4.結果 4-3. 実地調査および文献調査結果 (旧川上貞奴別荘(萬松園))
さていよいよ今回の論文作成のメインである実地調査と文献調査の結果にたどり着きました。実地調査は、論文作成にあたりご指導いただいた先生にもご同行いただきました。まずは旧川上貞奴別荘(萬松園)からご紹介します~。
実地調査および文献調査を行った岐阜県の旧川上貞奴別荘(萬松園)と愛知県の八勝館御幸の間についての結果は次の通りである。
なお、旧川上貞奴別荘(萬松園)の名称については、岐阜県近代和風建築総合調査報告書では萬松園(旧川上貞奴別荘)と記載されていたが、本論では以降は旧川上貞奴別荘(萬松園)に統一して記載する。
4-3-1. 旧川上貞奴別荘(萬松園)実地調査結果
旧川上貞奴別荘(萬松園)の部屋の配置は巻末図1、巻末図2の通りである。1階の部屋は、玄関・広間棟の執事室、内玄関、応接室、広間、次の間、居間、次三畳、茶の間、北側四畳、仏間・客間棟の書斎、仏間、サンルーム、六畳、客間、次の間、田舎屋棟の田舎屋、浴室棟・茶室棟の浴室、茶室、台所棟の四畳半、台所、女中部屋、風呂の24部屋である。棟と部屋名一覧を表4に示す。
表4_旧川上貞奴別邸棟名・部屋名一覧
そのうち、室内装飾織物は10部屋の13箇所に18種類が使用されている。部屋毎の使用箇所、染織の特徴、加飾技法、地色、模様、材質、その他についての調査結果は次の通りである。一覧を表5に示す。なお、部屋名は旧川上貞奴別荘当時の部屋名で、()内は現在の萬松園パンフレットに記載されている部屋名である。
表5_旧川上貞奴別邸部屋別室内装飾織物一覧
4-3-1-1.広間(桐の間)
広間には3箇所に3種類の織物が使われている(巻末図3)。床の間横地袋の小襖には、印金が貼られている。紫地一重蔓牡丹唐草模様で材質は絹である。床の間奥の柱横に沿うようには金襴が張られている。紺地雲模様で材質は絹である。木製の廻縁と天井の間には帯状に緞子が貼られている。紺地小花模様で材質は絹である。
4-3-1-2.書斎(藤袴の間)
書斎には1箇所に1種類の織物が使われている(巻末図4)。天袋の小襖に張られている、白地藤袴模様で材質は絹である。
4-3-1-3.仏間(御法の間)
仏間には1箇所に1種類の織物が使われている(巻末図5)。地袋の小襖に銀襴で加飾した緞子が張られている。白地青海波向鶴模様で材質は絹である。
4-3-1-4.六畳(円窓・船底天井の間)
六畳は仏間の隣に位置する。間仕切りの杉戸の上半分に青々とした菩提樹の枝と白い鳩がある。天井は砂摺板の船底天井、窓は円窓と節のある竹の障子を組み合わせている。この部屋には1箇所に1種類の織物が使われている(巻末図6)。地袋の小襖に張られている。蘇芳色地縞模様で材質は木綿である。
4-3-1-5.客間(ガラス障子の間)
客間はサンルームと一体化した和室で装飾は控え目である。この部屋には1箇所に1種類の織物が使われている(巻末図7)。天袋の小襖の取手周囲に貼られている。赤、青、淡黄色、深緑地格子模様で材質は木綿である。
4-3-1-6.田舎家(藁葺きの洋間)
田舎家には1箇所に織物が使われている(巻末図8)。天袋の小襖に8種類の地色・模様の異なる裂を亀甲模様に寄裂したもので材質は縮緬である。8種類の裂を表5に示す。左側は8種類41ピースの亀甲で構成される(巻末図9)。右側は7種類41ピースの亀甲から構成される(巻末図10)。左右の7種類は共通で、紫飛び鹿子文絞染・白地草花文型染・薄浅黄地麻の葉文絞染・紺地霞に紅葉文型染・薄黄色地破れ菱に蝶文型染・茶色地並び竹に雀文型染・紫地小花文型染である。左側には右側に無い紫地麻の葉文絞染の1種類が加わり8種類となっている。全体にほつれや破れ、褪色があり古びた印象で、特に紫飛び鹿子文絞染と薄黄色地破れ菱に蝶文型染は破れが大きい。
表6_旧川上家貞奴別邸(萬勝園)田舎家天袋裂一覧
