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仕事仲間の声:北浜水辺協議会 元理事長  山西輝和さんに聞きました。(2012年5月公開)

Q. 北浜テラスを通じた、泉 英明の印象は?

「もしも同級生に彼がいたら付き合っていなかった(笑)」


泉英明との出会い
私は49歳のときに脱サラして、51歳で土佐堀川に面したビルの1階で蕎麦屋を開業したんです。うちは、ひいひい爺さんが淡路島から出てきて、この場所で「淡路屋」という料理旅館店を始めたようです。当時はもちろん地下鉄もバスもない時代で、人々の交通手段は舟だったんです。お客さんも舟で乗りつけて川から店に入ってきたようですね。このビルを新築するときに、道路側から川側まで通り抜けられるような造りにしたのですが、それは当時の建物の造りがそうだったことが大きいですね。 自分は信州へ進学した後、就職で大阪へ戻ってきたんです。大阪にも大学のラグビー部OBがいまして、ある時、先輩のひとりが「このビルの川側の景色は最高、天神祭をここから見たい」と言い出したんです。 それで、大阪府の治水事務所に「換気扇修理をするため」という事にして許可を得て、足場を組むことにしたんです。その足場の上で天神祭を楽しんで、翌日には解体して…ということを2006年、2007年と2年間続けてやったんです。 泉さんは「NPO法人もうひとつの旅クラブ」や他のNPOメンバーと一緒に「まちの活性化のためにテラスを出して、船で巡れるようにする」などと考えられていたようで、我々のことを聞きつけてお仲間と一緒にやって来たんですよ。私は、自分より20歳以上も年下の人たちと接点が持てて、代々受け継いできた水辺の文化を若い人へ伝えることが出来て、そしてそれがまちの活性化に繋がるのなら「ノッてもいいかな」と思い、活動を共にすることになりました。 泉さんらに言わせれば「水辺で、自分たちより先に何か変なことしてるおっさんらがいる」ということでしたね(笑)。 それからの彼らの動きが速い、速い。あっという間に北浜水辺協議会が立ち上がり、そこの初代理事長をさせていただいておりました。

大阪に根っこを持っている
「NPO法人もうひとつの旅クラブ」の泉さん、そしてお仲間である山根ちゃんのネットワーク、また技術屋さんの松本くん。法律では川の堤防の上にモノを置いてはいけないことになっているのですが、3人らが見事に役割分担をして、ここに合法的にテラスを出すという取り組みを進めていったんです。自分は、先祖のDNAが手伝って「川から店に上がりたい」という気持ちが人一倍強かっただけでほとんど何もしていません(笑)。 泉さんは、主に法律や仕組みに関する行政とのやり取りを担当されていました。あの若さにして大阪府政に入り込み根っこを張り"府に必要とされている人間"という思いを持たせます。「水辺にテラスを出す」ことを2008年には社会実験プログラムとして実行して、その3年後の2011年には「水辺バル」というイベントにまで仕上げて、実際に船から人を連れて来ましたから。 馬力があるし「こういうことをやれば、大阪が活性化される」という信念をしっかり持った上で進んでいけるし、要となる人物を見分けてきっちり押さえ、さらにそこに狂いがないというのはすごい才能だと思います。


見守り続けたい
共に活動していたのは2年ちょっとなんですよ。その後、私は家内の地元である信州へ移住しました。遠くへ行っても、彼らの活動のお手伝いをしたいという気持ちは変わらないでいるんです。そんなわけで、月に1度の会議くらいは、信州の美味しいお菓子でも持って行って、ちょこんと端っこに座らせてもらおうかなと。 今、「北浜テラス」を8店舗が出しているのですが、「この水辺が好き」「まちおこしの役に立ちたい」という、設立メンバーと同じ気持ちでいると思うんです。ただ、これからこの活動に入ってくる人たちの中には「ここで店をやれば儲かる」というような人たちも出てくると思うんです。その時に、この取り組みが変な方向へ行かないような抵抗勢力の役目を自分が担えたらいいのかな、と、一番の年寄りとして、ひそかに思っています。まぁ、変な方向へ行く前に泉さんらがちゃんとするとは思いますけどね(笑)。

色んな意味で興味がある人
泉さんはとにかく「しっかりしてる」という印象で、基本的に活動を"利他"人のために行っているような感じがします。他の活動、例えば「OSAKA旅めがね」もお金がたくさんもらえるわけではないのに一生懸命やっているのは何故なのでしょうね。一緒に活動をしている"人"が好きなんでしょうかね。 また、例えば仲間の中にトラブルメーカーのような人物がいたとしても、絶対に相手を責めずにその人のためになるような展開をしてるんです。そういうのは、素直さというか人間性によるとことが大きいと思うのですが、一体どこでどういう勉強をしてきたのかと不思議になります。ここまで来るのに苦労もして来たと思うのですが、それをちょっとも出さないですしね。 もしも同級生に彼がいたら付き合っていなかったと思います。偉すぎて…。たまたまこちらが年上だったし、向こうが持ち上げてくれているから付き合えているんだと思います(笑)。 うすうす、泉さんが"お酒好き"というのは分かっているので、呑ませてみるとどうなるのかなーと思っています。今の泉さんと違った面が見えてくるのかもしれません。 今、このタイミングで巡り合ったのは何かの縁でしょうね。いつか一緒にたっぷりと呑んでみたいです。色んな意味で興味のある人です。

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山西輝和 
北浜水辺協議会 元理事長/てる坊(蕎麦屋)店主 10年前に脱サラをして、先祖代々受け継いだビルの1階で中之島の土佐堀川に面した蕎麦屋「てる坊」をオープンする。2007年に泉の所属する「NPO法人 もうひとつの旅クラブ」などとの出会いがきっかけとなり、大阪川床「北浜テラス」を実現させる。北浜テラスの運営組織である北浜水辺協議会の初代理事長へ就任し、2年間活動を共にする。2012年長野へ移住するが、その後の協議会の会議へは欠かさず出席している。



取材・文:2012年4月 楢 侑子

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