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第50話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

真夜中の時刻、上野公園の桜をライトアップされた電灯も消えていた。僕は満開に咲き誇る桜を見上げていた。月は少し欠けていたし、気味が悪い色で漂うように浮かんでいた。闇夜の中、青白い顔した病人みたいな月。

まるで廃人のようにも見える。と言っても、実際に廃人になった人間を知らないので想像になるんだけど。


僕がどうして、こんな真夜中に桜を見上げているのか。それを知るには少しだけ時間を巻き戻す必要があったーーーー僕が桃香のアパートに向かってる途中の出来事だった。

それはあまりにも突然だったし、まさか、こんな所で彼女と出会うなんて思ってもいなかった。だって、彼女はあくまでも大人の成人式で出会った女の子だから。


駅の改札を通ろうとしたとき、彼女は普通に僕へ声をかけてきた。切符を手に持ったまま、僕は声をかけてきた女の子を見て、驚きで固まった。後ろから改札口を出てきた男性が、急に立ち止まった僕へ舌打ちして怪訝な顔をした。

地面に張り付いた足を上げて、迫り来る人々の群れから抜け出すと、僕は改札を通らずに彼女の前に立った。


『元気そうね。驚いた?まさか、私ともう一度会えるなんて思わなかったでしょう』とあの夜に見た笑顔で彼女は言った。


「まったく思っていなかったよ。まさか、君に会えるなんて。でも、どうしてこんな所に!?」


『あれは君の願望の世界だけど、私は現実の世界でも存在しているわ。頭で理解しようと思わないで、ただ単純に心の緩みが私という存在を現実の世界に呼んだのよ』


まったく意味がわからなかった。僕の願望でもなくて、現実の世界であって心の緩みが彼女という存在を呼ぶなんて。そんなの何の説明にもなっていない。それでも彼女は、確かに僕の目の前に立っていたし、紛れもなく現実の世界に存在していた。

淡いピンクのブラウスに、チェックのスカートを履いていた。そして、水色の大きなリボンで髪の毛をポニーテールにしていた。


正直言って、僕は彼女の姿に見惚れてしまっている。


『君は惚れやすい体質なのかしら。そんなに私の格好が可愛いの。随分、会わない間に色々な経験をしたのね。あの子とも出会えたみたいだし』と僕に向かって、彼女は上目遣いで言った。


僕の思考を全て読み取ったようだ。今日まで起きた出来事さえ知ってしまったように思えた。いや、この瞬間にも僕の心の中の全てを場面として切り取って、読んでしまうのだろう。

桃香以上の第六感で、僕の思考がわかるのだ。彼女の前で、思考は無意味に等しい。立ち話もなんなので、彼女は合図を送ると駅のホームへ向かった。


僕らは電車に乗り込み、流れる風景を無言で眺めていた。時折、僕と目が合うたびに、彼女は口元に微笑みを浮かべていた。こうして僕は、吉祥寺から上野公園にとんぼ返りした。

二人して改札口をとおったとき、電車が最終電車だと気付いた。それでも彼女は無言のまま、上野公園へ向かって歩くのだった。ライトアップされた電灯も消えた時刻。僕と見知らぬポニーテールの女の子は、暗闇に浮かぶ桜を見上げていた。


『綺麗ね。私たちだけの夜桜じゃない』と彼女が柔らかい声で言う。


公園内は不思議と誰も居なかった。月明かりに照らされた桜。静寂な空気が漂って、揺れることなく咲き誇っている。まるで、静寂すぎる図書館の中に居る感覚だった。


桜を透かして、今夜の月は青白く光っている。僕はこの状況になんとも言えない感情を抱いていた。それでもただただ時間の流れるままに、夜の桜を見上げるだった。


『君は静寂すぎる図書館を知っているのね。頭の中で揺らめきの炎が灯ってる』と彼女が聞いて来た。


彼女は僕の思考を読み取って、静寂すぎる図書館を知ったのだろう。心の中に流れる風景でさえ、彼女は言葉にして伝えてくる。

彼女の前で、僕の心は丸裸同然だった。だから彼女は、僕の思考をこっそりと読み取って誘ったのだろう。


『行こう。静寂な場所へ』彼女はそう言うと、僕の手を握ってある場所へ連れて行った。


夜空に浮かぶ月は、青白い光から眩い白銀の光を放っていた。


第51話につづく

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