4-3-1-7.茶室(洋間に対峙する茶室)
田舎屋の向かいに位置する。錆浅葱色の壁、こぶしの落とし掛、網代の掛込天井、ナグリ目の柱、皮付き丸太の柱等がある。この部屋には1箇所に1種類の織物が使われている(巻末図11)。地袋の小襖に紬が貼られている。薄茶地紬織物で材質は絹である。
4-3-1-8.配膳室(ダイニングルーム)
玄関・広間棟と女中部屋の間に位置する。三畳の配膳室には1箇所に1種類の織物が使われている(巻末図12)。造り付けの食器棚の引き戸に絞り染めが貼られている。紅色地丸文絞染で材質木綿である。
4-3-1-9.応接室(北・控えの間)
応接室はほとんど装飾が無い。この部屋には1箇所に1種類の織物が使われている(巻末図13)。地袋の小襖に貼られている。青地格子縞織物で材質は木綿である。
4-3-1-10. 執事室(南・控えの間)
執事室はほとんど装飾が無い。この部屋には1箇所に1種類の織物が使われている(巻末図14)。天袋の小襖に藍染が貼られている。藍地菊唐草亀甲に菊文型染で材質は木綿である。
4-3-1-11.まとめ
以上が萬松園(旧川上貞奴別荘)に使用されている室内装飾織物である。部屋毎に異なる染織の特徴、加飾技法、地色、模様の織物が使用されている。材質は絹と木綿である。
4-3-2.旧川上貞奴別荘(萬松園)文献調査
旧川上貞奴別荘(萬松園)に関する4つの文献調査結果は次のとおりである。
4-3-2-1.新指定の文化財 建造物 旧川上家別邸
旧川上貞奴別荘(萬松園)は2007(平成19)年に各務原市指定文化財となっている。2018(平成30)年5月18日に開催された文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て、10件の建造物(新規9件、追加1件)のうちの1件として、旧川上家別邸が重要文化財に新指定された。「貞奴の滞在や接客のための部屋の眺望などに配慮して巧みに配置し、部屋ごとに様々な意匠を使い分けて、変化に富んだ外観と豪奢な室内空間を創出している」とある(文化庁文化財部、2018、8)。
広間の室内装飾織物について次の記載がある(同、41)。
床の小壁出隅部の吊束を省き、幅の広い蟻壁を廻らせて軽やかに見せ、蟻壁は金沙子雲紋紙貼付、天井も白紙貼付として周囲に蛇腹を廻らせ、草花紋の布を帯状に貼る。
岐阜県近代和風建築総合調査報告書の室内装飾についての記載と同一で広間の天井にある草花紋の帯状の裂についての記載がある。
4-3-2-2.川上貞奴の菩提寺貞照寺と別荘萬松園-ひとりの女性先駆者の実績
明治から昭和初期にかけて我が国初の女優として知られる川上貞奴(本名貞)の別荘と菩提寺が岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町にある。別荘は木曽川の景色を一望でき景勝地にある萬松園、菩提寺は別荘から国道21号線をはさんである貞照寺である(西、2007、7-8)。
川上貞奴の経歴は、1871(明治4)年に東京日本橋に生まれ、16歳で芸子になり貞奴と名乗り、1891(明治24)年に川上音二郎と結婚し舞台女優となる。その後女優を引退している。
西は貞奴を語るときに忘れるわけにはいかないのが福沢桃介であるという(同、7)。福沢桃介は、明治から昭和前期に活躍した実業家で、木曽川水系の電力開発に努めた人物であり、川上貞奴のパートナーである。
萬松園は表門・茶室・主屋から成る。主屋の障壁画、天井板絵等の落款から1933(昭和8)年完成と判断され、萬松園は貞照寺参詣寺の別荘として建てられたという。主屋は、中庭を囲んで複雑に繋がっており、玄関・広間棟、仏間・客間棟、田舎屋棟、茶室・浴室棟、台所・女中部屋棟から成る。構造は平家で、女中部屋部分のみ二階建てである(同、20)。
