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時代への挑戦状と時代にハマった競馬。スプリンターズステークスを読む

 京極夏彦氏の『鵼の碑』は17年ぶりの百鬼夜行シリーズ最新刊だ。前作から長いこと待った。超速で情報があらわれては消えていくこの時代に、こんなに人を待たせる作品はない。だが、ファンは忘れてはいなかった。もちろん、私もその一人だ。この作品の前日譚が収録された『百鬼夜行 陽』が2012年なので、そこから11年も月日が経った。まずはこれを読み直し、発売を待った。

 ファンにとっては何の違和感もないが、最新刊もまた読む鈍器だった。単行本で1200頁を軽く超える分厚さ。その重量は1.2キロ。手にとった感触は明らかに本のそれとは違う。発売日に書店で目にしたとき、製本技術に感動を覚え、同時に現代社会への挑戦状のようにみえた。

 時短、タイパ、倍速視聴。
とにかく現代社会はせっかちだ。ネット回線の高速化と比例するように、時間の価値に重きを置き、人間は24時間でどれほど多くのことを行い、大量の情報に接することができるかを競うようになった。仕事の時間を短くし、趣味に多くを費やそうぐらいまでは納得できるが、じっとせず、動き回りながら端末から情報を獲得し、映像作品は手っ取り早く倍速で視聴するとなると、もうついていけない。確かに便利ではある。かくいう私もほぼ1日中、自宅で過ごしていてもなにも困らない。欲しいものはネットで注文すれば、何でも手に入る。だが、そんな便利さと時間短縮は両立していいものかと、疑問に思う。自分が若いころに時間のかかる青春を過ごしてからだろうか。そんなのおっさんの戯言だと言われてしまえば、それまでだが。
 
 読書はそもそも時短ができない。もちろん、あらすじや要点だけを抜き出したサイトもあるにはあるが、読書の満足は内容を知ることから得られるわけではない。活字に触れ、ページをめくり、物語を追う感覚はゆったりとした鈍行列車の長旅のようなものだ。だから『鵼の碑』は時短、タイパの時代への挑戦状だ。完読は短縮では決して得られない。立ち止まり、腰を据え、贅沢な時間を使ってはじめて得られる。1.2キロの本は動き回りながら、スマホ片手に読めはしない。ながら読みを決して許さない厚みはなにを物語るのか。いかに大容量の器をどれほど手早く満たすことができるのか。そんな時代の疲れを癒す存在であり、そろそろゆっくりしないかとその転換を勧める存在。それが『鵼の碑』という作品だ。
 
 実は競馬も現代に見合ったコンテンツだ。一日競馬場にいるのは贅沢な時の使い方ではあるが、かつて競馬場に入れない時期はそれも消え、レースの消費が進んだ。なにせ競馬は長くて4分、短ければ1分以内で結末が訪れる。最低でも3時間かかる野球や90分もやるサッカーとは比較にならないほど、短時間で終わってくれる。そんな超短編が1日12編。場合によっては36編も用意されている。タイパは最高にいい。2分じっと画面を見れば、1冊の小説に劣らない感動が得られる。一方で、関係者は膨大な時間と手間をかけて、競走馬に向き合い、その物語を紡ぎあげる。その深みや味わいは長編小説でもあり、そこまで掘るかどうかで、競馬観は大きく変わる。関係者の時間感覚とファンの消費感のズレが競馬観の相違を形成しているようでならない。

 超短編という意味ではスプリンターズSは最速のGⅠであり、もっとも短い小説といっていい。スピード勝負の中山芝1200mにテイエムスパーダとジャスパークローネがそろう。ダッシュで劣るテイエムスパーダは北九州記念ではジャスパークローネに先頭を譲ったが、白帽子の今回はどうするだろう。行くしかないと覚悟を決めれば、ジャスパークローネを途中からでも追い抜きにかかるだろう。ジャスパークローネもまた周回コースで逃げなければ、大敗、逃げれば好走という気難しいスプリンターだ。はい、どうぞなんてお人よしではあるまい。
 
 2頭のつばぜり合いがそのままゴールまでという場面を夢想しながらも、その背後で狙うジュビリーヘッドに狙いを定める。短距離王国と呼ばれた安田隆行厩舎、最後のスプリントGⅠ。その地位を確固たるものにしたロードカナロアを父にもつジュビリーヘッドはこのコース[2-1-1-2]。テイエムスパーダ、ジャスパークローネが坂で鈍れば、出番が回ってくる。函館SSはハイペースを追いかけ、早めに動いて勝ち馬にかっさらわれた。この経験が本番で活きる。前走は本番前のひと叩きにすぎない。ロードカナロアもセントウルSは2年連続2着。使って上向く典型的なキングカメハメハ産駒だった。安田隆行調教師はすべてを知り尽くしている。


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