第40話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

夕方になった頃、僕は一度、桃香のアパートへ寄った。日曜日だったし、桃香の声をずいぶん聞いていない気がしたからだ。それに会いたい気持ちもあった。だけど、僕たちは恋人同士ではなかった。

それはそれで、どんな関係だと言われたら、僕は何も答えられないだろう。何故なら、僕らはサンドイッチの中身を大切にしているからである。


吉祥寺の駅からバスを利用して、二つ目の停留所で降りる。そこから徒歩で十分ほどのアパートに桃香は住んでいた。一階の角部屋の灯りがカーテン越しからもれていた。

桃香が居ることは確認できる。インターフォンを鳴らそうとした瞬間、扉が開いて桃香が顔をのぞかせた。


「海ちゃん、おかえりなさい」と優しい微笑みで出迎える。


相変わらず第六感が働くのか、僕が来ることを予想してたかのように出迎える。見知らぬポニーテールの女の子が教えてくれた。桃香は僕の思考を読み取る力があると。

だから、僕が来ることもわかっていたのだろう。北城美鈴や雛形朋美には持っていない才能であった。


「ご飯食べるでしょう。今日は海ちゃんの好きなオムライスよ」とエプロン姿の桃香が言った。


これも当たっていた。僕はほんとうにオムライスが食べたかったのだ。そして、桃香はもう一つの気持ちさえ読み取っていた。だから、僕の上へ跨ると見つめてからキスを重ねた。

僕も桃香の柔らかい唇を確かめるように、味わって口づけをした。


食事を終えると、桃香が驚くような話しをするのだった。潮彩の僕たちは宛てのない道を歩くーーーーと僕の頭の中で声が繰り返し聞こえたーーーー


天秤座の女性は、中立な立場で物事を考えるらしいわよ。そんな話しをしてきたのは北城美鈴。月曜日のこの日、僕と彼女は同じシフトでバイトが入っていた。

あれだけ彼女と会うのが心配だったけど、歓迎会の記憶を忘れている彼女にとって、平和な日々が続いているのと変わらないのだ。

案外世の中は、上手く物事が運ばれるように仕組まれているかもしれない。


だけど、変化もあった。僕と彼女が普通に会話をしてるってこと。歓迎会がきっかけで、僕は初めて友達という感覚を感じていた。しかも悪くないと思っていた。それは彼女が可愛いというのも大きかった。

青いリボンで結んだ髪型はポニーテールで、僕の初恋だった千夏先生と重ね合わせてる所もある。黒目がちな瞳に唇は可愛らしい形をしていた。

あどけない仕草が、なんとも言えない魅力を漂わす。そんな彼女に対して、僕は一歩間違えたらあやまちを犯そうとしていた。だけど、今はこれが正解な選択で間違いのない道なんだろう。

これについては、宛てのない道を歩く必要はなかった。


「ちなみに、北城さんの星座は?」と僕は訊いた。


「水瓶座よ。だから私は、中立な立場で物事を見れない女なの。いやになっちゃうわ」


「そうなんだ。因みに誰からその話を聞いたの?」


「朋美さんが言ってたの。だから、あなたは少し優柔不断な所があるって言うの。失礼しちゃうでしょう。当たってないわけでもないんだけど。海野くんは何座なの?」


蠍座と答えた。そして、彼女が言う天秤座と水瓶座について考えた。桃香も天秤座だと思い出す。中立な立場で物事を見る女。だったら、天秤に置かれた人は僕かもしれない。そんなことを思うのだった。


日曜日にしては客の入りが悪かったこの日、僕はバイトを終えて、着替えようと更衣室の扉を開けた。男女兼用の更衣室だったので、女性が着替えるときは、ドアノブに使用中というフダを下げる決まりとなっていた。

だから、僕が扉を開けたとき、確かにフダはぶら下がっていなかった。


開けたと同時に目が合った。間の悪い僕と上半身を肌着一枚、水色のパンツ一枚で北城美鈴がズボンを履こうことしていた。こんなとき、時間が止まったみたいと感じるはずだったが、僕の場合は違う。

瞬間的に扉を閉めて、その場から離れた。そして、逃げるように裏口から外へ行くのだった。


「あら、海野くん終わったのね」と遅番の朋美が目の前に立っていた。


「えっ、雛形さん!?なんか、いつもと違うような」と僕が言う。

すると、朋美は無視をして何も言わずに裏口から店内へと入った。


なんだか前と同じパターンだな。そんなことを思いつつ、朋美の顔だけがイメージとして残っていた。そして、僕はしばらく待つことにした。北城さんが着替え終わらないと、僕も着替えられない。

と言っても、上着だけ替えるだけなので、実際はこのまま帰っても問題はないんだけど。


しばらくすると、裏口の扉が開いて、私服に着替えた北城さんが出て来た。そして、僕の姿を見て、彼女は笑いながら近寄って来た。


「ごめんね海野くん。私がフダを下げてなかったみたいね。今さっき、朋美さんから言われて気づいたの。だからさっきのは気にしないで」少し恥ずかしそうに言って、彼女は意味もなく僕の肩を叩くのだった。


照れ隠しなのか。それでも誤解されずに解決したのは良かった。せっかく距離も縮まり、こうして普通に会話をする仲になったのに、ここで変に気まずくなったら最悪だ。

何故なら僕は今日、彼女に聞きたいことがあった。それは、大人の成人式についてだった。


僕は勇気を振り絞ってーーーー


「北城さん良かったら、今夜一緒に食事しない」なんてベタな誘い方をするのだった。


「良いよ。でも先に着替えて来たらどう」と上目遣いで言ってきた。


こうして、僕と彼女は今夜二人っきりで食事をすることにした。このあと、不可思議な世界へ扉が開くなんて思いもしなかったけど。


第41話につづく

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