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4.結果 4-1.近代和風建築総合調査報告書 都道府県別結果

研究結果について突入します。
まずは近代和風建築調査報告書を調査しました。神奈川県立図書館の所蔵でないものは東京都立中央図書館で、それでもないものは国立国会図書館に通って閲覧しました。

4-1.近代和風建築総合調査報告書 都道府県別結果
47都道府県の教育委員会が刊行した『近代和風建築総合調査報告書』を確認し、掲載された本文、写真のキャプション等の中から10の建築物について室内装飾織物の記載があった。10の建築物について建築概要と室内装飾織物の記載内容については4-1-1-1から4-1-10のとおりである。また、近代和風建築報告書には記載は無いが、室内装飾織物の所在がある建築物は4つあった。この4建築物の室内装飾織物については、4-1-11から4-1-14のとおりである。
なお、47都道府県のうち熊本県と広島県については調査報告書が未刊行であるため未確認である。それぞれの県の教育委員会に問い合わせたところ、熊本県については2023年に刊行予定、広島県については刊行時期未定との回答を得た。都道府県別の結果一覧は表2のとおりである。

表2_近代和風建築総合調査報告書_室内装飾織物調査結果一覧



4-1-1.群馬県 (財)山田文庫(旧山田邸)
(財)山田文庫(旧山田邸)は、昭和初期の農業経済学者山田勝次郎とその義父、義祖父の3代の自邸である(群馬県教育委員会、2012、94)。

4-1-1-1.建築の概要
所在地は群馬県高崎市常盤町25番地、建築は住居である主屋と土蔵、茶室である。構造概要としては、主屋が平屋一部2階建て寄棟造・瓦葺、東・西蔵(土蔵)は2階建て切妻造・瓦葺、茶室は木造平屋建て寄棟造・瓦葺庇付である。建築年は主屋(座敷蔵)は明治元年以前(台帳による)、東・西蔵(土蔵)は明治元年以前(台帳による)、茶室は明治16年移築(台帳外)である。なお、レンガ塀は大正期に移築されたもので、近代期の高崎市の貴重な遺構として高崎市景観重要建造物となっている(同、94)。

4-1-1-2.室内装飾織物
室内装飾織物についての記載は次の2箇所である(同、94)。

主屋の蔵座敷は伝統的建築であり、この2階は8畳と6畳の続き間で内法制と芯々制の混在がある。また床構え、色砂壁と塗込め透し欄間、襖布張りと床鏡天井に、さらに縁側の硝子戸と丸桁に木小舞、窓廻りに鉄格子と菱形銅板張に特徴がある。

茶室は、全体的に明るく開放的な数寄屋造りであり、南側の土庇裏は全体を扇状に配した垂木が架けられている。間取りは4畳半と8畳の続き間で、4畳半は芯々9尺の寸法で、縁無しの5畳敷きで炉を設け、床と飾り棚がある。また平天井で仕上げが板張りと布張であり、南側の外廻り建具は硝子入明り障子、座敷界に源氏襖は通し欄間である。

主屋の蔵座敷の襖と茶室の天井に室内装飾織物が使われている。染織の特徴、加飾技法、地色、文様、材質等についての記載はない。

4-1-2.岐阜県 2 水琴亭
水琴亭は、創業1864(元治元)年の老舗料亭で、1929(昭和4)年に現在の地に移った(岐阜県教育委員会、2016、96)。

4-1-2-1.建築の概要
所在地は岐阜県米屋町27-2である。建築は玄関棟、残月棟、雪月花棟、離れ、茶室からなる料亭である。構造概要としては、玄関棟の玄関・取次の間・控えの間は木造入母屋造・桟瓦葺、残月棟の残月の間・前室・便所は木造切妻造・桟瓦葺、雪月花棟の雪月花の間・前室は木造入母屋造・桟瓦葺、離れの一階天楽の間・前室、二階時雨の間・前室は木造二階建て寄棟造・桟瓦葺、茶室の6畳台目・台目4畳・水屋は木造切妻造・桟瓦葺、西面と北面庇付・桧皮葺である。建築年は1928〜1929(昭和3〜4)年(聞き取りによる)である(同、96)。

