第6話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」
桃香との思い出は、僕の人生でほんの一握りに過ぎなかった。あの寒かった日の翌日、桃香は卒園を待たずに去って行った。当時、僕は桃香が居なくなったことも気にしていなかったと思う。
二十歳の僕が今になって、五才の僕へ思ったことである。突き刺すような目線が僕らを突然に襲った。
気付いたら、会場には多くの成人たちが集まっていた。
シラけた顔は魚群みたいに、僕らを無数の目で見つめていた。何故、そんなに冷たい表情で見つめるのか。僕には理解不能だった。騒々しい声が嫌に耳に付く。行き交う人々の冷たい視線をもがいて潜るように、桃香が僕の手を取ると移動した。
引っ張られるように、僕は桃香と一緒に魚群から離れた。嫌な騒ぎ声が聞こえない距離へ移動する。桃香は立ち止まって、僕の方を振り向いた。二階へ続く階段の前で桃香は言った。
「ねぇ、式が終わるまで二階に居ない?」
正直それは構わない。会場へ来たからと言って、特に式へ参加しなくてもいいと思ったからだ。あれだけの人数が居るのに、誰一人として僕に声をかけて来る者はいなかった。それにあの冷たい視線は気分が悪い。だから、桃香の言葉に頷いた。
「なんかバツが悪いよね。よし、そうしよう。二階で話そうよ」と桃香は階段を上がりながら言った。
桃香のあとをついて、式が始まろうとしてるアナウンスの中、僕たちは他の成人たちを他所に二階へと上がった。誰も居ないフロアーへ出ると、階段から数メートル先の待合室みたいな空間へ桃香は歩いた。
僕も数歩、後ろをついて歩く。関係者は一階の会場に降りたのか、予想外に誰の姿もなかった。そんな状況が、妙に僕の鼓動を速くした。
変に気を使っているのか。それとも意識してしまったのか。桃香が待合室のソファーへ座っても、僕は手前で立ち止まってしまう。
桃香を左側に感じながら、僕は意識だけを心の中に隠した。僕から話しかけるなんて無理だから。
空席が埋まらないように、桃香の隣は寂しさと独りぼっちが漂っている。沈黙が僕と桃香の間に膨らんだとき、館内のアナウンスが成人式の開始を告げた。
第7話につづく
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