特番インタビューから…最終回④進藤選手篇

昨年12月29日(日)ごご4時30分~放送させていただきました「検証コンサドーレ2019 ルヴァン杯 決勝へと導いたあの力~北海道が開く世界への扉~」より、インタビューのご紹介、最後となります。進藤亮佑選手のインタビューです。。。がその前に大変申し訳ないのですが本編の前に番組の紹介をさせてください。

北海道地区限定ですが、2月8日(土)ごご1時30分~(ゼロックス杯の裏…)HBCにて「世界へ羽ばたけ!LOVE ALL HOKKAIDO」という番組を放送させていただきます。すでにクラブ広報でも紹介いただきありがたい限りです。この番組は「北海道とともに世界へ」というクラブスローガンを、スポーツではない部分にフォーカスしながら、北海道の可能性を信じ、北海道とともに世界へチャレンジしようという意図をもってつくらせていただきました。図らずもその番組制作中にインタビュー書き起こしをしていたこともあり、北海道コンサドーレ札幌というクラブの精神というものを感じながら作らせていただいたつもりです。野々村社長、そしてパートナーさまの社長、そしてサポーターのみなさまが一番気になるトップパートナーの社長にも出演していただきます。ぜひご覧ください。

ではお待たせしました、進藤選手インタビューです。

Q.サッカー始めたのは何歳の時?

進)幼稚園の年長ぐらいからは本格的ではないですけれど、幼稚園の教育方針の中でサッカーで体を動かすというのがあったので、本格的には小学生ぐらいですけど、そのころからけり始めていたかな、というのはありますね。

Q.きっかけというのは幼稚園の教育方針?

進)だったと思います。最初から自分でやりたいというよりはみんなに混ざって蹴り始めたかな、っていう記憶はありますね。

Q.小学校に入ってからはサッカー少年団ですか、札幌の?

進)少年団に2年ぐらい行って、そこから小学生2年生の時に対戦したチームが強かったので、そっちに行きたいという話を親にして、そこからはさらに本格的に始めたという感じですね。

Q.それがSSS札幌サッカースクール、強いから入りたいと思った?

進)最初の頃はただボールを蹴るのが楽しいという感じでしたけれど、徐々にその頃からより高いレベルというか、自分のプレーしている環境に対してこう、楽しくはやれていたんですけど、さらにうまくなりたいという気持ちが芽生えてきたときにちょうどそういういいチームとの出会いがあって、自分からそんな話をしたんじゃないかなと、何となくですけど、という記憶がありますね。

Q.SSS札幌サッカースクールに入ってレベルはどうだった?

進)そんなに意外と、あいまいな記憶ではありますけれど、レベル高かったですけれど、自分も少年団で王様的な存在で、自分で勘違いしてやっていた部分もあったので、それなりに技術的にもあったと思うので、ちょうど自分のレベルにあったというか、そういう環境で指導者の方も単純にこう、強いチームでしたけど、目の前の相手を抜くとかそういうアイディアをどんどん教えてくれるチームだったので、すごく自分に合っていたと思いますね。

Q.小学校時代のレベルにマッチして成長できた?

進)そうですね、いい環境でやらせてもらったというのはありますね。

Q.最初の少年団の時は圧倒的に一番だった?

進)何人か、同じ学年にもうまい子がいて、上の学年に混ざっても、上の学年も少年団の中では強かったので、そんなにレベルは低くなかったと思いますけど、そこよりもさらにもっと強いチームに行きたかったので、そういうきっかけがあったので、そういうきっかけがあって、実際試合してという、そこは。。。もちろん少年団もいいチームでしたけれどさらにというのはありました。

Q.中学校の時もSSS札幌サッカースクールで順調に成長できた?

進)でも中学校入って1年目は試合にはほとんど出ていないですね、そういう記憶があって、どんどん、強いいチームだったので外部からいい選手が入ってきて、そこの争いに最初は敗れたという形だったと思いますし、自分自身もそういう、まさか試合に出られないとは思っていなかったので、ちょっとネガティブな気持ちになった中学校の最初の1年間だったという記憶がありますね。

Q.それが初めての挫折というか…

進)そうですね、挫折…に近い衝撃はありましたね、まさかという。

Q.その時に自分か何か変えたことはありましたか?

