第32話「蛇夜」

宿屋を出発したとき、夕闇が黒土山の向こう側へ沈んだ。木製の電信柱を見ると、昭和初期に迷い込んでしまったのかと錯覚してしまう。

三重県伊賀市から南へ行った場所にある黒土山。昭和四十年代は黒土山から採取される黒土で、村周辺は採掘で栄えていた。


黒土山の麓に集落が造られたとき、人口は四十五人の家族が住んでいた。だけど、日本が高度成長期に入った頃、新たな資源が需要になり、黒土山の黒土は世間から必要とされなくなった。

かつて、黒土の発掘で栄えていた村も時代の流れに乗れず、集落を出て行く人間が増えたのだった。街灯の少ない砂利道を歩き続けて三十分が過ぎたとき、ようやく僕達の目の前に黒土山が姿を現した。


「あれが黒土山か。ねえ、今でも黒土の発掘は可能なんでしょう」と雫が黒土山を見上げながら言う。


「可能だけど、需要は少ないんじゃないかな。だから衰退したと思う。それに、現代の若者が発掘現場で働こうなんて思わないだろう。しかも田舎暮らしで、集落なんかで一生を終えようなんて考えるか。それだったら街へ行く者、都会へと移り住むものが多いさ」


「そうよね。だから日比野鍋子も集落を出て東京へ行った。でも、相棒さんの情報だと家族がいないんでしょう」


「ああ、しかも謎の失踪ときてる。当時の新聞に載ってたらしいけど、記事によると、日比野鍋子が小四のとき、両親と三つ下の弟が失踪してる。学校から帰って来て、家に鍵がかかってなかったんだけど、集落で家の鍵をかけるものは居ない。そんなことは当たり前だったから、鍋子もそのときは気にしなかったそうだ」


「だけど実際は、父親も母親も弟さえ帰って来ることはなかった。それで鍋子さんはどうしたのかしら?」雫はそう言って、懐中電灯の光を照らした。


真っ暗な畦道に、懐中電灯の光が楕円状になって映る。足元を照らしながら僕たちは歩き続けた。日比野鍋子の家族が失踪したこと。そして今回、彼女が奇妙な死を遂げたこと。全てはどこかで繋がっているのか。それとも全く別の話なのか!?


とにかくこの謎を解くなら、黒土山を登るしかない。蒸し暑い夏の夜、僕たちは黒土山に繋がっている山道へと向かうのだった。宿屋で知り得た情報だと、集落の一部はそのままの状態だと教えられた。

つまり、何軒かの家は取り壊して残りの家は空き家のままってことになる。


「鍋子は東京の従兄弟に引き取られたって聞いてる。でも、従兄弟の家族とそりが合わなくて、数年後に家を出て一人暮らしをしてたらしい。それでも大学を出て、一流商社へ入社したから偉いもんだよ。随分、苦労したみたいだけどな」


「ふーん、そして数年後に奇怪な死を遂げた。人生ってわかんないもんね」と雫がドライに答えるのだった。


「確かに、決して幸せじゃなかったかもしれない。独身だと聞いてるし、集落を出たあと、寂しい日々を過ごしていたかもしれないな」と僕も勝手な想像をするのだった。


畦道から山道へ入る手前で朽ち果てた看板が目に入る。赤い文字で『この先危険の為、立ち入り禁止』と辛うじて読める。看板のそばに錆びた有刺鉄線が落ちているが、立ち入り禁止と言う割には役に立っていない。


だけど、近年は黒土山へ登る者がほとんど居ないと言うわけだ。


「うわぁ、めっちゃ暗いんだけど。ホントに大丈夫なの?」と看板からつづく山道を見て、雫が不安な声を出す。


長年山道は、人が出入りしていないため、けもの道のように草が生い茂っていた。なんとか道として歩けそうだけど、慎重に進まなければいけないだろう。


「麓の集落まではどのくらい?」


「仲良さんの話では、三十分もかからないらしいよ」


「だったら楽勝ね」と雫はそう言って山道への道へ入った。


二つの懐中電灯の光を頼りに、僕たちは山道を歩き続けた。周りは鬱蒼と生い茂る草木に、覆い被さるように木々が生えていた。雲一つない夜空だったけど、木々たちに遮られて月明かりは届かない。


不安に駆られたのは、時折聞こえる山の獣たちの声。暗闇から音がする度に反応しては、僕たちは闇夜の山道を突き進むのだった。


そして三十分後……


山道が切り開かれて、古い家が建ち並ぶ集落へ到着した。急に静まり返り、僕たちを招いているみたいだ。


「けっこう怖いわね」と雫が声を潜めて言う。


「そ、そうだな。とりあえず奥に進もう。家の中を探索するときは一緒に行こう。一様、目的の場所は決めているから」


「そうなの?」


「ああ、集落から黒土山へ入る道の手前に神社があるらしい。そこで昔はお祭りとかしてたと言ってたよ」


五年前まで、ここの集落は人が住んでいた。だが今となっては、家の一軒一軒は屋根が腐っていた。中には壁一面が崩れ落ちて、部屋の中まで丸見えになっている。人が住まなくなっただけで家と言うのは、こんなにも朽ち果ててしまうのか。


そして、二人並びながら集落の半分まで進んだとき、ある一軒の家の裏から奇妙な音が聞こえた!?


ドサッドサッ!!ドサッ!!!!


「ちょっとお兄ちゃん、い、今の音聞いた!?」


「うん。何か落ちたような音が聞こえたな」


集落に辿り着いた僕たちに、怪しげな音が聞こえるのだった。もしかして、何か得体の知れないモノかも?


この一瞬で、僕たちは緊張感に包まれるのだった。


第33話につづく

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