映画「人生フルーツ」を5年ぶりにみて

先日、映画「人生フルーツ」をみてきた。

約5年前にみたときは、暮らしに憧れてた。
今は、こんなふうにともに暮らす共同体をつくりたいと、自分だけでの視点ではなくなっている。
共同体という言葉をもう少し考えていきたい。昔ながらのムラ社会や、それぞれに役割があるコミュニティのイメージ。

映画は、はじめてみた時と大きく異なったのは、生死が身近なことになったこと。
修一さんが亡くなるシーンですごく悲しくなった。死が遠い関わりだった。この5年の間で、身近な親族などをおくった。死を意識するようになった。

いいなと思う部分もある。
家の庭で野菜をつくる。フルーツがみのる。季節を楽しむ。手づくり、手しごと。

建築家である津端修一さんの最期の作品が、佐賀の伊万里にある。
手しごとを大事にし、人間性を取り戻す施設。カフェや菜園、木工、相談室などの機能がある。レーモンド様式の建物も心地よい。

映画をみて、あこがれから今の自分達でもできていることがたくさんあると感じた。
木工ややっている。看板をつくったり。建築にも再び関わっている。畑もやっている。庭で果樹もとれるようになった。

修一さんとの共通点も。
金属のスプーンが苦手だったり。記録魔だったり。
一緒じゃんと思うところも。
少し読みにくい文字も似ているらしい。
修一さんの描く絵や文字が好きなんだな。

絵手紙を描きたくなった。

何か人生フルーツの津端家みたいに、自分達でできることをコツコツとつながるコミュニティがつくりたいんだろうな、
それぞれの得意なことを発揮できたり、好きなことを応援しあったり、
そんなのがいいな。

家族や親戚がゆるやかに繋がっている感じ。
もう少し動きながら考えていこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?