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呪いが解けた日(母とのプチ対決その後)

https://note.mu/hazki/n/n843d33feb602 の続き

2015/06/08、突然呪いが解けた。

仕事は短期のバイトから長期のパートになり、病状に波はあるものの仕事は続けられる程度になっていた。少し情緒不安定で、夜になると泣いたり夜中に魘されたりすることが多かった。

その日もわたしは母の昔の言動を思い出していた。
繰り返し聞かされた話として、「(赤ん坊のわたしを)職場に連れて行って子守しつつ仕事した」と言うのがある。それを小学生のわたしに言うのだ。多分わたしは「ふーん」とかその程度の返事しかしなかったと思う。

もしかしてあれは感謝して欲しかったのではないか?「そこまでして育ててくれたんだ、ありがとう」と言って欲しかったのでは?小学生のわたしに?
そこですべてが腑に落ちた。

母は今でも感謝や崇拝や称賛や注目が欲しくて欲しくて仕方ないのだ。でも父も褒めて欲しいばかりの人だから欲しい同士でおそらく満たされない。わたしはそういう機微に鈍感でアピールに気が付かなかったし、気がついた今も母に感謝の気持ちは湧かないし母を羨ましいとも思わない。おそらくそれが母を苛立たせていた。「お産がとても痛い」も「子守しながら仕事」も当のわたしに感謝して欲しかったのだ。
そんなにも感謝が欲しいなんて、なんて弱い、弱い人なんだろう!

すべて納得が行った。
母が健康食品販売を続けるのは感謝されたいからで、わたしにもしつこく勧めるのはやっぱり感謝されたいからなのだ。
あの人は勘違いしている。自分を満たしてくれるのは他人からの感謝じゃない。人は誰でも乾いていて、満たされたかったら自分で自分を満たすしかないことを、あの人はいまだに知らない。

そしてわたしは自分の病についても考えすぎるのをやめた。
わたしの病気は明らかに生育環境が影響している。それをずっと恨んでいた。でももうどうでもいい。わたしの病気はいわば反応だ。防衛機制というやつだ。病気にならないと生きていけなかったから病気になったんだ。バカバカしい。気にすることなんてなかったんだ。

外ではシジュウカラがきれいな声で鳴いていて、それを穏やかな気持ちで聴けるだけでわたしは満足だ。わたしは母と連続した存在ではなく、わたしだ。
わたしはわたしだった、最初から。

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