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第40話「蛇夜」

失った命を取り戻す。それは女として母として叶えたい願いなのだろうか。それが叶うとしても、そこには犠牲が伴う。それでも正しいことなのか?


「日比野鍋子の願いが叶わなかった理由は?」と僕は警戒態勢のまま質問した。この状況、無事に帰れるという保証がなかったからだ。


「答えは至ってシンプルですよ。今から五、六年前、日比野鍋子は会社の上司と不倫をしていました。そして、その男性との間に子供ができる。だが、男の方は堕してくれと言う。そこで彼女は一人で育てることを決意して、産むことを選んだ。だけど、神様というのは平等に幸せを与えてくれない。妊娠してから男のパワハラが原因で、彼女は流産をしてしまった。そして数年後の夏、幼い頃に見た儀式のことを思い出したそうです」


「それで夢川を生贄として選んだ?」


「ええ、だけど彼女は幼い頃に見た儀式をさほど覚えていなかった。よほどショックだったのでしょうね。だから失敗してしまったのよ。蛇苺様に願いを叶えてもらうためにはルールがあります。一つ目は変態すること。二つ目は儀式を見たもの、つまり夢川くんを生贄に捧げる。ここまでは良かった。だけど、最後の最後に詰めが甘かったわね」美玲さんはそう言って、卒業アルバムを囲炉裏の中へ放り投げた。


火の粉が舞い上がり、古い紙の燃える臭いが部屋の中を漂った。日比野鍋子はこの世にいない。そして、知らず知らずのうちに選ばれた夢川という男もいない。まるで二人の思い出さえも消し去るように、アルバムは火の粉を舞い上げながら燃えた。


「それで、失敗と言うのは?」


「儀式を行う日にちですよ。神聖な儀式は毎年、七夕の日と決まっている。それを守らなければ願うが叶うどころか、命を奪われることになる。その結果、あのような姿になった。もしも日比野鍋子が儀式を行うなら、一年後の七夕の日と決まっていましたからね」


儀式のルールを守れなかった人間の哀れな結末。数分前の日比野鍋子がミイラになった姿を想像しては、僕は身の毛が震えた。流産した命を取り戻そうと、自ら変態して夢川という男を生贄に選んだ結果があれなんて。


「哀れですよね。でも、日比野鍋子さんの気持ちは痛いほどわかります。私の母だって、父を生贄にして流産して失った姉を取り戻した。その姿は異様で神秘的だった。変態することによって、母は卵を産んで姉を現世に蘇らせた。そして、姉は今でも普通に暮らしていますよ。まさか、自分が卵から孵ったなんて思いもしてないですけど」


袴田美玲の話を聞いて、僕は儀式の最後を想像した。変態して卵を産める身体になって、産む姿を頭のなかで描いてしまう。どんな風に産むのだろうか。口から?それとも人間のように産むのか!?


「それで、日比野鍋子の両親と弟が殺されたのは?」


「詳しい理由は知りませんが、おそらく儀式の秘密を知ったからだと思います。日比野鍋子さんの父親が新聞記者だったので、もしかしたら世間にリークしようとしたかも知れません」


「口封じみたいなものか……」と僕は呟いた。


このあと、僕は最大の質問をしなければならない。この物語の結末は、僕の運命がどうなるってことだ。あわよくば見逃してくれるのか?


それとも生贄にされるのか……


「美玲さん。あなたは既婚者と仰いました。つまり、何年か前に妊娠して流産した経験がある。そして、僕を生贄として選んだ。そういうことになりますよね」


知りたくもない真実を聞く。それはどれだけ恐ろしくて、辛い現実が待っているかということだ。だけど、真実は変わらない。この目で見てしまった儀式。そして美玲さんは恐らく、既に変態していると思われる。


一年後の七夕の日。僕は黒土山の神、蛇苺様に生贄として捧げられるかもしれない。


第41話につづく

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