『娘と息子に遺す父の挑戦〜人生を探求して見つけたこと〜』
「社会と直結する探究学習を子どもたちに提供し、静岡を人財輩出県にする」という願いを抱き、社会と学校、人と人を繋ぐという目的をもって大海に船出したのが2年半前の2020年4月。
ところが、当時はコロナ騒動が始まり大荒れになっている真っただ中。
企業は自社の生き残りで精いっぱいでPROJECTに協賛する余裕などない。
学校は休校になり授業のコマ数が足りないため、新たな学びを導入する余裕などない。
こんな状況に、ビジネスが成立するのかもわからない。
そして辞職した途端に「何でもない人」になったことも痛感した。
誰からも頼られない、やりたくても仕事がない、先の見通しがない。
威勢よく飛び込んだものの、どこまでどう漕げばいいのかわからない、いつ沈んでしまうかもしれない状況に、気付けば不安に襲われる日々だった。
辞職したことを後悔したり、なぜ辞めるのを止めてくれなかったのだと他者のせいにしたりした。
今現在、自分を頼ってくれる人がいること
自分が力を注げる仕事があること
30年余り当たり前故に意識すらしなかったことが、なんて幸せなことなのだと思える自分がいる。
改めて振り返ると、辞職して新たな旅を始めたこの2~3年は、まさに人生のターニングポイントであった。
そして、自分の決断とコロナ禍が重なったことには、人生を探求するという大きな意味があったのだと思う。
2022年9月15日、ちょうど娘の誕生日に天からアイデアが降りてきた。
実は、探求の旅を始めてから、折々に起こった出来事や想いをメモ書きしてきた。
このメモを単なる備忘録にするのではなく、我が子に遺す「遺言」に仕立て直しをしようと思う。
アイデアが降りてきたきっかけは、フリーアナウンサーになった小沼さんに今日出会ったこと。
彼女のターニングポイント(天竜の古い雑貨店主との出会い。放送を機に一気にお客さんが訪れ、何十年も売れなかったものが売れるようになった。これまで視聴率を目的にやってきたが、自分の存在価値、やれることが違うと気付いた瞬間だったという)の話を聞いたことが影響した。
自分も探求の旅の中で、改めて自分の存在価値に気付いたり、社会に生み出したい価値に想いを馳せたりしている。
仕事を含め、何に向かって人生を走っていくのか、その方向や心持ちで人生の色合いはいかようにも変わる。
自分の人生をコーディネートしていくのは自分。
娘や息子には、自分の人生を自分らしくコーディネートして幸せになってほしい。そのための何らかのスパイスになってくれたらと思い、私の挑戦「人生の探求」を「遺言」としてnoteに綴っていこうと思った。
林修さんは「人は過去を今の色に染める」と言う。
この2年半を、盛った話にしないように、記憶ではなくメモから引用して綴ろうと思う。
また、これから起こることは、「今その時」に綴ることを心がけようと思う。
なお、「人生の探求」を「探求」と名付けているのは、自分の人生にはどんな意味があり、自分にはどんな役目があり、どんな価値を生み出していけるのだろうという問いに、自分なりの答えを見つけていきたいので、「探究」ではなく「探求」を使っている。
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