第30話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

真っ暗な部屋だった。理由は、僕が瞼を閉じていたからーーーー意識が脳と繋がった瞬間、僕は閉じた瞼に気がついた。あの感覚が蘇るようだった。実際に僕が感じてる感覚は、あのときと繋がった。

鏡に映る僕が、不思議な意識を持ったんだ。縦横無尽に鏡から鏡へ意識が飛ぶ。無我夢中な僕と違って、冷静な思考を持った僕が、鏡から二人を見つめていた。


あとから考えると、もしかしたら、その僕も鏡越しに映った二人を見つめている可能性さえ感じた。そんな風に思う僕が冷静だと、鏡の僕が冷静じゃないと思われるだろう。これは言葉なんかで説明はできない。

死後の世界を説明できないくらい同じなんだ。とにかく、僕が今いる場所は成人式が開催された市民会館でもなくてホテルの一室だった。


本日二度目のラブホテル。しかも、同じ部屋だった。鏡張りの部屋に、僕は一人ベッドに寝転んでいた。さらに裸だった。天井の鏡から意識は僕の意識に戻って、ふと考えたのはホテルの名前である。

でも、やっぱり思い出せない。数時間前に休憩したラブホテルの名前。正直言ってどうでも良かったけど、なんとなく気になる自分がいた。


僕は起き上がると辺りを見渡した。幾人の僕が、鏡の中から同じ仕草、同じ表情で見つめてくる。大人の成人式の途中で暗転した瞬間、僕はタイムスリップをしたかのように戻っていた。

異常な現象だったけど、さほど怖さはなかった。何故なら浴室からシャワーの流れる音が聞こえたからだ。僕の他に誰かが部屋にいる。それとも、誰も居ない浴室でシャワーだけが流れっぱなしなのかも……


シャワーの音以外、部屋の中は静寂そのものだった。やがて流れるシャワーの音が止まったとき、僕は部屋に戻って来る誰かを待つのだった。


愛や夢をまだ知らない頃、僕はひとつの潮彩に染められた。心に滲む潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く。意味深な言葉は、僕の人生に大いなる影響を与えた。それは大人の災いと紙一重なんだろう。

もしも、この体験がなかったら、僕は僕でなくなり、僕を見失ったままだったかもしれない。シャワーの音が止んだあと、扉の開く音が聞こえた。

やっぱり、僕以外の人が部屋には存在していた。心揺さぶる気配を空気から感じたーーーーピチャピチャと雨の道を歩くような足音。僕は一呼吸して歩いて来る誰かを待った。

もしかしたら桃香かも。いや、桃香は大人の成人式に参加中だった。だったら、誰が現れるんだろう。もしも、あの子だったらどうするの。


あの見知らぬポニーテールの女の子だとしたら……


通路側から姿を現した女の子。薄暗い灯りの下、あの子が微笑んで立ち止まった。壁に手を置いて、バスタオル一枚を身体へ巻き付かせていた。すらりと伸びた二の腕から、水滴が滴り落ちては床に弾いた。

見知らぬポニーテールの女の子は何も言わず、しばらく僕を見つめていた。その微笑みは、さっき感じた不敵な笑みとは違っていた。安心感を与えるような優しい微笑みだった。


まるでーーーー


『女神みたい』と彼女は僕のセリフを盗んだ。


思考を読み取る。桃香にも似たような感性があった。でも、彼女はもっとその上をいく感性の持ち主だと思い出した。

彼女の前で、僕の思考はすべてさらけ出しているのと変わらない。彼女の前ては無力なんだ。


『そうね、私の前では思考さえも無意味に等しいわ。だから、省吾くんが私を願望の世界へ招いても、私には思考が読める。でも正直言って嬉しいわ。私も嫌いじゃないから』と彼女は言った。


嫌いじゃないから……


僕の願望の世界……


「君が誰かなんてどうでも良いよ。僕の願望の世界なら、ここは現実の世界じゃないんだね」と僕は質問をした。


『さあ、私にとっては現実の世界じゃないわ。私は省吾くんに招かれた立場でしょう。省吾くんにとって、どうかなんて知らない。私は私の役目をするだけ』彼女はそう言って、バスタオルを躊躇なく脱いだ。


スレンダーなスタイルに綺麗に整えられたアンダーヘアー。腰からのラインは一ミリの誤差もない曲線を描いていた。桃香とは違う裸に、僕は無意識のうちに比べてしまった。

女の人の裸を初めて見た相手は桃香。その次に見たのは、見知らぬポニーテールの女の子。僕が無意識に比べてしまったのは胸の大きさだった。桃香と比べて、彼女の胸は明らかに大きかった。

身体のライン同様に、胸の形も美しい曲線をしていた。ふくよかな二つの胸を目の前にして、僕の思考は読み取られているだろう。


きっと彼女には……


潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く。僕はこのあと、再びこの言葉を聞くことになった。


第31話につづく

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