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僕は定期的に壊れる

昨日は磐田グランドホテルに泊まった。外界と自分とを完全に隔離させ酒を浴びるように飲み、すべて欲望のまま一人だけで過ごす。本を書いていたときは、それこそ毎週末おなじように壊れた。

自宅のある袋井市と磐田市は隣り合わせだから、別段磐田のホテルに泊まる用などはない。ただ、温泉付きの豪華なホテルに、Go to トラベルに似た県の補助を使って2800円で泊まれる。これはもう静岡県が俺に壊れろと言っているようなものだ。

そんなわけで昨夜は、A女史のメッセージにしっかりと返信できなかった。そのあと本気で怒られることになって平謝りに謝ったわけだが、これは俺ではなく静岡県が悪いのではないか。

そして夜が明けた今日の昼は「火の国」という焼肉店の食べ放題にした。Go to イートに似た静岡県のクーポンが余っていたのだけれど、痛風上がりで焼き肉食べ放題に行ったこと、これも静岡県のせいではないだろうか。

「一人焼肉か〜」

4年前に同じような話をして生徒にそうつぶやかれた。一人が好きなのに一人では寂しくてたまらないムゲン地獄の炎で焼くカルビとホルモンとタンは、実のところ恐ろしく美味い。ムゲンに食える。

壊れるための日の俺には珍しく、昨日は夜中の12時くらいまではまともだった。

井坂康志先生の『Drucker for Survival』やミンデルの『Dreaming body』を読み、学会誌に載せていただいた自分の論考を読み返したりしていた。遥奈さんが深海ラジオで仰っていた『フェノミナン』という映画も見た。

『フェノミナン』は、主人公ジョージが37歳の誕生日に強烈な光に晒され突如として天才化する話だった。いつも振られてばかりいる冴えない中年男が天才になる。病気のポルトガル人の通訳のために20分でポルトガル語をマスターしたり、地震を完全に予知したり、エネルギーとコミュニケーションをとることで物体を自在に動かしたりする。

だが周りの人間は次第に彼を怖がり、敬語を使うようになる。さらにはやたらと難癖をつけるようになったりもして、ジョージの生活は壊れてゆく。

類まれな力で人に尽くしたいとする彼の思いは、逆に認められず疎まれることで人を呪うものへ変わってしまう。

1996年に上映されたそれほど有名ではない映画を、なぜ若い遥奈さんが知っているのかは不明だけれど、彼女の紹介してくれる映画はいつも僕自身が主人公なのではないかと錯覚させるほど、僕に似た主人公が登場する。

やはり壊れているのだろう、俺は。

仏教学者の佐々木閑は、最近はじめたYouTubeで釈尊のこんな言葉を紹介していた。

「実際の世の中の動きは、我らが幸せになろうと努力をすると、その努力を打ち壊す形で動いてゆく」

「それでも幸せになろうと努力をするなら、さらに恐ろしい絶望に晒される」

「どうすればいいかと言えば、なにも求めないことだ」

「何かを実現したいという欲求を放棄することによって、本当の安楽が訪れる」

「仏教は、何かを為したくとも何もできなくなってしまった人々、メインストリームから外れてしまった人々の受け皿として存在している」

「極貧者や終末期の患者などの受け皿として。普通の人を対象とした教えではない」

「通常の者には分からなくともいいのだ」

そんな仏教に嵌るのだから、俺はやはり救えない奴なんだろうとつくづく思う。


しかしだ。なにも得るものがなくてもせねばならないこととは、なんなのだろうか?


「失ってばかりの手のひらよ。なにが残るかより、なにを残せるのか」

遥奈さんはそう歌ってくれた。

なにも得るものがなくてもせねばならないこととは、なにかを残すことだ。


人は、人が話した内容は覚えていないが、共にいたときの雰囲気は終生覚えている。

みんな仲良く元気よく。

そうした雰囲気を残せたらいいなぁと思う。

突如としてまともな話になってしまったが、ときどき壊れたって、まぁいいではないか。

そう言えばこの間、生徒にこう問われた。

「ねぇ先生、あいつね、キチ○○、キチ○○ってやたらと言うけどどうなんですか?」

「・・・・」

「なるほど」

「人間はな、全員キチ○○なんだよ」

あ〜、壊れてるわ〜。

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