中に蓄積された人生訓やノウハウによって判断してやっているようなことを、彼は彼の歳にして瞬時に理解するんですね。 「相手に合わせて相槌を打っているだけかも分からんが、こいつ、何でそんなこと分かるのかな。」なんて思ったりもします。やはりその時その時の私の胸中を理解して、 「辞めましょう」 「その線だったら、これで行きましょう」 などと、ぱっと答えが返ってくるんです。自分が迷っている時などでも、その時、その瞬間に頼りになる人だと思っています。

細く長く、自然に任せた付き合いを
私は柏原で、「地域力で、柏原をなんとかしなければ」というボランティアスピリッツで動いています。いつまでもチャレンジ精神だけは失わないようにしたいと思っているんです。 泉さんは私よりは歳がずっと若いですが、まちづくりで頼りになるパートナーだと尊敬しています。 「観光まちづくりビジョン委員会」副会長の任期は2012年の3月で終了しているのですが、これからも細く長く、自然の流れに任せて付き合っていきたいと思っています。

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桝谷政則 
郷土史研究家 柏原の郷土史を探る会 事務局長  1950年生まれ。2005年に「柏原の郷土史を探る会」を立ち上げる。また、2008年から「柏原史跡めぐりのボランティアガイド事業」を開始。NPO法人 おいなーれ柏原理事長。柏原の地域に密着した活動を精力的に取り組んでいる。

取材・文:2012年4月 楢 侑子

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