4-1-2-2.室内装飾織物
雪月花棟の室内装飾織物についての記載は「東の床脇は地袋のみで金襴の小襖が引き違いに建て込まれる」とある(同、97)。床脇の地袋の小襖に金襴が張られている。

4-1-3.岐阜県 7 萬松園(旧川上貞奴別荘)
萬松園(旧川上貞奴別荘)は明治から昭和にかけて活躍した日本最初の女優である川上貞奴が別荘として建設した(岐阜県教育委員会、2016、122)。

4-1-3-1.建築の概要
所在地は岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町である。建築は玄関・広間棟、仏間・客間棟、浴室棟、茶室棟、田舎屋棟、台所棟が雁行状に並ぶ。その他茶室、表門がある。構造概要としては、玄関・広間棟は木造入母屋造・鋳鉄製桟瓦葺、南と東面庇・鋳鉄製桟瓦葺、西面庇・銅板葺、西面南側突出部西面入母屋造、東面寄棟造・鋳鉄製桟瓦葺、西面北側突出部切妻造・鋳鉄製桟瓦葺、西面庇・瓦棒銅板葺、仏間・客間棟は木造入母屋造・平板瓦葺、南面突出部寄棟造・平板瓦葺、西面庇・銅板葺、浴室棟は木造寄棟造・平板瓦葺、茶室棟は木造北面寄棟造、南面切妻造・平板瓦葺、東面庇・桟瓦葺、西面庇・銅板葺、田舎家棟は木造入母屋造、南・東北面庇・平板瓦葺、台所棟は木造一部二階建切妻造・鋳鉄製桟瓦葺、西・北・東面庇付 鋳鉄製桟瓦葺、茶室は木造切妻造・桟瓦葺、表門は木造切妻造・銅瓦葺袖壁付である。建築年は茶室のみ1884(明治17)年建築、1924(大正13)年移築、1935(昭和10)年再移築、その他は1935(昭和10)年である(同、122)。なお、各務原市指定文化財でありその後、国指定有形重要文化財となり公開されている。

4-1-3-2.室内装飾織物
広間の室内装飾織物についての記載は次の箇所である(岐阜県教育委員会、2016、125)。

西面の上段床は、上方小壁手前隅の吊束を見せず、逆に黒漆塗の床框中央に束を立てる伝統にとらわれない独特の意匠である。(中略)周囲の広い蟻壁は、金砂子雲紋の貼付壁で、その上に木製の廻縁を廻す。天井は白紙の貼り付け天井で、周囲に草花紋の布をボーダーとして廻す。

岐阜県近代和風総合調査報告書の記載によると室内装飾織物の使用は広間の廻縁と天井の間のボーダー1箇所であったが、実地調査により他の箇所にも使用されていることがわかった。実地調査4-3-1. 旧川上貞奴別荘(萬松園)にて述べる。

4-1-4.静岡県 46 旧松本家住宅(現 竹の丸錬成会館)
旧松本家住宅(現 竹の丸錬成会館)は江戸時代より続く掛川藩御用達の葛布問屋で、掛川御三家の一つであった松本家の本宅である(静岡県教育委員会、2002、225)。

4-1-4-1.建築の概要
所在地は静岡県掛川市掛川である。建築年は1903(明治36)年〜昭和初期である(同、225)。

4-1-4-2.室内装飾織物
室内装飾織物についての記載は次の1箇所である(同、228)。

6尺の廊下を挟んで西側に洋間がある。出窓や地袋に火灯窓がついて、洋風の中に和風の雰囲気があり、壁は葛布の壁紙である。その南側にベランダが付いている。手摺やブラケット等がロココ調と思われる曲線をもったベランダで、西欧化の面影がある。洋間の壁に葛布を使用している。

