見出し画像

第60話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

両手に本を抱えて、扉から一人の女性が出てきた。大量の本を抱えていたので、背中で扉を押している。僕は手を伸ばして、女性の助けになると思って扉を開けてあげた。それがいけなかったのか、女性にしたら、まさか扉が急に開くとは思わなかったのだろう。


その結果、扉を押したままバランスが崩れて、抱えていた本が崩れ落ちた。


「きゃっ!!」と小さな悲鳴を出しながら女性は細い腕を伸ばしたけど、十冊以上の本が落石みたいに足元へ落ちるのだった。


「あっ、すいません!!」と僕は慌てて近寄ると落ちた本を拾おうとした。


女性も何かを言いながら拾い出したが、僕の姿を確認すると、ジッと睨むように見てきた。視線が痛いと感じながら、僕は急いで本を拾い上げた。

すると、女性は少し笑いながら話しかけて来た。


「あなた、もしかしてこないだ来てた人よね。そうでしょう?」


女性の声に僕は顔を上げた。そして女性の姿に、僕は見覚えがあった。図書館の受付に座っていたショートカットの女の子だった。頬が赤くなるのを感じながら、僕は再び謝罪をした。

すると、彼女は少し手伝って欲しいとお願いをしてきた。もちろん断ることはできないので、彼女に言われるままに本を抱えて、図書館の裏手へと行くのだった。


「あなた、海野くんでしょう。もしかして、千夏さんに会いに来たの?」と彼女は歩きながら訊ねてきた。


「そうですけど、僕のことを知ってるんですか?」


「うん、千夏さんから聞いたのよ。彼女って昔、保育園の先生をしてたんでしょう。そのときの園児が訪ねて来たって話しをしてくれたの。でも、すごいよね。こんな広い東京で再会するなんて、なんかロマンチックな運命を感じるわ」と耳に髪をかける仕草で話した。


ずいぶん気さくに話すので、僕は少し戸惑った。それに、どこまで話しを聞いているのか気になった。


「残念だけど、千夏さんは休みよ。って言うか、今日、図書館が休みなんだよね。私は出勤なんだけど、ちょうど良かったわ。本の入れ替えをしてたから助かったわ」と彼女が説明をしてくれた。


まさか、図書館が休みとは思わなかった。それに、僕のことを知られているなんて驚いた。休みなら仕方が無い。

それに、今日は予定もなかったので、僕は彼女の手伝いをすることにした。図書館の裏手へ着くと別館があって、そこに古くなった本を収めると聞かされた。別館の中は、天井まである高さの棚が並んでいた。

彼女の指示で、僕は本を棚に収めた。すると、彼女は内ポケットから何かを取り出して……


「まだ、自己紹介をしていなかったわね。海野くん」と彼女は名刺を差し出した。


上原姫子と名前が書いてあった。彼女との出会いによって、僕の災いは少しずつ道を逸れようとしていた。


「上原姫子(うえはら・ひめこ)なんて大それた名前じゃない」と彼女は名刺に書かれた名前を見つめながら言うのだった。


周りの友達からは、姫とか姫様とか呼ばれると。そんなの馬鹿馬鹿しいじゃない。なんて言いながら、彼女はコーヒーを淹れてくれた。


この日、休日出勤していた彼女。朝から本の入れ替えを行っていたらしい。本来なら昨日で終わる予定だったらしいが、それでも終わらなかったので、彼女だけ休日を返上して来ていた。

作業が終わり、彼女に誘われて図書館の事務所に通された。手伝ってくれたお礼に、彼女がとびきり美味しいコーヒーを淹れてくれたのだ。


「でも、実際はただのインスタントコーヒーなのよ」と彼女が笑いながら言った。


「そうなんですか!!」


「そう、人なんて美味しいコーヒーって言えば、そのコーヒーは特別なんだろうと思うの。見た目で判断するからダメなのよね。物事の本質を知らなきゃ。だから私の名前を聞いた人は、単純に姫様みたいに可憐な女性だと思っちゃうのよ。どっちかと言うと、私の性格は男っぽいし決して可憐な女じゃないわ」と彼女は言う。


確かに男っぽいかもしれないが、整った顔立ちでどちらかと言えば普通の顔をしていた。強いて言えば、眉毛が太いこととショートカットだから男っぽく見えるかも。でも初対面でこんなにも話しやすい人は初めてだった。


「ところで海野くんは学生なの。年齢は?」


「先月、専門学校を卒業したばっかりで、今年で二十歳になります。今は就職活動をしてるんですが、実際はこれと言って活動はしてないですけどね」と僕は質問に答えた。


「ふ~ん、私の五つ下か。だったらさ、ここで働いてみない?正直言って私と千夏さんだけじゃキツイのよ。どう?今すぐ答えなくていいから考えておいて。私から紹介してあげるから」


「えっ!?ホントですか!!僕が図書館で働く!!」


「冗談で言ってないわよ。図書館って意外と力仕事が多いのよ。だから、男の人が居ると助かるの。ほら、千夏さんは私と違って弱いからね。それに海野くんも、千夏さんと働けたら嬉しくない?」


彼女の発言に、僕は戸惑った。それに僕が千夏先生と働けるなら嬉しくないなんて、まるで、僕が千夏先生のことを好きみたいじゃないか。そりゃ、僕の初恋の人だったけど、年齢も離れているし僕には恋人がいる。

でも、正直なところ、ここで働かせてくれるとなったら、僕としては願ってもない話だった。


「今度聞かせてよ。私の連絡先を教えておくわ。でもさ、海野くんが図書館で働くって聞いたら、絶対に千夏さんは喜ぶけどな」


なんとも意味深な言い方をする。僕は喉まで出かかった言葉を思わず口にしそうになった。いやいや、お前は何を思ったんだ。そんな風に、自分へ問いかけては気持ちを抑えた。

とにかく一旦、持ち帰って考えると伝えた。今すぐ返事をするなんてできなかった。バイトもしていたし、美鈴にも相談したかった。それに、今すぐバイトを抜けたらマスターに悪いと思ったからだ。

仮に図書館で働くとしても、その辺は慎重にことを運びたかった。


二十歳になってから、僕の生きる道は大きく変化した。新たな出会いや懐かしい人との再会。これまで惨めで暗い人生に、少しばかり光が差し込んだ。

上原姫子さんと別れて、僕はそんなことを考えていた。そして、ふと忘れていたことを思い出すのだったーーーー


大人の災いを……


ホントに大人の災いは降りかかるのだろうか。それともすでに災いは起きているのか?僕は太陽の光を避けながら歩いた。


公園は嘘みたいに静かだった。


第61話につづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?