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人を殺すつもりで歌を歌う

 今年はとりあえずライブ活動を休もう、と決めたものの、全く音楽活動してないのも嫌だなあ、とカバーを二月からあげ始めましたが、普段からこれくらいの感じで歌えないのか? と身内に言われました。

 正直無理な話だ。
 人前、というかステージに立つと、共演者だろうがスタッフだろうがお客さんだろうが、殺してやろう、って意気込みで歌ってしまう。

 何故だろう、聞いてください、とか言ってるのに、殺してやろう、って。

 最初はそうじゃなかった筈なのに、気付いたらどんな歌詞だろうが、曲調だろうが、殺してやろう、って意気込みで、何で殺せないんだろう、って目の前の共演者を見ながら思ってた。

 人が居ないからなんだ、居ないならってだらけで内輪ノリになって、その人達の身内にはなれないからかもしれないけれど、それが嫌で、ああ殺さなきゃ、って思いながら歌を歌ってる。

 ああ嫌だ、それで、私自身の力不足もあるのだけれど、お客さんが興味無い空気を纏う、なら殺さなきゃ、って、興味を持ってくれてても殺してやらなきゃ、と。

 男だらけの中でデブスの女、しかも下手くそな空気をぶち壊すタイプの女が出てきてしまえば興味無くなるのは無理ないし、女子イベの中に打ち込まれれば可愛くないデブスの女がやはり空気をぶち壊すだけぶち壊す嫌な演者となる。

 まあ単に下手くそな訳であるが、内輪ノリがやっぱり嫌だし、気付いたらもう演者として、全ての場所が敵地にしか感じなくなってしまった。

 まあそれだけならぶちのめすつもりで、ぶっ殺すつもりで歌い続けられたと思う。

 こんなになってから、ポッキリ折れてしまったのは、ライブなのに歌を殆ど歌わずに「YouTubeのこの人の動画を見て、皆で意識を変えていきましょう」と持ち時間演説し続けた共演者に出会ってしまったから。
 急に、あれ、なんでこの人と共演させられてんだろう、となってしまった。

「ネットの情報を鵜呑みにしないでください」「その為にこのYouTubeの動画を見てください」ってお前、それ、ネットの情報を鵜呑みにしてるじゃん。
 これ、何、30分も続くの? 歌えよ。(という自分も、対バン形式なのにMCで煽る気も起こらず、二度とこの人とは関わりたくないなあ、とそっとTwitterからフォローを外した)

 いつものように殺す意気込みで歌えればいいのに、なんかもう馬鹿らしく、なって、何かもう、休もう、もう嫌だ、となった。

 考えてみれば、311の時と同じで、様々な人々が様々な思惑をネットにぶち撒けた時と同じで、この人はこういう人だったんだなあ、と何人か距離を取った。

 だから、今回も同じ。
 ライブで演説しなくても、ネットでそういう情報を流し続ける人とか、もう、嫌だなあ、疲れたなあ。

 嫌いな人は増えたし、俺は味方ですよ、ってやつは嘘吐きと思うようになったし、配信ライブが苦手なのもあるのだろうけど、何の意味があるのかわからなくなった。

 そういう時は休もう、本当に殺してやらなきゃ気がすまなくなる。
 そもそもどこのライブハウスもホームと思えなくて、仲いい人とか、良くしてくださった人達にもファミリーと言われると、嫌だなあ、と思ってた。

 どうしてこうも恩を仇で返してしまうんだろう、でもどうしょうもない程にファミリーとホームという言葉は嫌いなのでこれからも使うことはないだろう。

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