4-1-5.愛知県 12 志ら玉
志ら玉はもとは住宅(町家)だった建築を明治から大正にかけて改築した料亭である(愛知県教育委員会、2007、91)。

4-1-5-1.建築の概要
所在地は名古屋市北区上飯田町2-36である。構造概要は、料亭は木造二階建て切妻造・桟瓦葺、茶室は木造平屋建切妻造・桟瓦葺である。料亭の設計者は不明であるが、茶室の設計者は久田とある。建築年は、料亭は明治〜大正頃で1992(平成4)年現在地へ移築、茶室は江戸末期から明治初期で1974(昭和49)年移築している(同、91)。

4-1-5-2.室内装飾織物
室内装飾織物についての記載は「桐の間は、床柱は面皮を正面にみせた桧の角柱、床脇の棚は矩折れに設けて、天袋、地袋の襖に錦を張る華やかな意匠である」とある(同、91)。

4-1-6.愛知県 26 八勝館
八勝館は創業1925(大正14)年の老舗料亭である。先先代が旅館兼料理店を開業した。八勝館の名の由来は丘陵であるこの地から八つの佳景を遠望できたためといわ言われる。「もと材木商による建物だけに、すべての用材を吟味してつくられるが、加えて、ほぼ室名に応じて、欄間・引手金物・釘隠などに趣向を凝らした意匠が多様にうかがえ、個性的な各空間を形成しており、まさに近代和風建築の博物館である」と記載されている(愛知県教育委員会、2007、112)。

4-1-6-1.建築の概要
所在地は名古屋市昭和区広路町石坂29である。構造概要は木造平屋建入母屋造と切妻造・桟瓦葺と藁葺である。建築年は1877(明治10)年〜1887(明治20)年頃で、1937(昭和12)年、1950(昭和25)年、1958(昭和33)年に一部改修を行っている。設計者は、御幸の間と桜の間は堀口捨己、大広間:は城戸武男建築事務所・城戸久である。大工は、残月の間・御幸の間は森春吉である。なお、1951(昭和26)年に御幸の間は日本建築学会賞を受賞した。1999(平成11)年にはDOCOMOMO 20選に選定されている。「「堀口好み」の座敷で、同時に桂離宮の雅を漂わせて、和風を近代的に昇華させた画期的作品」とある(同、112)。

4-1-6-2. 室内装飾織物
室内装飾織物についての記載は次の1箇所である(同、112)。

「御幸」の間において、もう一つ特記すべきは、次の間境の襖をはじめ、袋棚の小襖、次の間の襖、さらに欄間や二曲屏風にも貼られている、南方風の摺箔裂地である。もとは8畳敷くらいの、南方の宮殿の壁掛けのような布地で、更紗染めに印金をほどこした極めて珍しい名物裂であったが、それを惜しげもなく十数切れにして張り混ぜた、堀口が特に心を砕いたもので、数寄の心あふれる意匠となっている。

大襖について室内装飾織物が使用されている記載があるが、実地調査にて他の箇所にも使用されていることがわかったので後述する。

4-1-7.京都府 51 堀家住宅
堀家住宅は近世に庄屋の家柄であった堀家の広い敷地内にある離れである(京都府教育委員会、2009、208)。

4-1-7-1.建築の概要
所在地は城陽市を南北に横切る近畿日本鉄道京都線寺田駅東方300mにある。構造概要は、切妻造平入り、二方下屋ともに桟瓦葺である。建築年は1908(明治41)年頃(欄間落款墨書)である(同、208)。

4-1-7-2. 室内装飾織物
室内装飾織物についての記載は次の1箇所である(同、208)。

堀家住宅の離れは簡素な造りながら、天井板に蜀江錦意匠の織物を張付けた琵琶床を持つ点と妻壁に太陽及び月星を象った通風孔を配している点が珍しい。

離れの床の間の琵琶床の天井に蜀江錦意匠の織物を使用している。

4-1-8.大阪府 No6-5 朝暘館(小西欣一)
薬種業を営む小西久兵衛によって建てられた別荘である。小西家の別荘としてだけでなく、政府の要人や皇族、貴族などの大阪宿泊の際に用いられることを前提に設計された(大阪府教育委員会、2000、110)。

