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反応の選択は自己責任でお願いします

随分前にとある本で、英語で「責任」を意味する「responsibility 」は「response/反応+ability/選択する能力」から成り立つ単語だと読みました

そこには、ある事象に対して、自分が怒ったり憤ったり、焦ったり呆れたり、悲しんだりするのは、その事象に対して自分の心が反応した結果であり、その上で反応するorしないを選ぶのは、全て自己責任であると続けられてました

人が社会で生きていく限り、心が乱れるようないろんな事象に遭遇するのは避けられないもの

避けられないとはいえ、そんな事に心の安定を委ねるのは、あまりに不安定で、馬鹿馬鹿しい気がします

そこまでの道程が順調であれば、なおさらですね

でも実際に自分の反応次第で、物事は大きく転換する

同じ事象に対して、怒りの反応をし冷静な判断を誤れば、お粗末な結末になる事も、反応せずに冷静に対処出来れば、難なくやり過ごせる事も多いでしょう

そう考えるようになって、実際に何か問題に遭遇しても、ただ今ここにある事実として冷静に受け止め対処できたケースが増えて、大きな後悔はぐんと減りました

そうは言いながらも、数日前に、とある小さな事象に憤る反応をし、イラッとしてネガティブにやり返し、後でそれが相手の意図していた事と自分の捉え方にズレがあっただけだと気がついて、ひどく落ち込みました

そのあと、普段と変わらない様々な事象もネガティブに捉えがちになり、人に対して攻撃的な言動をしたりと、いろんな事がなんだか素直に受け止められなくなってしまって

その居心地の悪さからくる変調、胃痛、耳鳴り、視界の閃輝暗点と、明らかにストレス起因の変調が現れ、これがなかなかに辛く、いかん、いかんと、改めて大いに反省をしました

一つの感情的な反応が、その後のいろんな事に影響してしまう

釈迦は、人々が抱える沢山の悩みの原因がこの反応にあると考え、瞑想する事で自分の心の動きを見つめる術を説いたそうです

突然降りかかる出来事に対して、咄嗟に自分の心の動きを俯瞰で見つめる事は、すごく難しいけれど、頭の片隅に在るだけで、自らを救ってくれる御守りになってると感じます

情報が溢れる時代になり、その中から人の目に止まる為にショッキングな表現をとる事が増え、それに対して動揺し反応してしまいがちな世の中です

攻め方がヘタというか、武士の情け的な要素が無いから、致命傷になるんでしょうね

攻めることばかりに注力する余り、人の気持ちの繊細さに対してどんどん鈍感になっている様に思いますし、攻める事に必死で自分を守る事が疎かになってる様に思います

やられたらやり返すって、どうなんだろうと、思うわけです

それって実は、脇がスカスカな気がする

スカスカで、相手の矢が直ぐに刺さってしまう

痛いからやり返す、互いにその繰り返し

特に、心の問題において、攻撃は最大の防御ではない、と思うんですよね

やっぱり自分で自分の心を守る術が必要だと、昨今は特に思います

自分の心を俯瞰で見つめ守る事で、人の心の痛みも自ずと理解できるかも、なんて思います

本当の強さには、自分の心への責任が必要、かもしれません

大事なものを守る為に、ね

皆様
健やかに穏やかに

てくてくと🚶‍♂️
歩く様にでいいんです

今日という
掛け替えのない1日を

丁寧にお過ごしください

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