【AJCC予想】令和の異界ウインズに集うもの
競馬場に行く理由には想像が及ぶが、ウインズに通う動機が見えない。有料とはいえ、視聴環境が整い、馬券も場所を問わず買えるようになった。コロナ禍では閉鎖状態だったウインズは、もはやその役目を終えようとしているのではないか。そんな想いからウインズを訪れた。
なぜ、ウインズに通うのか。
ウインズは令和の世にあらわれた異界である。ウインズ後楽園はご存じの通り、東京ドームの隣にある。敷地内のホールではウルトラマンエキスポが開催され、ファミリー層がひしめく。東京ドームではゲームのイベントがあり、ちょっとしたコスプレ気分の若者たちがグッズ売り場に殺到していた。
ネット時代だからこそ、リアルなイベントに価値を見出す。これが令和の日常だろう。だから、競馬場は混んでいる。馬券を買わずにパドックでじっとするファン、大きなカメラを抱え、レースが終わるごとにウイナーズサークルにダッシュするファン。競馬場の光景はここ数年で大きく変化した。ハズレ馬券を叩きつける人はほぼいなくなった。たまに怒号がしようものなら、みんな、振り返って冷たい視線を投げる。かつては、怒号はそこらじゅうであがり、いちいち反応する人もいなかった。競馬場の日常は確実に変わった。変化は悪いことじゃない。かつて君臨した巨大な組織が次々と危機に瀕し、令和の空気は着実に変わってきた。時代は変わろうとしている。競馬場にいても、その風が頬を伝ってくる。
そんな令和の日常から一歩、黄色いビルに足を踏み入れれば、ごみ箱を漁るおじさんや、馬券を拾うオヤジが出迎える。全員が競馬新聞に目を落とし、静まり返った館内に新聞をめくる音が響く。
かつて、グリーンチャンネルもパット投票権もなかった私が通っていた頃の光景が目の前に広がる。人の密度は比べものにならないほどに減ったが、そこに佇む人々は昭和平成をまとっていた。これがウインズの日常だった。
なぜ、ウインズに通うのか。時代の変化に煽られ、行き場を失った人たちが集っているのではないか。昭和平成を生き抜いた人々にとって、ウインズは居心地がいい空間だった。純粋培養された馬券オヤジたちが発する呻き声には、加齢臭と哀愁が漂っていた。この人たちもまた競馬を支え、長きにわたり競馬を愛してきたのだ。
冬なのに高速馬場という中山芝は、令和の馬場管理技術の粋を感じる。昭和の芝は枯れ、緑になった平成も、あっという間にボコボコになった。水はけが悪く、芝の根つきが悪い中山をここまで頑健した技術は世界に誇れる。
しかし、最終日の雨はさすがに辛い。人は天気だけはどうにもできない。抵抗する術はあっても、避けることはできない。雨の最終週に行われるAJCCはボッケリーニ、マイネルウィルトスのベテラン勢が引っ張る。これもまた令和の競馬だ。大物はみんな、GⅠが終われば、外厩へ出る。GⅠからGⅡへの続戦も、その逆もほぼない。1月のGⅡ、道悪であれば、カラテにも出番はある。春の新潟大賞典は不良馬場で2.03.8もかかるなか、圧勝だった。2、3着の差は8馬身。逃げたセイウンハーデスをつかまえたカラテの価値は高く、馬場悪化なら出番はある。爪に不安があり、時計勝負では厳しい。雨を味方に再び重賞タイトルをつかむ。中山外回りは内回りほど中山感がない。内回りの皐月賞5着だったショウナンバシットも父シルバーステートで時計はかかってほしい。若い組ならこっちだろう。
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