第72話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」
もし、自分の彼女が朝帰りしたら不安になるだろう。変に疑うかもしれない。だけど、帰ってきて早々酔いが酷くて、深田奈津子の家に泊めてもらったと言われたら、そうなんだとしか返せなかった。深田奈津子は最近入って来た主婦で、僕も面識があった。占い好きのお喋りな印象しかない女性だった。
「そんなに飲んだの?」
「結構ね。奈津子さんのマンションに行った記憶もないの」と美鈴は頭を押さえて話す。
記憶が無いと言って、僕は朋美の部屋で起きた出来事を思い出した。あのときも酔っ払って僕と美鈴は途中まで行為をしようとした。でも、あれは僕も酔っていたし、美鈴は僕に好意を寄せていた。それでも、そんな美鈴の姿を知っていた僕は、不安な気持ちを滲ませるのだった。
「あのさ、新しいバイトの人って、また女の子?」
「えっ、違うよ。海ちゃんが辞めたから今度は男の子。名前は忘れたけど、私と同い年だよ」
男!!同い年!?
僕の中で生まれて初めての嫉妬が心を締め付けた。しかも、頭の中で嫌なイメージしか浮かばない。朝帰りした美鈴は僕の知っている深田奈津子の家に泊まった。でも、美鈴は記憶を無くしている。その気になれば、本当に美鈴が深田奈津子の家に泊まったかなんて確かめられる。
だから、美鈴が嘘をついてるとは思えない。
それでもこの不安を超えた嫉妬はなんだろうか。朝帰りをしただけで美鈴を疑い、嫉妬に苦しむなんて馬鹿げてる。
きっとそうだ。こんなの無駄な心配だろう。美鈴に限って何かあるわけない。強烈な感情が沸いた僕とは違い、美鈴は頭を押さえながら、シャワーを浴びに浴室へと行った。そんな美鈴の後ろ姿を見て、いつもと変わらない雰囲気が漂っている。
僕は何を疑っているんだ。自分の行いを棚に上げて被害者ヅラしてる。
最低だ……
その夜、僕は嫉妬心と不安で眠れなかった。もちろん瓜二つの彼女も現れない。当たり前である。それから数日後、事件は起こるのだった。
明後日から図書館で働く。楽しみな気持ちもあったけど、この数日は不安な気持ちが大きかった。オリーブに新しく入った男。そんな見えない影がチラチラと頭を駆け巡る。美鈴が男と楽しそうに会話するイメージしか浮かばない。
何の情報もないと、架空の人物が創られる。想像とは怖いもので、時に人を変えていく。そんな想像を消し去ろうと、僕は昼間から彼女の部屋へ出向くのだった。
目的は現実からの逃避である。考えることは気持ちを沈めたり、負の道を引き寄せる気がしたからだ。この二日間、僕は巻き煙草とセックスを繰り返していた。桃香の部屋に出向いては昼間から抱く。何一つ、文句を言わない桃香に甘えていた。
文字通り身も心も捧げる女。悪い気はしないと闇の部分が笑っていた。快楽という現実逃避に浸る。元々はこんな人間だったかもしれない。自分の不都合になったとき、僕は嫉妬心を欲望に変えて行く獣な心を持っていた。
「そう思わないか?」と桃香へ訊ねる。
「海ちゃんが獣?私は思ったことも考えたこともないわ。だって、私は海ちゃんの繋ぎなのよ」
「繋ぎ!?」
「そうよ。海ちゃんが何を思い、何を考えようが否定しない。私は信じているの。それが私の役目だし繋ぎだと思うの」
「信じてくれるのは嬉しいけど、間違った道を歩いていたらどうするんだよ」と僕が言う。
「でも、私が信じていたら嬉しいでしょう。それだけで良いのよ。何も難しく考えないで海ちゃんの繋ぎは私だけよ。獣だったら獣と思えば良いわ。それは海ちゃんの思考であって、私の思考だと思ってる。今もこの瞬間さえも……」桃香はそう言って、目の前でキャミソールを脱いでくれた。
「大人の成人式で会ったときから、海ちゃんの思考が頭に入ってくるの。だから、思ったのよ。私は海ちゃんの繋ぎなんだって」
「僕は桃香の前で、裸同然なんだろうな」
「ふふ、私の裸は好きでしょう。今も思ってるしね」悪戯な顔して桃香は下着を外して裸になった。
僕の壊れそうな心を修復する。桃香の繋ぎという言葉に救われた。夏の汗ばんだ胸に顔を埋めて、僕は心から落ち着いた。心から落ち着いていた。昼間の太陽が沈むと、僕は桃香という現実の中へ包まれていた。心を繋いでもらうために。
そしてその日の夜、僕は一週間ぶりに瓜二つの彼女と会うのだった。
第73話につづく
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