また会えるその時を待つ
2021年4月24日、どれだけのオタクが涙を流したことだろうか。
3度目の緊急事態宣言発令に対し、数多くの舞台、ライブ、イベントが中止を発表した。
この日、私が応援している舞台のカンパニーは、愛知公演千穐楽を迎えていた。
いつもならキャスト陣は、千穐楽の日にはSNSに、次に向かう地方で会いましょうと投稿していた。
しかし、この日は誰も「大阪で」とは言わなかった。代わりに、皆口を揃えて「またいつか」と言ったのだ。そこで大体察しはつく。それでもまだ、希望を捨てきれず、「もしかしたら」なんて思った。
キャスト陣の愛知公演千穐楽のツイートの約一時間半後。
公式から中止が発表された。
そこに記されていたのは、「大阪で開催を予定していた全11公演を中止させていただくことになりました。」の文字。
やはりだめだった。こうなることは予想できてた。わかっていた。
私はその11公演の内、2公演のチケットを持っていた。
手元にある「幸福」を提供してくれるはずだったチケットは、今はもうただ、返金を待つだけの紙切れと化し、「幸福」の代わりに「虚無」をもたらした。
キャスト陣の何人かは、公演が中止になったことに対して「申し訳ありません」と謝った。
謝らないでくれ。
なぜ、罪のない彼らが謝らなければならないのか。
公演のために多くの対策を練ってくれた。にも関わらず突き付けられたのは中止だ。
悔しくて涙が止まらない。
これまでにも、公演が中止になることはあった。しかし、今回は「なんで今なんだ」という気持ちが大きかった。
時折、「辛いのは舞台界隈だけじゃない。みんな同じ。悲劇のヒロインぶるな」という旨の声を聞くことがある。
うるせぇ。
推しに会えなくなったオタクは、どの界隈ももれなく、今この時をもってして、平等に悲劇のヒロインなんだ。
「つらい」と泣くくらい許してほしい。
成人したとはいえ、すぐに「仕方なかった」と割り切れるほど私は大人じゃない。
いや、つらいのにそれを言うことも許されず、我慢することだけが「大人」なのか。
それなら、私は子供だ。この事実に、ただ泣くことしかできない。
今、日本が大変な状況におかれていることは、重々承知している。守るべき命があることもわかっている。それでも、そんなにすぐ割り切ることもできない。
きっと、手放しに「仕方なかったんだ」と言えるようになるまで、多くの時間を要する。
しかし、世の中はそんな私を待ってはくれない。
相も変わらず、大学の講義課題は更新され続けるし、バイトのシフトだってたくさん入っている。
無理やりにでも前に進むしかないのだ。
私の推しは言った。
「また必ずお会いできることを心から願っています」と。
私がこうして、くよくよしている今、推しはすでに次を見据えているのだ。
ならば、いまの私にできることは、推しの言葉通り、健康で推しに会える、その時をただひたすら待つことだけなのかもしれない。
好きだからこそ、今回たくさん傷ついた。しかし、その傷を癒すのもまた、好きな舞台しかないのだ。
あとがき
ここまで、稚拙極まりない文章をお読みいただき、誠にありがとうございました。
本来ならnoteは、講義外で更新するつもりはありませんでした。
ただ、今回は頭の中の整理という意味も込めて、文字に起こしておきたいと思い、投稿しました。
日常生活の中で、平静を装っていても、今も頭は混乱しているし、夜には思い出して涙が出てきます。今の感情をそのままぶつけたため、文章もうまくまとまりませんでした。
それでも、ただのひとりのオタクの小さな叫びだと思って読んでいただけたらと。