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第1話「黒電話とカレンダーの失意」

 日めくりカレンダーを破り捨てたあと、僕はかかってきた黒電話の音に耳を塞いだ。あの人からの電話だと考えるだけで、突然の夕立ちみたいに胸がざわつく。

 部屋着のまま玄関まで行くと、僕は鍵もかけずにマンションを飛び出した。どうせ取られるものはない。そんなことより鳴り続ける黒電話の音から逃げることが先決だった。

 真夜中の住宅街を歩いて、近所の神社へと向かった。荒れ果てた石階段を登り、夜風の中に身を任せては鳥居を潜った。梟の鳴き声が神社を取り囲む林の闇から聴こえて、あたりの静けさを強調させるようだった。

 僕はポケットに手を突っ込んだまま、しばらく夜空を見上げていた。ざわついた胸の鼓動が地面を揺らすように動いて、僕は地球の重力から離れ離れにならないよう足の裏へ力を込めた。

 時折、葉っぱの擦れる音と梟の鳴き声が重なっては、僕の肩を揺らしてくれたような気がする。帰ったら後片付けをして布団に入って寝よう。そんなことを頭の中で考えながら僕は胸元に手をおいて、ゆっくりと深呼吸をした。

 深い深い深呼吸はざわついた胸を落ち着かせてくれる。林の闇の中で梟は鳴き続けていたけど、僕のことを救ってくれることはないだろう。もちろん僕も、梟に対してそんなことは期待してない。

 この問題は僕だけの問題であって、他人が解決する問題ではない。姿の見えない梟にも責任はない。責任転換することは逃げることと同じだと死んだ姉さんが言っていた。その言葉は僕の中で教えとなって、今日まで守り続けている。

 そろそろ戻らきゃと思っても足は逆方向へと動いた。神社の賽銭箱の横で座り込んで、僕はポケットの中の小銭を賽銭箱へ投げ捨てた。カコンと木片の乾いた音が鳴って、賽銭箱の中へ吸い込まれる。

 眠るには寒すぎる季節だから、肌寒い気温が身に染みてきた。

 僕は結局諦めて、黒電話の鳴り響く音を耳に余韻として残したまま、自宅へと帰ることにした。あの人が帰って来るのは半年後なのに、僕の心は半年後のことを恐怖の塊で胸に抱えていた。

 それでも逃げることはしない。あの人の帰りを待つ犬と同じだ。荒れ果てた石階段から踏み外さないように、僕はゆっくり一歩ずつ確実に降りた。

 相変わらず、梟は林の闇の中から鳴いていた。だからなのか、背後から誰かが近づいて来るのを気づかなかった。僕の足音に混じって他人の足音が聞こえたとき、林の闇の中から一匹の梟が夜空に向かって飛び去った。

 僕は無意識に後ろを振り向いて、石階段のてっぺんから見下ろす一人の人物と見つめ合うのだった。

 これが、彼女と始めて出会った夜の出来事である。

 第二話に続く

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