4-1-8-1.建築の概要
所在地は大阪区阿倍野区橋本町6-16である。建築は、御殿、月見台、新御殿、唐門、土蔵である。構造概要については、御殿は木造平屋建(一部2階建)・桟瓦葺(庇銅瓦葺)、入母屋造外壁土壁、月見台は木造平屋建桟瓦葺(庇銅瓦葺)・切妻造外壁土壁、新御殿は木造平屋建桟瓦葺(庇銅瓦葺)・入母屋造である。設計者については、御殿の大工は岡崎駒太郎、建具は山口金平、表具は一宮井之助、月見台と新御殿は不詳である。建築年は、御殿は1912(明治42)年、月見台と新御殿は1932(昭和7)年である(同、110)。

4-1-8-2.室内装飾織物
室内装飾織物についての記載は次の1箇所である(同、110)。

主建築と長廊下でつながれた新御殿もまた、金糸で織られた壁紙や高くはられた格天井など煌びやかな意匠が採用されている。朝陽館の建物は、全体として書院造りや数寄屋造などの伝統的なデザインと近代的なスケールと華やかさでまとめたものといえよう。

新御殿の壁に金糸で織られた室内装飾織物が使用されている。

4-1-9.山口県 42 毛利邸本館
公爵毛利家(旧萩藩主)の本邸として建設された建物である(山口県教育委員会、2011、132)。

4-1-9-1.建築の概要
所在地は山口県防府市多々良である。構造概要については、本館は木造2階建て入母屋造・桟瓦葺、付属建物として、本門、奥土蔵、台所付倉庫、洗面所・物置、供待、用建所本家などが現存する。設計者は原竹三郎である。建築年は1916(大正5)年である。施工者は手塚兼吉、中村幸作、藤井他人ほかである(同、132)。

4-1-9-2. 室内装飾織物
室内装飾織物についての記載は次の3箇所である(同、138)。

写真室は仏間に代わるもので、維新後、毛利家が仏式から神式になったことによる。毛利敬親や元徳などの遺影が飾られていたと考えられる。天井は有壁長押を用い、廻りは略式折上天井で緑塗立蝋式仕上げ帯地厚板裂地張である。

食事ノ間天井は中8尺四方は平格天井、廻り神代杉杢目板鏡天井、中春日杉洗い出し鏡板張りとする。床柱は檜材、槻一枚板敷き込み、左側に枇杷化粧棚を設け桐柾目の板戸を嵌め込む。襖上張りは次の間と同じく芭蕉布新散し、間仕切り欄間は神代杉菊桐古代模様透かし彫りとする。

奥内客室は平縁天井黒部杉杢目板張り、床柱は西京北山杉磨き丸太溜り塗り、襖の上張りは芭蕉布へ式紙形入腰模様付、次ノ間仕切欄間は春日杉杢目水に菊透し彫り、釘隠は巻沢潟底金銀鍍。次の間襖上張りは、女中詰所とともに紙布へ形腰模様で張り調えた。

写真室の天井と食事ノ間の襖、奥内客室に室内装飾織物が使用されている。個別報告書については、4-2-2.で述べる。

4-1-10.高知県 27 竹本家住宅
回船業で栄えた三浦安太郎邸の客殿として建てられた(高知県教育委員会、1996、67)。

4-1-10-1.建築の概要
構造概要は木造2階建寄棟造・桟瓦葺である。建築年は1877〜1887(明治10〜20)年代である(同、67)。

4-1-10-2. 室内装飾織物
室内装飾織物についての記載は次の1箇所である(同、67-68)。

2階内部は4畳大の洋室で、階段、板戸、窓枠、天井クロス等全体に洋風で仕上げてあり、何か異様な雰囲気を与える部屋である。彫刻は窓上に化粧として使用され、天井クロスと共にその部屋の雰囲気を盛り上げ外部付柱につながる意匠である。

