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第34話「蛇夜」

山々の鴉たちが森から一斉に羽ばたいた。雲間の月明かりが黒い鴉をシルエットで映し出す。狼の遠吠えのように鳴き出す鴉の群れ。まるで今宵の儀式の始まりを告げるようだ。


朽ち果てた神社から少し離れた草むらで隠れる僕たち。昔は朱色で美しかった鳥居も、今では煤まみれの棒だけの鳥居になっていた。何故そのままの状態なのか、美玲さんに訪ねたが、知らないと冷たく足なわれた。


「そんな事より、もうすぐ始まるわ。絶対に何があっても声を出さないで頂戴。私たちが居るとわかったら儀式をやめるかもしれない」と美玲さんが再び、注意を言うのだった。


黒土山の麓で行われる儀式とは?


僕は息を殺して、謎めいた儀式が始まるのを待つのだった。そして、ますます夜が深まる頃、静まり返った神社に向かって集落から誰かが歩いて来た。

僕は無意識に身を潜めて、その人影を見ようと目を凝らした。


白い着物を着た女性が足音もさせずに歩いて来る。真っ暗な麓だから、顔がはっきりと見えない。それでも段々と距離が近くなったとき、雲間から月明かりでその人影の顔が映し出された。


「誰だ?」と見た瞬間の感想である。


全く見覚えが無かったし、ここへ来る前に美玲さんが言っていた、知っている人物と思えない。


黒髪を後ろで束ねて、つり上がった目が印象的だけど、鼻は大きくて決して美人と思えない。着物から覗く足も太かったし、ウエストもくびれのないラインを思わせる。だけど肌だけは遠目から見ても白くて美しかった。


「いよいよ始まるわよ。草餅さん、決して声を出さないでね。彼女は今夜の主役なんだから」と美玲さんが顔を近づけて言う。

そんな美玲さんを見て、僕は昨夜のことを思い出した。確か舌が二股に分かれていたっけ。


「美玲さん、教えてくれないか。彼女は誰なんだ?」


「あなたの知ってる人よ。会ったこともある。顔は見てないかもしれないけど、彼女の名前は日比野鍋子さん。知ってるでしょう」


日比野鍋子だと!?


一ヶ月前に亡くなった日比野鍋子のことを言っているのか?だったらあり得ない話だ。それに何故、美玲さんが日比野鍋子のことを知ってるんだ。美玲さんの口から出た名前に、僕は疑いの眼差しで見つめるのだった。


「フフフ、草餅さん。なんて顔をしてるの。私が日比野鍋子さんを知ってることが驚いた。だったら、私と彼女が上京する前、同じ集落で育ったと言えば納得するかしら」


「納得はできない。僕がここへ来た理由は、亡くなった日比野鍋子の死に関して調べようと来たんだ。彼女は奇怪な死を遂げてる。君はそれを知って、あの人が日比野鍋子と言っているんですか?」


「日比野鍋子が死んだ?それはあなた達が勝手に思い込んでるだけで、彼女
は死んでいない。そう思わせただけなのよ。この日の為に、儀式を行う為に彼女は変わったのよ」


「変わった!?な、何のことを言ってるんだ。正直言って、君の言ってることは意味がわからない。詳しく説明してくれないか?」と僕は問い詰めた。


「あとで教えてあげる。今は儀式の邪魔になるでしょう。草餅さん、ほら見て、彼女が儀式を始めたわよ」美玲さんはそう言って、僕から視線を逸らした。


逸らした視線の先で、日比野鍋子らしき人物がゆっくりと神社の前に立つ。よく見てみると、脇に何かを抱えていた。薄汚れた白い布袋のようだ。

すると、日比野鍋子は布袋を地面に置いて、手のひらを夜空に向かって上げると意味のわからない言葉を叫んだ。


すでに儀式は始まっている。その異様な光景を目の前にして、僕は呼吸を忘れるぐらい、目を離すことができなかった。

しばらく意味不明な言葉は続き、日比野鍋子が聞いたことのない叫び声を上げた。


いや、奇声だろう。


次の瞬間、黒土山の方から雪崩と思わせるような音が聞こえた。その音と共に地面が揺れるようだ。地響きとまではいかないが、その揺れが大きくなったとき、僕の目の前で信じらない光景を見せた。


集落で見かけた赤茶色の蛇が大群を引き連れて、日比野鍋子に向かって這いずって来たのだ。その数は先ほどの数を優に超えている。何万、何十万匹という蛇が雪崩のように山から流れて来たのだった。


「現れたわね。蛇夜たちよ」と美玲さんが言う。


「へ、へびや!?何が始まるんだ。まさか、あの鱗の正体は、あの蛇たちなのか!?」


黒土山から現れた蛇の大群。そして日比野鍋子と思われる女の登場。

今宵、僕は村に伝わる儀式を見てしまうのだった。


第35話につづく

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