進)その時はなかなか気づけなかったですけれどやっぱり、常に自分がうまいと思っていても下からの突き上げがあるし、逆に自分が下の立場であれば練習していれば追いつけるという感覚はその頃に学んだ部分はあるかなと思います。

Q.練習すれば追いつけるんだと…

進)うん、そういう感覚は今も持っていますけれど、その頃に身に付いた感覚かなと思います。

~ここで部屋が暑くなり、一旦小休止~

Q.そうすると中学校2年生からはレギュラーで出ていて…

進)中学校2年生はボランチをやる機会もあって、大体その頃からは徐々に自分のプレースタイルとかは確立されて、その頃からヘディングは強かったですし、ゴールキックは中学生なんで、やっぱりハーフラインぐらいまでしか飛ばないので、ボランチの選手がすることが多くて、その時は負けた記憶がなかったですね、北海道では。全国に出たときもヘディングだけは通用するなと当時の監督には言われていたし、逆にそこを伸ばしていけということも言われたので、技術的には自分よりうまい選手が何人もチームにはいましたし、ただそこはもしかして自分の生きていく道なのかなというのはその頃から思ってました。

Q.その後コンサドーレのU18のアカデミーから声がかかりますが、それを聞いたときはどうでしたか?

進)驚きはありましたし、練習参加という話は同じチームの先輩とかも何人か参加したというのはあったので、その結果皆コンサには行かずに地元の高校に行くという選手が多かったので、自分もまさか本当に結果的にコンサのユースに入ることになるとは思っていなかったので、そんなに大きな事だとは思っていなかったですね。

Q.入ってみてどう感じてましたか?

進)もう恐怖に近い感情が当時はあって、僕は中学3年生の冬頃はユースの選手に交じって、練習参加させてもらっていたんですけれど、自分のチームにはいかずに、その頃はやっぱりユースていうのは一番強かった時代で、今の深井選手だったりとか、その当時は奈良選手、荒野選手世代が全国の決勝まで行った世代だったので、本当に強かったですし、全員うまかったので、本当に練習も緊張感があって、実際レベルが高くて、本当についていくのが精一杯で、自分のミスで練習が止まるということもしょっちゅうだったので、そこはつらいというか、練習は楽しかったですけれど、やっぱりそこの緊張感はあって、正直あんま行きたくないなと思うこともありましたけれど、またその時もやっぱりいずれ追いつけるし、追い越せるというのは、練習していればと自分に言い聞かせてやってましたね。

Q.すごいなと思うのは、ここはどうすればいいみたいな自己分析力が優れている…

進)うーん…人よりも長けているというか、ある意味なんですかね、自分に言い聞かせないと、やっぱり、折れてしまいそうだったので、ある意味自己暗示みたいな感じで、絶対に大丈夫だ、っていうのを言い聞かせながらやった結果、高校入って1年目で、試合にはなかなか出られなかったですけれどベンチには入れることも徐々に増えて、そのあたりから徐々に徐々にこう自信がつき始めた年代かなと思いますね。

Q.アカデミーの指導はどういう感じ?

進)ひと学年に10人ぐらいしかいなくて、高校1年生から3年生まで30人とか少ない人数でトレーニングするので、本当に中学生の時は1人のコーチで20人、30人見ていましたけれど、やっぱりユースに上がって、3学年で30人ぐらいしかいないので、すぐに自分の悪いところだとか課題を伝えてもらえる、しかもレベルの高い指導者にっていうのは、さらに成長できる環境には進めたかなと思いますし、実際プロというのが近場にあるので、練習試合とかも年に何回かありますし、そこは本当に自分にとっていい環境だっと思いますね。

Q.アカデミーで得たもの、学んだもの、印象深いものはありますか?

進)当時今コーチやっている四方田さんが監督だったんですけれど、サッカーのことはもちろんですけれど私生活のことをけっこう言われることが多くて、どちらかというとサッカーのことで怒られたということはあまりなくて、もちろんコーチングとか、指摘されることは多かったですけれど、それよりはやっぱり人間的な部分での指導が多かったので、イメージでは高校サッカーの方がそういう人間的な教育はウェイト占めるのかなというイメージはありましたけれど、ユースでもしっかりと学校と連携してくれたりだとか、僕がちょっと学校に行かなかった、行かなかったというか、きょうちょっといいかなというので、僕朝自転車で行くんですけれど、ああ間に合わないなと引き返して家に帰ったこともあったんですけれど、すぐにバレるんで、そういうところは本当にしっかりとやらないと、人間的に成長しないといけないというのは言われて、それが一番怒られましたね、学校とかの生活態度とか、成績表も見せますし、ユースのヨモさんに、正直授業は聞いていなかったですけれどしっかり結果だけは出すように、ギリギリでそこは何とか、もちろんサッカーだけやっていたかったですけれど、何とかしがみついてやっていた記憶はありますね。

Q.学校からアカデミーに連絡がいくようになっていた?

進)学校の先生がみんないい人で、厳しいことも言われましたけれど基本的にはコンサのユースの活動を理解してくれて、いい関係は築けて、優しくしてもらっていましたけれど、ただやっぱり報告はヨモさんの方に行くので、結果的には怒られるのはヨモさんから怒られる、非常に肩身の狭い思いをしていましたね。

Q.学校をサボったときに具体的にはどんなことを言われましたか?