広間には床・付書院・火灯窓があり、引手は源氏香、星州筆の障壁画がある。書斎には琉球畳・網代天井・欄間組子・墨跡窓・違棚があり、仏間には黒漆塗に輪宝象嵌の仏壇があり、天井鏡板に如竹筆の天女がある。サンルームにはタイル張りの床・ステンドグラスがある。田舎屋は入母屋造り茅葺きで、化粧屋根裏・大黒柱・床は板敷きで一部畳敷きである。部屋はそれぞれ意匠が異なる(同、20)。
蚊帳吊金具が、仏間・客間棟の書斎・六畳・客間だけにあることから、ここが私的な居住空間である。その屋の浴室・便所などは主人である貞奴のための個人的な空間である。玄関・広間棟は客を迎えるためのスペースを広く取っており、公的な空間である(同、28-29)。
萬松園の意匠について西は次のように述べている(同、28-29)。
書院造りに数奇屋の意匠を加え、さらにサンルームなど洋風の意匠もあって、じつに凝った造りになっている。(中略)室内意匠の特色としては、施主の仏教への深い帰依と、意匠に対する理解とを挙げなければいけない。
萬松園は昭和初期の別荘建築である。建築は私的な空間と公的な空間が切り分けられて構成されており、室内はその空間特性に合わせた異なる意匠となっている。
4-3-2-3.川上貞の菩提寺貞照寺と別荘萬松園-各務原の歴史的建造物その2
貞照寺と別荘萬松園がある敷地は福沢桃介が大遊園地計画のケーブルカーを設地するために1928(昭和3)年に購入している。貞は1932(昭和7)年に金剛山桃光院貞照寺の寺号を得て、1933(昭和8)年に入仏式を行っている。萬松園は主屋の広間障壁画に「、正捨写、星州」の落款があり、1933(昭和8)年正月10日の作品である。また、仏間の天井板絵に「昭和秋、如竹勤画」の落款があり、1933(昭和8)年秋に描かれたものである。これらからのことから萬松園は1933(昭和8)年完成であるという。貞照寺の参詣時に別荘として建てられた(山田、西、大川,2006,7)。
主屋は、中庭を囲んで複雑に部屋が繋がる。主に玄関広間棟・仏間客間棟・田舎屋棟から成る。廊下等の壁に設置された電灯スイッチ盤の部屋名と畳裏面の部屋名を照合した結果、当時の部屋名が判明した。広間は床・付書院・火頭窓があり、襖の引手は源氏香である。障壁画は玄関に小松、広間に星州筆の木曽山水、居間に唐老人唐子の杉戸がある。書斎は琉球畳・網代天井・欄間格子・墨跡窓・中国風意匠の違棚がある。仏間は黒漆塗に輪宝象嵌の仏壇造付けで、天井鏡板に如竹筆の天女が描かれている。サンルームの床は低くして床はタイル張りで窓はステンドグラスである。田舎屋は入仏式のフィルムと建物痕跡から元は玄関南の渡り廊下に付属していたが、後年に現在の場所に移された(同,8)。
調査後、2018年に建物は国登録有形文化財に登録された。
4-3-2-4.登録有形文化財旧川上貞奴邸復元工事報告書、名古屋市
川上貞奴邸は、日本の女優第一号として名を馳せた川上貞奴が、パートナーであった木曽川での電源開発を進めていた電力王である福沢桃介と暮らした邸宅である。二葉御殿と呼ばれ、財政界人や文化人のサロンであった(名古屋市、2005,序)。
川上貞奴(1871-1946)について説明する。1871(明治4)年に東京・日本橋で生まれる。本名は貞である。12歳から小奴という芸名でお座敷に出ていた。贔屓筋としては伊藤博文を始めとする政財界の大物が名を連ねていた。16歳から芸妓となるがその時の水揚げの相手が伊藤博文であったことから明治政府高官たちとの強い結びつきを得た。その後、23歳でその後新派の川上座を開業する川上音二郎(1864-1911)と結婚した。1899(明治32)年には川上一座と渡米しシカゴで初舞台を踏んだ。その後一座と共に欧州に渡り、貞奴は日本人の女優第1号として絶賛された。1911(明治44)年の音二郎死後も女優を続けるが、1918(大正7)年に引退する。引退後は名古屋で川上絹布株式会社を興す。住まいは名古屋に二葉御殿を構える。1920(大正9)年から1924(大正13)年まで福沢桃介(1868-1938)と一緒に住み、木曽川の発電事業開発に協力する(同、4)。