写真キャプション「2階布張天井」

2階の洋間の天井に室内装飾織物が使用されている。

以上10の建築物にて室内装飾織物を確認した。
次に、近代和風建築報告書には記載は無いが、室内装飾織物の所在がわかる4つの建築物があったので述べる。

4-1-11.茨城県1-6 旧矢中家住宅離れ
セメント防水剤の研究者であり、(株)マノールの創業者である矢中龍次郎の邸宅である。贅の限りを尽くした近代和風建築であり、敷地には広大な庭園が広がり、通称「谷中御殿」とも呼ばれる(茨城県教育委員会、2017、34)。

4-1-11-1.建築の概要
所在地はつくば市北条94-1,94-2である。構造概要は1階鉄筋コンクリート、2階木造切妻・桟瓦葺である。建築年は1949(昭和24)年である(同、36)。なお、国登録有形文化財 第08-0250号に指定されている。

4-1-11-2. 内装・意匠的特徴
室内装飾織物についての記載は県近代和風建築報告書には無いが、内装・意匠的特徴に次の記載がある(同、37)。

1階は洋風意匠、2階は和風意匠を意識した造りである。1階食堂は日本画家・南部春邦が動植物を描いた色鮮やかな板戸、長さ5370mm・幅470mmに及ぶ桜の一枚板を天板に使用した家具が設置され、日本画家・北川金鱗作の水墨画を壁上部に四周に廻している。

2階南部の応接間は大谷石で造られた暖炉が設けられており、西陣織の椅子や桜材のテーブルなど贅を凝らした家具類が配置されている。2階北側の応接間は書院風で、床の間に四方柾のすぎの床柱、とこ框に漆塗りの黒檀を使用していたが、中央にシャンデリアを模した洋風デザインの照明器具が取り付き、「洋」の要素をさりげなく取り入れている。

室内空間は非常に贅を凝らした意匠であるということである。茨城県教育委員会に問い合わせたところ2階応接間の襖に絹織物が貼られていることがわかった。詳細については、4-2-2.茨城県旧矢中邸『近代和風建築「旧矢中龍次郎邸」の文化財的価値の評価』(松浦、2008)で述べる。

4-1-12.群馬県41 旧・中島知久平邸(中島新邸)
昭和の戦前期を代表する軍需会社であった中島飛行機製作所の創設者である中島知久平が両親のために建てた邸宅である(群馬県教育委員会、2012、158)。

4-1-12-1.建築の概要
所在地は群馬県太田市押切1417である。構造概要は木造平屋建一部2階建、入母屋及び寄棟桟瓦葺、唐破風車寄せである。設計者は伊藤籐一(宮内省内匠寮出身)である。建築年は1931(昭和6)年である。施工者については、若林常房(車寄及玄関棟)、清水由太郎(客室棟)、黒川幸吉(居間棟)、岡村信太郎(食堂棟)、斎藤佐吉(門衛所)とある(同、158)。

4-1-12-2.内装・意匠的特徴
室内装飾織物についての記載は群馬県近代和風建築報告書には無いが、建築の意匠について「中島新邸の構造や意匠の随所に明治宮殿で展開された和洋折衷技法をみることができる」とある(同、162)。
恵美千鶴子によると、明治宮殿の公の儀式や行事が行われる表宮殿は、和風の折上格天井・ガラス戸にカーテン・壁に織物が貼り付けられるなど、和洋折衷の室内空間が創出されたとあり(恵美、2017、152)、中島新邸にも室内装飾織物が有るのではないかと考えた。そこで、中島知久平邸についての個別の調査報告書を探したところ室内装飾織物についての記載があることがわかった。詳細については、4-2-1.群馬県中島知久平邸 『群馬県中島知久平邸調査報告書・整備工事報告書』(群馬件太田市教育委員会、2015)で述べる。

4-1-13.東京都III-2 明神下 神田川本店
外神田の明神下通り沿いにある現在も営業をしている料亭である(東京都教育委員会、2009、40)。

4-1-13-1.建築の概要
所在地は千代田区外神田である。構造概要は木造2階建切妻造・瓦葺である。設計者は清水建設設計本部である。建築年は1952(昭和27)年である。施工者は月橋組(棟梁:小林氏)である(同、40)。

