感謝することを忘れた人間は護られない
タイトルにある事は私の中で最も大切なことである。感謝することが出来ない人に誰が何をしてくれるのだろう。感謝する対象は人それぞれだと思うのでここでは私の感謝する相手を話していきたいと思う。対象は3つある。
①両親 ②ご先祖様 ③神様
順番は特に関係ない。①の両親。これは当然である。両親がいなければ私はこの世にはいない。そしてここまで育てていただいたのだ。特に母には大変迷惑をかけた。特に10代の頃は泣かせてばかりだったと思う。毎日警察からの電話におびえて何年も暮らしたと聞いたときは胸が痛かった。母に手を上げてしまったこともある。本当に最悪で出来損ないだ。それでも私を諦めずに施設にいる際も出来る限り面会に来てくれたり差し入れを入れてくれたりしたのは母だ。正直今まで何にも恩返しできていなかった。最近はやっとコロナ前に旅行へ何度か連れていける事が出来た。今はコロナで行けないのが残念だ。京都の小料理屋で連れてきてくれてありがとう、と涙した母を私は忘れることはないだろう。私も目の前にある料理が見えなくなってしまったのは母と2人の思い出である。これからも出来る限り恩返しをしたい。
②はご先祖さまだ。これも両親と同じことの繰り返しになってしまうが、やはりご先祖様なくしてこの私はいない。出来る限りお墓参りには行こうと思っている。②のご先祖様は強く③の神様に通じている。私は頻繁に神社へ行く。部屋にあるお神札や持っているお守りは多少人様より多いかもしれない。私自身神様は縁をくださると考えている。そしてその縁は良くも悪くも私のためになるものだと考えている。その中には楽し事も辛いこともある。でもそれは全て神様がくださる縁である。だから②のご先祖様は縁なのだ。私がこの家系に生まれたのも縁だ。これを感謝せずにどうしろというのだろう。本当にありがたいことだと思う。
③の神様。私は護られている。根拠はない。でもそう思っている。私の人生は信じられないくらい幸運に恵まれている。そう信じている。だから感謝しかないのだ。誰より私がそう感じている。だから自然と神社へ足は向かう。願い事をすることなど一切ない。恐れ多いにもほどがあるし、現状この国に生まれ、日々を生かして頂き、仕事があり五体満足でご飯も食べられる。病気だってない。これ以上望むことがあるだろうか?これ以上を望めば罰が当たると思う。そんなことより感謝することだと思う。心から「有難うございます」と感謝すると神様は本当に喜んでくださる。だから何度も呼んでいただけるのだ。私は今人生の次のチャレンジへと進んでいる。これまでも、これからもずっと私は神様と一緒に進んでいけたらこんな幸せなことはない。