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仕事仲間の声:4町パティオ運営委員会 委員長  岡哲男さんに聞きました。(2012年5月公開)

Q.泉英明のすぐれた点は?

「みんなの意見を聞いて、吸収しながら統率する力」

泉英明との出会い
生まれは香川の山の方でした。5歳の頃にまちに出てきて、それからはずっと広場に面した今の場所に住んでいます。 25年くらい前でしょうか。商店街と広場の真ん中に交番が建っているのですが、その建て替え工事があったんです。町の役員にしか知らされずに話が進んでしまったのですが、商店街と広場の真ん中に交番が建っていることによって、まちの見通しが悪く、イベントなんかをする時に使い勝手が悪いので、まちの将来のことを考えても「これじゃいかん」と。まちの動きについて事前に知っていれば何か出来たかもしれないという思いから亀井町の自治会活動にも参加するようになりました。 平成12年、高松のまちの賑わいづくりを目的として、3商店街のアーケードの交差する場所に大きなドームを建てる計画が持ち上がったんです。それで常磐街、南新町、田町の商店街が集まってまちづくりの検討会が始まったんです。私たち亀井町の自治会もオブザーバーとして参加することになりました。 そしてそこへ、まだ前の会社に勤めていた泉さんが現場担当としてやって来たんです。 「ドデカイのはやめて、予算に見合ったコンパクトなドームにして、みんなでドーム隣の広場の使い方や街並みも一緒に考えましょう」という方向性のもと、協議会が発足し、利用者の意見も聞きながら大きなコンセプトを決めました。後に、泉さんは独立されてハートビートプランを設立されました。

ハートビートプランの最初の仕事
ドームについては、その後商店街を中心に検討され、新たなデザインで整備されました。「次に、広場やまちをどう魅力的にしましょうか」という泉さんの呼び掛けのもと、商店街に繋がるこの広場にも手を入れることになったんです。それで地先の建物オーナーや居住者、若手アーティスト、商店街の人たちが一緒になってこの広場をどうするか、後々までみんなが集えるような広場とはどんな場所なのか、話し合いを重ねました。ハード面と運営方法などのソフト面について同時に進めていきました。 泉さんは、独立して最初に手掛けられた仕事とあって「少ない予算の中でいかにいい空間や楽しいことを作るか」という夢を持っているように感じました。"自分だったらもっと深く携わり、もっとよく出来る"という気持ちがあったから独立されたのかもしれませんね。 広場ひとつにしても、樹木を残す、残さない、水や電気をどうするか、いらない電柱や構造物をいかに間引くか、照明はどんなデザインにするか、パラソルはイタリア製を取り寄せよう…などと、ひとつひとつに色々あるんですよ。みんなでどんな使い方をするかアイディアを出し合ったり、カタログを覗き込んだりしながら、連日話し合いを重ねました。また、「子どもの保育園を作ったらいい」という意見が出れば、専門の方を連れてきてくれて話を聞いたり。 とにかく泉さんは、みんなの意見を聞いて、吸収しながら統率する力があります。また、頭脳明晰ではっきり確信を付く言葉をパシパシパシッと言いますね。その印象は出会った当初から変わりません。

地域のみんなを巻き込み、提案する力
広場について考えていく上で、商店街と広場の真ん中にある交番をどうすればいいか、ということになりました。その交番は、すでに警察官は常駐しておらず連絡所として残っているだけなんです。これがあるとどうしても見通しが悪くなりますし、イベント時の使い勝手が非常に悪いので、何とか移動することは出来ないかと。 当時、広場周辺は治安が悪かったので、「自分達で防犯カメラを付けて、それをみんなで運営していきましょう」という取り組みを行ったり、また「交番の代替地を先に見つけましょう」と、一緒に法務局へ行って空いている土地について調べたり、住民へアンケートを取ったりもしました。結果は、95%が「交番がない方がいい」というものでしたが、県警は「100%の同意がないと応じられない」ということで移転計画は上手くいきませんでした。 それでも、泉さんはとにかく相手を説得するための発想やアイデアに素晴らしいものがあると思いましたね。また、泉さん一人が決めるわけではなく、地域のみんなが参加してやっと出来あがるという状況を上手く作ってくれるんです。広場の検討を通じて、地域や行政など様々な立場の人たちや活動している人たちが集まり、知り合いになり、新しいアイディアや自分たちの広場だという愛着が生まれてきました。そして先導者として旗を持って自ら走りながら「泉さんがそこまでするなら、自分たちも頑張ろうか」という想いにさせてくれる人です。バイタリティがあるし、やはり我々にはないものをお持ちですね。

広場を通じて生まれた信頼
平成19年8月6日に広場「4町パティオ」が無事にオープンしました。 以前の市が整備したコミュニティ広場は、花壇のレイアウトが見通しの悪いものだったり、プラスチックでできた椅子はカビやコケがつきやすく誰も座る人がいなかったり、大きなゴミ箱が設置されていたり、何より照明が暗く、夜はとても治安が悪いスポットだったんです。 「4町パティオ」をみんなでつくりかえる際には、広場での多様なイベント開催に対応できるように椅子や花鉢は稼働式にしましたし、椅子やテーブルは御影石を使用しているので少し磨けばすぐにきれいになります。また、照明についてみんなで考えたり、防犯カメラをつけるという行為を通して「治安をよくしたい」というみんなの思いが表に出てきて「みんなで交代で掃除をする、変な人がいたら警察に連絡する」などという具体的な行動として現れるようになったんです。 その結果、今では入れ替り立ち替わり人々が広場に訪れて、みんながくつろげる心地のよい空間になりました。 私は広場の運営委員の委員長としてお世話を続けていますが、町も役員が世代交代したり、色々と状況が変わってきています。泉さんには会えればゆっくり話がしたいけど、酒を飲まなくてもいい、電話一本でもいいので、引き続きアドバイスがほしいですね。これからも今まで付き合ってきたように、本音で、わだかまりなく、飾り気なく人間と人間の付き合いが出来ると嬉しいです。とにかく、人生の中で出会えてよかったと思わせてくれる素敵な人です。 泉さんの"まちづくりに対するモチベーション"は一体どこから来ているのかな。分かりませんね。でもそれは泉さんの親か、おじいさんか、ひいひいじいさんか。代々の流れの中、遺伝子の中に育まれ、泉さんに組み込まれたものかもしれませんね。

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岡哲男
4町パティオ運営委員会 委員長 幼少期から広場に面した土地に住み、時代の流れと共に移り変わる商店街の様子を見てきた。30年ほど前にまちづくりに興味を持って自治会へ加入し、会計や監査を担当する。また平成16年より、自らのビルと住居に面する「4町パティオ」広場のリノベーションのために尽力し、今も日々の運営を引き受けている。

取材・文:2012年5月 楢 侑子

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