4-1-13-2.内装・意匠的特徴
室内装飾織物についての記載は東京都近代和風建築報告書には無いが、客室の意匠については次のような記載がある(同、40)。

ほとんどの客室には床の間があるが、床の間の無い客室にも1部屋に3種類の天井を用いたり、布袋竹や胡麻竹などの銘木を用いるなど、凝った意匠がみられる。また、床の間も部屋ごとに異なる意匠をもってつくられている。

数奇屋風の凝った意匠が見られるという記載があることから室内装飾織物が有るのではないかと考え、実際に訪問したところ、2階客室の床の間脇の地袋の小襖に裂が張られていることを確認した。現在の主人に聞いたところでは、先代の奥様の帯を転用して張ったということである。

4-1-14.静岡県21 旧内田伸哉・根津嘉一郎別荘(現 起雲閣)
内田汽船会社を設立し第一次世界大戦による折からの戦争景気に乗じて爆発的に業績を拡大し船成金として名を高めた内田信也の別荘である。その後、電力・ガス・鉄道会社を経営し、衆議院議員を4期務め、財界のみならず政界人としても活躍した根津嘉一郎の所有となり洋館部分を増築している(静岡県教育委員会、2002、151)。

4-1-14-1.建築の概要
所在地は熱海市昭和町である。構造概要は木造平屋建一部2階建である。建築年は1919(大正8)年、1927(昭和2)年、洋館「金剛」1929(昭和4)年、洋館「玉姫」1932(昭和7)年である。なお、現在は熱海市指定有形文化財起雲閣として公開されている(同、151)。

4-1-14-2. 内装・意匠的特徴
室内装飾織物についての記載は静岡県近代和風建築報告書には無いが、洋館「玉姫」の意匠については次のような記載がある(同、156) 。

内部は書院造りの住宅と寺院建築が混交された扱いで、庭側に光溢れるサンルームを備えて和洋の融合が計られているが、さらに細部を見渡すと中国的な意匠もられ、全体的には和洋中を折衷した佇まいの部屋である。特に、欄間と天井の間に嵌め込まれた組物と蟇股の表面に施された彫刻は、一種異様とすら感じられるものである。また仕上げについては、中国時代以降に盛んになり、室町時代に我が国に渡来した堆朱のような感じである。堆朱は漆塗りの技法の一つで、漆を厚く塗り重ねて模様を掘り出したもので、重厚な趣を醸し出すところが特徴である。この部屋の全体的な雰囲気は、どちらかというと中国風であるというのが正しいかもしれない

室内は和洋の融合が計られた凝った意匠であることから室内装飾織物が有るのではないかと考えた。実際に訪問したところ、洋館「玉姫」の壁に織物が張られていた。

4-1-15.まとめ
45都道府県の近代和風建築総合調査報告書の物件について室内装飾織物が使用されている記載の有無を確認したところ、10の物件で確認できた。また、記載は無いものの他の文献等の情報より4の物件で室内装飾織物が確認できた。14件の物件の建築用途の内訳は、住宅10、別荘2件、料亭2件である。室内装飾織物が使用されていると記載のある箇所の合計は18箇所で、内訳は、襖4箇所、小襖4箇所、天井4箇所、壁4箇所、欄間1箇所、屏風1箇所である。使用されている織物についての記載は、「襖布張」(群馬県 (財)山田文庫(旧山田邸))、金襴(岐阜県 水琴亭)、「草花文の布」(岐阜県 萬松園(旧川上貞奴別荘))、「葛布」(静岡県 旧松本家住宅(現 竹の丸錬成会館))、「錦」(愛知県 志ら玉)、「擦箔裂地」(愛知県 八勝館 御幸の間)、「蜀江錦」(京都府 堀家住宅)、「金糸で織られた壁紙」(大阪府 朝暘館(小西欣一))、「帯地厚板」(山口県 毛利邸本館)、「芭蕉布新扇面散し」(山口県 毛利邸本館)、「芭蕉布式紙形入腰模様付」(山口県 毛利邸本館)、「布張り」(高知県 竹本家住宅)である。

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