大町和海について

 noteというものを初めて書いてみます。初めてなのでやはりまずは自己紹介からするべきでしょう。そういうわけで以下に記述することは私について——あくまで氷山の一角ですが——まあ公にしても良いかなと思われるいくつかの事柄です。

 私は1995年12月10日生まれ。この誕生日はフランスの大作曲家オリヴィエ・メシアン Olivier Messiaen (1908-1992) のそれと同じ日付です。幼少の頃から桐朋学園の「子供のための音楽教室」で西洋クラシック音楽を学んでいました。

 ところで私はいつも「西洋クラシック音楽」という言い方を用います。過去の歴史上においても現在においても、世界の様々な文化の中に音による芸術の様式があることを常にリスペクトしなければいけません。一部の西洋クラシック音楽家は——あまりに無邪気に——自分たちのやっている音楽の「美」を過度に普遍視しているかのような発言をすることがあります。これは非常に乱暴な振る舞いです。もっとも毎度毎度「西洋クラシック音楽」と書いていると長ったらしくて面倒なのも確かなので、少なくとも本記事の中では以下単に「音楽」と表記することで「西洋クラシック音楽」を指すものとします。

 閑話休題。私は音楽を学び始めて間もない頃から作曲することを好んでいました。とはいっても作曲のやり方自体は誰に教わるでもなく自己流で、ごく小規模な可愛らしい作品を書き散らすものでしたが。それでもとにかく五線に音符を書くことが好きで——反面ピアノを演奏することに対しては淡泊で——将来は東京藝大の作曲科に入り作曲家になりたいと思っていました。そうとならばいつまでも自己流ではまずいということで、音楽教室の先生方の勧めもあり、中学生になってからは藝大の作曲の先生に和声法の指導を受けるようになりました。

 一方で私は高校時代に『万葉集』と出会い、日本古典文学に傾倒するようになりました。ここで私の中に迷いが生じます。藝大で作曲を学びに行くか、普通の大学で日本古典文学を学びに行くか。この葛藤は終盤まで基本的に藝大が優勢だったのですが、高三の夏前になって私は心を翻して日本古典文学の道を目指すことに決めました。決めました、と言ってもそれまで藝大に行くつもりで音楽以外の勉強を一切まともにやっていなかったので、当然のように現役不合格となりました。

 結局二年も回り道をして東大の文科三類に入りました。この大学は前期課程は文科一・二・三類/理科一・二・三類という区分けになっていて、二年次の夏に進学選択というのがあって各学部・学科・専修課程に入るという形になっています。今からすれば前期課程で真面目にあれこれ勉強しておけば良かったと思うわけですが、その頃私は将棋部とピアノ愛好会(「ピアノの会」)という二つのサークルに興じていました。浪人している間はピアノはほとんど弾いていなかったのですが、久しぶりに弾いてみたら以前より少し面白さを感じ、またサークルで技術的な「うまさ」に関わらずピアノや音楽への愛情を表現する人たちを見て「なんだかこういうのって良いなあ」と思ったのです。そんなこんなで危なっかしいところがありながらもギリギリ前期課程の必要単位を集め、進学選択で文学部人文学科ドイツ語ドイツ文学専修に進みました。

 ……おや?ドイツ文学?私はそもそも日本古典文学に憧れてわざわざ浪人までしてこの大学に来たのではなかったでしょうか?実際に行こうと思えば国語国文学専修に行くことは可能でしたし、最後の最後までそのつもりだったのです。ただ◯◯語◯◯文学専修全体のオリエンテーションに参加してみて、なんとなく研究室の雰囲気が好みだったという理由で——またしても土壇場の卓袱台返しで——独文に行くことにしました。ドイツ語はそれまで勉強したことがなかった(前期課程での第二外国語はイタリア語でした)ので、二年次の秋から初級クラスを履修しました。

 この時期になると将棋部とはすっかり疎遠になりましたが、ピアノの会にはコミットし続けていて、やはり自分にとって音楽は核心的なものであると感じていました。しかも作曲だけでもなく、演奏だけでもなく、作曲家や作品について分析することや、他人に教えることにも興味が湧き、手広くやっていきたいという考えでした。そこで中学時代からお世話になっている——大学入学後も時々レッスンを受けていました——作曲の先生に相談したところ、藝大院のソルフェージュ研究分野を勧められ、そこの主任の先生に取り次いでも下さいました。四年次の九月に修士課程の入学試験を受け、合格しました。ちなみに試験の内容は音楽史・語学・ピアノ実技・記述試験・和声課題・聴音・初見唱・初見奏・面接というものでした。こう書くと非常に内容が多いように感じますが、それぞれの分量はそこまで厚くないので、器用貧乏な私には合っていたと思います。

 大学院にはちょうど「コロナ禍」の初期に入学することになり、色々と制約がある中で始まりました。しかし幸いにもその秋学期になると若干制約が緩まり、オペラ科の院生さんにゲストに来て頂いて伴奏法の授業ができるようになり、そこで知り合った縁でいくつか声楽伴奏やオペラ企画に関わる仕事を頂くようになりました。この伴奏法の授業を担当されていた先生が、私が入学した当時の主任の定年退官に伴い、翌年度(つまりはこの文章を書いている時点を含む年度)から新たな主任に就きましたが、私にとってはこの主任の交代によって研究に新たな角度が加わり深められる結果となりました。これが博士課程受験を決心することに繋がり、この度進学が内定した次第です。

 とまあこんな感じでしょうか。今後も気が向いたら記事を書くと思います。場合によってはどなたかから頂いた質問に回答することもあるかもしれません。どうぞよろしくお願いします。

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