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第57話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

名前を思い出せないラブホテルに着いたとき、僕らはじゃれあうように寄り添っていた。僕は例の部屋を選ぶと、美鈴の手を掴んだ。結局、鍵は見つからなかったけど、僕らにとっては大した問題じゃなかった。今は早くでも交わりたいと思っていた。


部屋に入るなり、美鈴は大きな声を出した。それはそうだろう。なんと言っても、部屋全体が鏡張りなんだから。美鈴は丸い大きなベッドへ座ると、綺麗な夜景を見るみたいに、天井や壁を見渡した。


そして、僕に一言……


「海ちゃんって、ラブホテル初めてじゃないよね」


「あっ、まぁ一様……」となんとなく気を使って言う自分がいた。


「そうよね。私、初めてだから」と上目遣いで僕を見た。


だったら、美鈴は、どこで処女を失ったのだろう。そんなことを思ったが、特に聞きたくなかったので、僕は話しを終わらせるように浴室へ向かった。

「シャワーを浴びてくる」と一言告げた。浴室へ向かおうとしたと、美鈴は冷蔵庫の中を確認して、僕にビールを飲んで良いか訊ねた。


「別に良いけど、飲み過ぎないでよ」


「わかってる」と美鈴は言った瞬間に、缶ビールの蓋を開けていた。


シャワーを浴び終わって、部屋に戻ると美鈴は飲みかけのビールを僕に渡した。続いて、シャワーを浴びに浴室へと向かった。美鈴はずいぶん気分が良いのか、鼻歌なんかを奏でている。

シャワーの浴びる音を聴きながら、僕は美鈴が浴室から出てくる姿を想像した。バスタオルを巻いて、恥ずかしそうに歩いてくる。少しだけ濡れた髪の毛が妙に色っぽい。

僕の想像は、もっとその先へ発展していく。そんな想像だけで、僕は自分の下半身が硬くなってるのに気づいた。


待ち遠しい。これほど美鈴とのセックスが待ち遠しいなんて。鏡を見ると、ニヤついてる僕が、僕を見つめ返していた。扉の開いた音が消えたとき、鏡に映る僕が、微笑み返したように見えた。

瞬きをして、鏡を覗くと同じように僕が覗いていた。当たり前だけど、鏡の中を確認しては不思議な感覚に落ちるのだった。


「海ちゃん、何してるの?」


振り向くと、目の前にバスタオルを巻きつけた美鈴が立っていた。前髪を少し濡らして、髪の毛は上にアップさせていた。想像以上の可愛らしさに欲情は溢れて、血が脈々と振動した。

我慢ができなかった。美鈴の手を取ると、ベッドへ沈めて唇を重ねた。バスタオルが捲れて、下へ下へとズレ落ちる。シャワーで温もりをもった胸を吸って、発情期の猫みたいに美鈴を求めた。

ミルクを舐める舌が、ビショビショに濡れた秘部の深みを刺激する。


情熱的に、燃え上がる炎はやがて熱くなった中をスライドさせた。溢れるように水は花瓶から流れ落ちる。鏡の中で映る美鈴のあえぐ表情に、僕はますます興奮していた。

小さな胸を鷲掴みして、繋がった腰は砕けるみたいに動いていた。何度も何度も繰り返しては、美鈴の中を刺激的に攻めるのだった。体位を変化させては鏡に映る男と女。

溢れる水はシーツを濡らして、果てるまで求め合った。美鈴の中へ果て、僕は快楽の絶頂へ昇った。


そして、汗ばんだ身体を二人してシャワーで洗い流す。


そのあと、僕たちは何度も愛の余韻に浸っていた。そして、深い眠りが落ちる瞬間、僕は鍵のない部屋を開けるのだった。


睫毛に冷たい感触を感じながら……


睫毛に感じた冷たい感触が、僕を願望の世界へ誘った。目を覚ましては、白い無数の粉雪が頬に触れた。冷たさは一瞬だったし、僕は僕の世界から願望の世界へ踏み込んでいた。

夢の世界かもしれない。降り落ちる粉雪は冷たくなかったし、肩に積もった雪で濡れることはなかったーーーー映画の撮影で使う偽物の雪かも。


僕は起き上がって、目の前に広がる光景を見つめた。名前を思い出せないラブホテルに泊まって、僕は美鈴とベッドで眠りについた筈だった。

だけど、目の前に広がる光景は違っていた。真っ暗な空から浮かび上がるように降り続ける粉雪。そんな光景を見て、僕は思い出した。


腕時計が冷たい手錠のように感じた、あの日の夜……


僕は不思議と、大人の成人式が行われた公民館に来ていた。そして、今いる場所は、桃香と不思議な現象を目撃した屋上だった。あの夜とまったく同じ街並みの世界が広がっている。

街のネオンや家の光は、粉雪の降る漆黒の夜空に吸い込まれていく。街並みは静かな空気に包まれて、ひとつの光も見えなかった。


目覚めたら屋上だった。そんなフレーズで始まりそうな物語があったら、これから待ち受ける出来事は、きっと不思議な物語になるだろうーーーー


いや、僕はもうそんな物語の中に踏み込んだに違いない。濡れもしない雪の中を歩いて僕は屋上から出て行った。

空気は冷たくない。澄んだような空間を漂わせている。足音さえ、この不思議な空間に吸い込まれて聞こえない。

大人の成人式が行われた一階へ向かうと、呼吸する息が、息として存在しない。無音の中、僕はゆっくりと階段を確かめて降りた。薄暗い非常階段を降りながら、桃香と隠れていた場所を思い出した。


踊り場に出ると、意識を暗がりの向こう側に移す。


一瞬で目が慣れて、暗がりの中で抱き合う二人が目に入った。その人影に、僕は自分の目を疑った。目の前に映る光景に、唖然として目を離すことができなかった。

壁際の方へ女を寄せて、男がダッフルコートのボタンを外そうとしていた。

男は僕だった。そして、女は桃香だった。僕らの密会が、目の前で繰り広げられている。記憶が断片的に映像となって蘇った。正確には、今見てる映像と映像が重なって、断片的な記憶として僕の脳へ送られているのだろう。


暗がりの向こう側に居る僕が、暗がりの向こう側に居る桃香のダッフルコートを開いた瞬間、僕は桃香がグレイのセーターを着てたと思い出した。

予想通り、桃香はグレイのセーターを着ていた。そして、次の行動も頭の中で想像できた。僕は桃香の胸を求めてグレイのセーターを巻くしあげるだろう。

気に入った映画を何度も見ては、一つ一つの場面を覚えている感覚だった。あのシーンのあと、主人公はあのセリフを言って、相手を打ちのめすんだよな。

そんな風に、僕は僕の行動すべてを言い当てた。面白いぐらい、僕は僕の目の前でリプレイする。


いや、それを言うなら、まるで再放送を見せられてる気分だ。


ここは願望の世界なのか?


それとも、僕にメッセージを伝えようとしているのか。いずれにしろ、僕はこの不思議な世界で、知らなかった真実を知るのだった。


第58話につづく

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