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ブックレビュー:牟田都子『文にあたる』

校正・校閲を続けてきて10年。仕事への向き合い方、考えてきたこと、校正の難しさなど、筆者自身の思いが綴られています。
もちろんお会いしたことはありませんが、本書を読むと筆者の人柄が文章に映し出されているように感じます。他者の心の動きを敏感に感じとれる(とってしまう)繊細さと、言動の背景まで慮れる優しさ。表からは見えないけれど、尽きることのない好奇心を持っていそうな方だなと思いました。

程度の難しさ

本書を読むまでは、校正・校閲は、誤字脱字、衍字等の誤植がないかをチェックする仕事だと思っていました。それに間違いはないのですが、誤植を”落とす”ことなく”拾う”だけでは務まらない仕事に思えました。
文章や言葉の誤りを”鉛筆を入れ”て指摘する、注意を促すだけでなく、日付の確認や、内容が事実と齟齬がないかのファクトチェックまでが含まれるそうです。
たとえば、「猫の前足の肉球は5つある」と書かれていれば、本当に猫の前足の肉球は5つあるのかを辞典や辞書、インターネットや本で調べるそうです。

しかし、何でもかんでも誤植や事実との不一致を指摘すればいいのではなく、鉛筆を入れすぎてしまえば「出過ぎた鉛筆」になってしまうと言います。

 十年前をふり返ると「かんなをかけたがる」校正をしていました。てにをはを整え、説明を補い、文の前後を入れ替えて、誰にとっても読みやすくわかりやすい文章にすることが校正の仕事という気負いがあった。そういう校正を「出過ぎた鉛筆」と呼ぶのだと、あと読みの先輩に教わりました。

『文にあたる』p112

筆者も”どこまでを「校正の範囲」とするか、編集者が方向性を示してくれれば……”と書かれていますが(p50)、著者の意図や文脈、書かれた背景、媒体、想定する読者層など複合的な視点で、鉛筆を入れる程度は変わってきそうです。
なので、傾向はあるにしても、絶対的でマニュアル的な正解はないのだろうと思います。

著者と読者の両者の想いを汲み取って、橋渡しをする。著者の想いがきちんと読者に伝わるように、読者が著者の想いを察しられるように調整する仕事だなと思いました。
また、鉛筆の入れ方も気をつかいそうです。指摘されることで、著者が不快に思ったり、がっかりされないような工夫を牟田さんをされているのだろうなと、本書全体から感じました。

逃れられないミス

校正歴10年を超える筆者でも、常にミスをする可能性があると言います。ベテランであっても、血眼になってどれだけ丁寧に読んでも、鉛筆を入れるべき箇所を見落とすミスがあるそうです。

これは、もう校正者の宿命のように映りました。校正の仕事を引き受け続けるということは見落とすことを引き受けるようなものなのかもしれません。
僕だったら、人間なんだし、見落とすこともあるからしょうがないと開き直ってしまうかもしれません。
しかし本書を読んでいると、筆者はそれでも逃れられない見落としを引き受けて、開き直らずに愚直に目の前の文章に向き合っている姿が目に浮かんできます。
冒頭で、筆者の人柄に優しさと書きましたが、校正をする限り逃れられないミスを誰のせいにするでもなく、しょうがないと開き直るでもない"強さ”が優しさに転化しているのかもしれません。

疑う力と調べる力

校正・校閲は誤字脱字、衍字などのいわゆる誤植を見つけることと、書かれている事実が正しいかどうかを確認することが主な仕事になります。
そのためにまず何が必要となるのか。イメージすると、とにかく豊富な知識が必要なのかなと僕は思いましたが、「疑う力」と「調べる力」が必要になってくると筆者は言います。
確かに知識には限界があります。努力によって日々学ぶことはできますが、全知全能の神様でもないかぎり、世の全てのことを知ることは永遠に不可能です(神様でも無理な気がします)。おそらく誰もが一生をかけたって分からない、知らないことの方が多いのではないでしょうか。

ではどうするか。知識量に限界はあるからこそ、気づくこと、疑うことが大切になってくると言います。言葉や書かれていることが実は間違っているのではないかと疑ってかかること。もちろんだからといって全ての言葉と内容を疑ってしまえば時間はいくらあっても足りません。
本書には書かれていませんが、知識に頼らずに気づくには見極める直観力のようなものを経験していく中で培っていくことが大切になってくるのではないかと思いました。

そして、見極めた疑問点を調べる。冒頭で述べた猫の前足や、パンダの尻尾の色、天気や店の有無、詩の照合など事実の確認が必要なことは様々です。
一つの事実を確認するのに数日かかることもあると言います。
時間が限られたなかで調べ上げるのにも、経験のなかでカンを養っていくことが大事なのではないでしょうか。
マニュアルがなくとも、経験を重ねていくことで、全体としてのぼんやりとした傾向を読み取る力も校正という仕事をうまくやっていくために必要なのかなと思いました。

永遠にたどり着かない完璧

誤植や誤った事実が書かれた箇所を見逃さない直観力。限られた時間の中で確認しなければならない調べる力。どちらも経験を重ねていくなかで、磨かれていく力だと思います。
しかし、どれだけ経験を重ねても見落としてしまう、ミスから逃れられないというのは、頂上が見えない崖を登っているようなものなのかもしれません。上達している実感はあるにしても、ゆとりが持てなさそうです。経験を重ねれば、それだけ周囲から求められるレベルも上がるにも関わらず、安易な箇所を見落とす可能性が常に付きまとっているというのはとても緊張を強いる仕事のように感じました。

維持する仕事

校正という仕事は、安易に自分の能力に満足せず、常に見落とす可能性があることを常に心にとめておく。そして、それを引き受ける強さがなければ長く務めることは難しいだろうなと思います。

なかなかスポットライトが当たらないため黒子のような仕事かもしれません。
けど、月並みの表現ですが、縁の下の力持ちとは校正者のような方々を指すのではないでしょうか。
陽は当たらなくても、校正という工程がなくなってしまえば、本の価値観は大きく変わってしまうだろうなと思います。
そういう意味では本の価値、品質を維持する仕事とも言えるかもしれません。


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