進)それこそヨモさんから直接電話がくるということはあまりないんですけど僕は2回覚えているのは、中学校の時に、まだコンサにいなかったときにコンサに来ないかという電話と高校3年の時にトップチームの練習に午前参加して、午後学校行きなさいということを言われていて、ただ練習がちょっと長引いて、もう学校に行っても6時間目、最終の授業しか出られないとなっていたので、まぁ最悪しょうがないなと思って、その1時間だけ本当に行かなかったんですよ、そしたらその練習参加が終わった土日に家にいたら電話がかかってきて、携帯にですけど「もうやめてもいいぞ、そういう気持ちなら、本当にトップの昇格はしなくていいし、もう本当に、学校の行ってサッカーも両立できる選手じゃないとプロに行っても無理だから」という話をヨモさんからされて、もう本当にその時は身が引き締まって、そこから考えを改めてというか、また気合を入れ直したという記憶はありますね。

Q.1時間でも?

進)1時間でもプロはダメだと。その時は本当に、ただ本気で選手に接してくれているなと感じたので、信頼を裏切らないように、練習もそうですし、最低限学校の生活もやっていたという記憶はありますね。

Q.人としてきっちりやっていくこともアカデミーで学んだ?

進)ですし、僕はプロになってからもヨモさんに言われていましたね。そこは寮とスタッフも連携しているので、そこはようやく私生活の面ではヨモさんの手を離れられそうです、徐々に。23歳になってようやく。

Q.まだ言われていたんですね?

進)おととしぐらいまで言われていました。

Q.同期のトップ昇格は1人だったがどう受け止めている?

進)まず高校2年生ぐらいのときに練習参加行かせてもらえるようになって、もちろんレベル高かったですけれど、守備のところで人に行くところだったり、ヘディング、守備の面では通用する部分があると思っていたので、可能性はあるという手ごたえはあったのでトップに上がれるというときにそんなに驚きはなかったですけれど、ただやっぱりいつ来年契約がないといわれるかわからない世界なので、そこへの怖さはありましたし、自信は当時は持っていましたけれどやっぱりプロの舞台となると別だと思っていたので、大学の選択肢はちょっとあったので、そこは少し悩みましたけれど最後は意外と自信をもってトップに行きたいというのは伝えました。

Q.プロになってから2,3年間の気持ちは?
進)2年目でJ2の半分ぐらいは出させてもらえて、そこでもなんとかしがみついて、J2でしたけれど、やれる部分はあるなと思っていましたけれど、やっぱり3年目J1に上がってなかなか試合にも絡めなくなった時に自信を失いかけた時期はあったんですけれど、その当時若手が今よりも多くて、午後だけ若手だけ残って練習とかもありましたし、その中も、その練習も、正直試合出ていないときって練習やってもどうせ試合出られないしと思うところはあるんですけれど、そこはしっかりムチ打って1年間やり通せたので、それが実際今こうやって4年目以降試合に出られたっていう事に繋がっていると思いますし、その当時は精神的にはきつかったですけれど、あの頃があったから今があるんじゃないかといえると思ってますね。

Q.その時もきちんとやっていればJ1でもやっていけるというメンタルだった?

進)やっぱり中学校1年生の時もそうですし、ユースに入って最初の、年上の選手のレベルに驚いたときもそうだし、実際その壁を壊せてきたという過去があったので、その時も絶対に、時間はかかるかもしれないけれど自分に対しては期待をかけて、結局自分を守るのは自分しかいないと思っているので、今でも思っていますけれど、自分を信じでやっていましたね。

Q.日本代表にもなって、自身ではここまで順調に来ていると思う?

進)僕の元々生まれ持ったサッカーのセンスとか、そういう才能から言うと万万歳ですね。
かなり順調だと思いますけれど、他と比べたときにまだまだ23歳で、海外で実際プレーしている人もいるし、そこと比べたらまだまだ遅いというか、そういうレベルの選手には遅れていると思いますけれど、ただ実際今まで通りトレーニングだったり、ゲームというところでアピールしていけばそういう選手たちも追い越せると思っているので、そこは、成長スピードというのは人それぞれだと思うし、そこを追いつける自信はあるので、そんなに考えていないですね、そこは。

Q.才能から言うとという部分は…

進)技術的な部分で言うと自分よりうまい選手はいたし、フィジカル的にも優れていた選手はいましたけれど、自分がどういうところで戦えば高いレベルで生き残っていけるかというのを考えて、そういう自己分析能力は大事だと思っていたので、そこは自分と向き合ってやっていけたら、そこは一番成長できた要因だと思いますし、逆に自分よりうまかった選手でもなかなかそれ以降のサッカー人生がうまくいかない人もいる中で、自分が成長できたのはそこを大事にしてきたからかなと思いますね。


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