10月プールに落ち葉は浮いてるか?

はじめに

タイトルの疑問、答えが分かる人がいれば根拠と合わせてぜひ教えてほしい。

この疑問が浮かんでから何周か考えてみたけど、無駄なこと考えてんなって思いましたよ。
でもリアルとリアリティは違うよね…なんて思いながら、コンテンツの余白を想像することもまた楽しい時間・体験ですねとも思います。

本題はタイトルの通りで、2023年8月2日に発売された、櫻坂46. 2nd TOUR 2022 “As you know?”のBlu-rayに収録されている「10月のプールに飛び込んだ」のパフォーマンスを観て、あの頃の懐かしい気持ちが鮮明に蘇ってきたという話。

昔と今とでは感じ取る、湧き上がる感情もハッキリ違うものだと、改めて認識できた気がして久しぶりに筆を取っている。

昔について過度に持ち上げ、神格化をするつもりはないけど、アンタッチャブルであり続けるのも気持ち悪い。コンテンツの視聴体験の差に絞って、少し昔と今とでグループが提供する体験の差や質について、私見を書き殴ってみようと思う。

先に断りを入れておくと、私は今も昔も変わらずグループが好きで、同質の魅力がありながら、それぞれ違う魅力もあるという立場を取っている。

注目の的になった曲

発売直前に行われたリリースパーティーのリクエストでも「10月のプールに飛び込んだ」が多かったことに象徴されるように、この楽曲は多くのファンの記憶に残っているし、残り続けると思う。

それは初の選抜制導入、二期制の初参加など、転換点の象徴的な楽曲だったから。何より未発売だったことに加え、唯一披露されたTHE LAST LIVE DAY2は無観客。
楽曲の全貌が分かると楽曲自体の評価も高く、歴史的に披露が待望されていたと結論づけるのは簡単だ。

単純に有観客で、ついに披露されたから嬉しいと思うのは当たり前だけど、それだけではこんな複雑な感情にはなっていないはずで片手落ちな感覚がある。

現地では誰かの泣いているような音声が入っていたし、メンバーが一人舞台に上がっていない。
悔しそうな表情で涙を見せるメンバーもいたし、おそらくアドリブでパフォーマンスを全うするメンバーもいた。

初めて有観客で披露される感動。
当時そこに居なかったメンバーが立っている喜び。
何が起こっているのか分からない不安。
不測の事態も乗り越える胆力に対する賞賛。
目の前のパフォーマンスはとても美しく、楽曲の世界を表している。

パフォーマンスを観終えると、きっと何かがあったんだろう、また違うパフォーマンスもあったかもしれない、けど次はもうないんだろうと、寂しさや悔しさも同時に湧いてくる。

わずかな時間に湧き上がるにはあまりに多い、色んな感情があの4分弱には詰まっている。

この煮え切らない感じが、割り切れもしない感じが、とにかく懐かしい。

いつ崩れ去るかも分からないくらい不安定で、
どんな未来に歩みを進めるか不確実で、
そんな存し日のグループを追っていた頃の感覚が鮮明に蘇る。

なんの因果か、再披露された方がかつてのグループを色濃く想像させる。
君は今もまだ未完成で存り続けるんだな。

視聴体験の差

「10月のプールに飛び込んだ」この曲に焦点を当てれば、前述の通りの感想だったのが本音。
実際に裏側はどうだったのか?メンバーは何を考えながらパフォーマンスしていたのか?
確認も検証もしようがないのだから、映像を観て、感じ取ったものが全てなんだと思い、それ以上考えるのは辞めた。こういう時、認知を歪めて美談にすることが起こりやすいので本当に注意して接したい。

Day2は色々なところで語られているように、まさに今のグループが見せる最高のパフォーマンスだったと思う。
メンバーの安堵や達成感が、曲中から伝わってくる。
これまでこんな感覚は「砂塵」以外では持ち得なかった。

名前が変わった後のグループからは、どのライブ・イベント・番組でも、期待には期待上で返す、できないことでも誠実に取り組む、そういったある種の潔さが感じられる。

グループは1歩ずつ着実に歩みを進めていて、かつての不安定や不確実といった感覚は微塵も感じない。今この瞬間の活動で成果を挙げ、次に繋げる。その繰り返しでファンも熱を帯び、今を見逃すまい、これからの活動を追っていたい前向きな気持ちにさせてくれる。

未完成が故に余白を想像し目で追ってしまうかつての姿に対して、
完全が故に一挙手一投足を目で追いたくなるのが今の姿なのかな。

これはコンテンツの視聴態度にも大きく影響している気がする。
余白を埋めようと何度も同じ映像を未漁っていたが、今は次も期待を超えてくれると意識が次へ次へと前に向かっていく。

言い換えれば、グループを追うことで心残りのないグループに変貌したのだと思う。心残りがあるならば、それは提供されるコンテンツではなく、ファン側が見逃したり現地に入れなかったことの方が要因としては大きくなるんだろう。

時間軸で見れば同じグループだけど、コンテンツから伝わってくる感覚はまるで違くて、これだけ変化してきたんだなと感慨深くもなった。
「10月のプールに飛び込んだ」を今の時代に見るからこそ、両者の差がハッキリと理解できたそんな気がしている。

これから

「10月のプールに飛び込んだ」この曲は、「サイレントマジョリティー」のように自由を1つのテーマとしていて、意外と自由ど真ん中の曲は少ないし、世間的にはもっと反抗的な側面が強調される。

「10月のプールに飛び込んだ」も「サイレントマジョリティー」の主人公も、周囲の目を気にすることなく、自らレールをはみ出していく強さが根底にある。

この主人公像は、今のグループからは結構遠いのかもしれないな。
きっと、そんな生き方してみたいと思うけど、そんな極端に生きることはできないという人物の方が似合う。

誠実に実直に、時に馬鹿正直と後ろ指刺される愚直とも言える存在で、目の前の課題や試練にNoとは言わずに乗り越える。その過程で周囲に認められて、その先に気づかれる信頼によって自由を掴み取っていく存在なんだと思う。

同じ自由でもその質は全然違うんだよきっと。
そして、そんな主人公が掴みとる自由もいつか見てみたいというのが今のモチベーション。

新せ界でも書かれていたように、まだまだ実現したい夢はたくさんあって、その1つ1つが叶えられていくように、今のグループを見守りたい。

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