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第62話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

雛形朋美が自殺した理由はわからなかった。だけど、最後の言葉だけは僕の心に焼き付いて残った。


『その場しのぎの思いやり……』


朋美のアパートを出るとき、三日後には店へ来ると約束をしていた。だけど結局、朋美が姿を現すことはなかった。その日の夜、僕が朋美のアパートに様子を見に行った。そこで朋美の遺体を発見した。死因は手首を切っての出血多量が原因だった。

遺書らしき物は残っておらず、警察の方も恐らく自殺と断言した。直接は聞かされていないが、朋美は鬱と判断されたのだろう。一週間以上、店を休んでいたこともあったからだ。


店の皆も悲しみに沈んでいた。マスターもショックで店を一週間ほど閉めていた。明日からようやく再開されようとしていたが、朋美の自殺がきっかけなのか、美鈴は決まっていた就職先を取り消して、オリーブに正社員として働くことになった。これには僕も驚いたけど、美鈴は本気で朋美の意思を受け継ぐと言っていた。

そんこともあって、僕は図書館で働く話しをできないでいた。タイミングを失ったと言うか、朋美が死んだ今、店を辞めるタイミングがなかったのだ。朋美の自殺から一週間は過ぎていた。僕は冷たくなった朋美の姿を今でも鮮明に覚えている。悔やまれるのは、僕と別れてから二日後の夜に亡くなったということだ。


あの日の夜、僕は朋美の心を救えなかった。朋美だけを残して、帰った自分が許せない。だから、朋美を発見した日、テーブルに置かれた巻き煙草を持ち帰った。朋美との思い出みたいなモノだったから。


鞄に閉まった巻き煙草。どこかで吸っては、横で寄り添う朋美の姿を想像していた。『その場しのぎの思いやり』ーーーーそうじゃないよ。朋美にそれだけは伝えたかった。それでも朋美を救えたのか?今となっては永遠にわからないだろう。


翌日、一週間ぶりにオリーブが再開された。僕は早番だったので、早起きして余裕ある時間を過ごした。寝室では、美鈴がまだ夢の中にいた。僕は起こさないように、朝の静けさと一体化していた。これからの生きる道に試練が待っていることも知らず。コーヒーの香りだけが、現実のように漂っていた。


マグカップの底にこびり付いた跡で大体の未来が予想できるのよ。厨房で仕込みをしながら彼女は言った。僕はあんまり興味がなかったけど、少し大袈裟に反応をしてしまった。

それがいけなかったのか、彼女は目を輝かせて、話しを続けるのだった。僕はただただ頷くしかなかった。六星術まで話しが展開し始めたとき、さすがにうんざりしてきたのでーーーー


「深田さん、ちょっと携帯が鳴ったみたいなんで」と僕はその場から逃げ出した。


大体が占いの類いを信じていなかった。それに未来は決まった風な感じが嫌いなのだ。朋美が亡くなって、久しぶりの再開にも関わらず、僕としては気分が暗い。反対に新しく入った深田さんは、本格的な店の再開に張り切っていた。確かに彼女は朋美と仕事をしていなかったので、僕とは悲しみの度合いが違って当たり前である。

マスターはまだ引きずっているようだ。開店時間からランチまで、新人の深田さんに全て任せていた。まだ一週間程しか働いていないのに、深田さんはレシピを見ただけて、完璧に料理を作っていた。さすが調理師免許を持っているのも伊達じゃない。


深田さんとは朋美の通夜が初対面だった。だから今日がほとんど初めての会話に近い。それでも気さくに話す彼女に、僕は非常に話しやすくすぐに打ち解けていた。しかも、かなりの話好きなのか、一度話し込むと止まらない所があった。


深田奈津子(ふかだ・なつこ)、年齢は四十代としかわからなかった。セミロングに少し猫っ毛なのか、髪の毛の先が跳ねている。目尻のシワが深く、少し奥二重の目をしていた。

ぽっちゃりしていたが、決してスタイルは悪くなかった。ただ気になったのは、前かがみになると胸の谷間が凄かった。つまり、かなりの巨乳なのだ。


目のやり場に困るなと思いつつ、僕は後片付けを済ませた。帰りの準備をして、午後には遅番の美鈴がやって来る。今日は少し疲れたので、僕は早めに帰ろうと考えていた。

やはり気持ちの整理が着いていないのか、店の雰囲気が少しだけ違うように思えた。人が死ぬということは、何かしらの欠けた気持ちが転がるようだった。


『その場しのぎの思いやり……』


朋美の言葉が今でも、僕の気持ちを揺らしていた。見た目には変わっていないけど、僕は少しずつ大人時代の感覚に麻痺をしていた。

店を出ると、僕は灰色の雲をいつまでも見上げていた。


第63話につづく

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