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世界を変えるもの



おじいさんは絶望していたんだと思う。
動けない身体。わかってくれない職員。どうしていいか分からない家族。こんな環境に置いた全てのものに。もちろん自らに一番絶望していた。

生活の全てがベッド上で完結するその世界は、今までのおじいさんにしては異様なものだったはずだ。
どうしたらいいかわからない。目に映るのは見慣れない天井のみ。その孤独に押し潰されないように、誰かを呼ぶ為にナースコールを押す。その度に諭され、躱され、蔑まれる。口調は穏やかであろうが、おじいさんはそう捉えていた。
その世界に抗おうと、関わる人たちに酷くあたる。そしてまたみんなから遠ざかっていく。まさに何一つ上手くいかない状態だった。

そんな状態で出会ったおじいさん。

「こんちわっす!おじいさんなんかやりたいことあります??」

その問いに、おじいさんは驚いていたようだ。
そして振り絞るように、

「リハビリして元気なりたい…」

おじいさんのその声に応えよう。絶望するにはまだ早いぜと、生活を通して伝えるのが僕らの役目だ。

そこからは早かった。というかおじいさんの問題はそこまで難航するものでもなかったのだ。
座れるからまずは座ってもらおう。そしたら食堂でみんなでご飯を食べよう。
トイレに座ってみよう。最初は嫌がっていとたが、座ってみると大量の排便が。そこからはほとんど失敗なく過ごすことができた。
お風呂もちゃんと普通のお風呂に入ってみよう。入る時はこうして、出る時はこうすれば大丈夫!任して!
おじいさんは勇気を出してくれた。
「気持ちいいわ~!」ととても喜んでいた。


「ともちゃん…運動行ってくるわ…」


フロアの散歩が日課となった。ゆっくりで下手だけど、車椅子を懸命にこいでいる。その姿をみて家族さんは涙を流していた。その姿におじいさんもつられて涙を流していた。


おじいさんの世界を変えたもの。それはなんの変哲もない、座って食べる、トイレで出す、ゆっくりお風呂に入る。そういった当たり前の生活が、文字通りおじいさんの過ごす世界を変えたのだ。

難しいことは何もない。あとはやるかやらないかだ。
それさえ決めれば、方法論は山ほどある。
仲間もたくさんいる。きっと大丈夫だ。


絶望するには、まだ早いぜ。

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