福沢桃介との関係について説明する。福沢桃介は1867(明治元)年埼玉県に生まれる。1986(明治19)年慶應義塾を卒業して福沢諭吉の養子となり、後に福沢諭吉の次女と結婚した。1913(大正2)年に名古屋電灯株式会社の常務取締役になり、木曽川水系の水力資源開発に着目、ダム建設事業を興した。貞奴と桃介は、貞奴が14歳の時に出会っているが結婚はしていない。桃介は新劇界に身を投じた貞奴を資金的に支えた。女優引退後は、桃介の要請により名古屋で生活することになったと推定されている。全国規模の電力事業を目指していた桃介の事業展開にあたっては事業認可などの政府の許可や協力、地元名古屋経済界の協力と理解が必要であったため桃介は女優として知名度のあった貞奴に協力を求め、貞奴は恩返しとして桃介の事業を支えたものと推定されている(同、4)。
二葉御殿と室内装飾織物について説明する。建設当時の住所が名古屋市東区東二葉町であったことから、二葉御殿あるいは二葉荘と称されていた。和洋折衷の邸宅である。1920(大正9)年に建てられ、2004(平成15)年に解体移築復元工事に着工し、2006(平成17)年に「文化のみち二葉館」として開館、同年に主屋と蔵が文化財に登録された(同、序)。
復元報告書の室内装飾織物について次の記載がある(同、4)。
和室10帖の東面には床の間と地袋付きの床脇、押入れがある。床板はケヤキで床框は漆塗りである。床の間の脇には、小さな飾り障子が入っている。地袋の襖には丸に十字の紋が入っており、押入れの建具には杉戸を使用している。
別邸同様に、本邸にも室内装飾織物が使用されている。
4-3-3.旧川上貞奴別荘(萬松園)調査結果まとめ
旧川上貞奴別荘(萬松園)の岐阜県総合調査報告書調査、実地調査、文献調査にて前述したことをここでまとめる。所在地は岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町である。建築年は1935(昭和10)年、2007(平成19)年に各務原市指定文化財、2018(平成30)年には国の重要文化財に指定され、現在は公開されている。この別荘は、明治から昭和初期にかけて我が国初の女優として知られる川上貞奴(本名貞)が建てたものである。菩提寺である貞照寺が別荘から国道21号線をはさんであり、萬松園は貞照寺参詣寺の別荘として建てられたという。建物は、玄関・広間棟、仏間・客間棟、浴室棟、茶室棟、田舎屋棟、台所棟が雁行状に並ぶ。別荘の顔となる玄関・広間棟は木造入母屋造・鋳鉄製桟瓦葺で、大変な外観である。建物は私的な空間と公的な空間が切り分けられて構成されており、室内はその空間特性に合わせた異なる意匠となっている。広間には床・付書院・火灯窓があり、引手は源氏香、星州筆の障壁画がある画がある。書斎には琉球畳・網代天井・欄間組子・墨跡窓・違棚があり、仏間には黒漆塗に輪宝象嵌の仏壇、天井鏡板に如竹筆の天女がある。サンルームにはタイル張りの床・ステンドグラスがあり、田舎屋には化粧屋根裏・大黒柱・板敷きの床等である。
岐阜県総合調査報告書によると、室内装飾織物の使用は広間の廻縁と天井の間のボーダー1箇所であったが、実地調査により10部屋の13箇所に18種類が使用されていることがわかった。部屋毎に異なる染織の特徴、加飾技法、地色、模様の織物が使用されており、材質は絹と木綿である。そのうち、9部屋は1箇所に1種類の織物であったが、田舎屋のみは天袋の小襖に8種類の地色・模様の異なる裂を亀甲模様に寄裂した縮緬を使用していた。
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