第26話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」
携帯電話の光を利用して、私は闇に染まった階段を降りようとした。
だけど、その考えはすぐに諦めた。携帯電話の充電が死んだように切れていたからだ。これでは只の玩具と変わらない。充電は充分すぎるほど満たされていた筈なのに、充電は無くなっていた。
この現象は、大人の成人式が影響しているのか。答えは謎だけど、私は大人の成人式に参加した以上、覚悟を決めて前に進まなくてはならない。
携帯電話をジーパンの後ろポケットに突っ込んで、私は慎重かつ確実に階段を一歩一歩降りた。一歩踏み込むたびに、階段の闇が足首まで飲み込んだ。
しかし、それはあくまでも私の思い込みであって、現実は床に着いた足を目で確認している。恐らく内なる恐怖からの見間違いだろう。
私は少なからず、この静けさと闇に恐怖していた。
二階の踊り場へ降りたとき、思わず階段下を覗いた。例の二人が隠れて逢い引きをしてるかと思ったからだ。目を凝らして濃い闇に視線を集中させる。
気配はまったく感じなかった。足をすらして階段下へ進む。息づかいが聞こえたけど、その息づかいは私だった。
階段下に誰の姿もなかったので、内心ホッとする自分がいた。たぶん、あの二人は一階へ降りたと思った。非常口の扉を開けた瞬間、私の恐怖は一瞬で消えた。
廊下の蛍光灯が、ぼんやり灯っていたからだ。
まるで、私を大人たちの待つ場所へ導くように……
しかし、奇妙なのは蛍光灯の光が弱いことだった。全体を見渡せるような光はなく、半径三メートルぐらいを照らすほどの光だった。
踊り場で感じた匂いがさっきより強くなっていた。甘い匂いの正体は、例の飲み物だろう。でも、どうして甘酒なんかの匂いがするのかしら?
私は弱い光を灯す蛍光灯の下、甘酒の匂いを鼻で追いかけるように歩き始めた。窓の向こうで、闇が街を包むように漂っていた。街中の光を奪ったのかしら?
街灯や民家の光が消えている。完全なる闇が、街全体を覆い隠すように真っ黒にしている。私はそんな光景を窓から眺めて、世界が建物と街に別れているように思えた。
ちっぽけな光だったけど、この貴重な光は建物の集合体となって、蛍光灯を灯しているのだろうか。私の思い込みで世界は闇に包まれる。
吐息に似た溜め息をして、私は蛍光灯の光を頼りに歩き始めた。二階のフロアーを通り抜けて、一階へ降りる階段を目指す。甘酒の匂いが一階から空気と一緒に漂い、私の空腹だった胃に酸を溢れさせた。
気付けば朝食以来、何も食べていなかった。甘い香りのせいで、食べ物を欲しようと脳が目覚める。
集中力が途切れそうだった。このままの状態で参加しても大丈夫なんだろうか。
そんな疑問も感じたが、ここで立ち止まっても仕方が無い。私は再び、吐息に似た溜め息をして階段へ向かう。
もう何も怖くはなかったし、ここからはルールに乗っ取り、大人たちに見つからないようしなければいけない。
一階へ差し掛かり、微弱な光が突然強く放たれた。静寂すぎる空間に解き放つように光が割り込みしてきた。私の影は光へ引き寄せられるみたいに伸びた。足元から影を引きちぎられるみたいだ。
影の後を追いかけるように、私は階段を駆け降りると、一階で広がる光景に立ち止まった。
何十枚のパーテーションが円状に並んでいたのだ。驚いたのは一枚一枚が鏡張りになっていた。私が私を見つめて同じ姿で驚いている。そんな当たり前の現象に、私は不安と好奇心で胸がいっぱいになっていた。
鏡の中の私が近寄ると、現実の私もパーテーションの鏡にゆっくりと近寄った。すると、静寂すぎる空間へラジカセのボリュームを絞り上げるような声が聞こえて来た。
『久しぶりだね、僕……』
不思議な声を聞いた。
大人の成人式は不可思議な空間へ、私を甘い匂いと共に誘った。
第27話につづく
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