見出し画像

5.考察 5-5.両者の比較

萬松園と八勝館御幸の間の室内装飾織物を比較するという、それはそれは夢のような作業でした・・・。

5-5.岐阜県旧川上貞奴別荘(萬松園)と愛知県八勝館御幸の間 両者の比較
調査結果をもとに、旧川上貞奴別荘(萬松園)と八勝館御幸の間の両者を比較してみる。
 
5-5-1.使用している室内装飾織物について
旧川上貞奴別荘(萬松園)の室内装飾織物は、10部屋の13箇所に18種類が使用されていた。部屋ごとに使用されている室内装飾織物が異なっていた。公式な来客用の広間(桐の間)で使用している織物はいずれも、印金、金襴、緞子で、濃い地色の伝統ある模様で格式高い。女中が使用する執事室(南・控えの間) の天袋の小襖に使用しているのは藍地菊唐草亀甲に菊文型染で材質は木綿である。このように、川上貞奴は、部屋の用途・使用者により部屋の意匠と共に織物でその部屋の特性を表現しているからと考えられる。また、小さな空間やほとんど装飾の無い部屋であっても、強いこだわりを持って織物を選んでいることが窺われた。
一方、八勝館御幸の間の室内装飾織物は、9箇所に12種類の地色・文様の更紗が使用されていた。12種類のうち、3種類の地色・文様は異なる箇所に同じものが使用されていた。
池田によると、堀口は「利休の茶」で北村透谷賞、「利休の茶室」で日本建築学会賞論文賞を受賞されるなど、茶の湯と茶室、数奇屋造に関する領域で造詣が深かった(池田、1990、61)ため、 おそらく掛け軸等の表装についての見識が当然あったであろう。一般に用いられている表具専用の裂地は一部を除き、明治15,6年頃初期より製作されたものであり、それ以前の裂地は法衣や衣装を解いて、表装に適するものを選んで使っており、表装用の裂地として織ったものは無かった(京都表具共同組合青年会、1990a、102)。堀口は古くからの表装裂の選び方を理解し、もともと衣類であったジャワ更紗を御幸の間の表装として使用したのではないかと考える。また、明治期より川島織物の二代目川島甚兵衛などにより、西洋化していく建築の中で、日本の様式美で空間を飾るには伝統に裏打ちされた染織品が不可欠であることから室内装飾用の織物が生産されるようになっていた。1950(昭和25)年に建築された御幸の間であれば室内装飾用に生産された織物を使用することも可能であったが、堀口の強いこだわりにより印金のジャワ更紗が使用された。
両者は、使用している室内装飾織物については選択する際の意図と種類は異なるものの、関わった人物が強いこだわりをもって選んでいるという部分については共通していると考える。
 
5-5-2.寄裂とパッチワークについて
旧川上貞奴別荘(萬松園)の田舎家の天袋小襖では、左側は色と模様の異なる8種類の縮緬を41ピースで亀甲に、右側は7種類41ピースの亀甲に寄裂している。
これは、川上貞奴が、物理的な大きさの創出や貧しさの表れだけではない、寄裂がもつ個性的な存在感を十分に理解していた上で田舎家に使ったと考える。また、文様は飾るという一般的な意味だけでなく、その品を身に着ける人から禍いを遠ざけ、幸福を招くという重要な性格をもっていることから、吉祥文様である亀甲を選んだのではないかと考える。
一方、八勝館御幸の間の大襖では、多くの反対意見の中、1種類の印金(截金)のジャワ更紗を36ピースに切って新しい構図にパッチワークしている。裂を切った理由については、日本の座敷のスケール感に合わせた、裂が脆弱なため襖に貼ることが保存上最適である、一部屋の中にあれば復元することも可能である、としている(堀口、1978、120)。
前者は8種類の裂から寄裂を作り、後者は1種類の裂を切ってパッチワークにするという点で異なるが、両者ともに関わった人物の裂に対する深い理解があるという共通点があると考える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?